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2012年からの5年間の読書数を振りかえる

何か数字を使って、自分の行動の振り返りをしてみたい。
そのとき、ふと読書を思い出した。

ブクログというサービスを使って記録している自分の読書データを材料にしてみよう。 (*1)

ブクログは2011年の夏頃から使い始めた。せっかく読んだ本を記録しておきたい、なるべく手軽に、という私のニーズにかなりピッタリ合っている。本を読み終わったときに、スマホのアプリを起動して、本の裏側のバーコードを読み取るだけで、自動で記録されていくスグレモノだ。 (*2)

読んだ本が月、年で何冊だったのか、簡単に整理できるので、これが振り返りにも役立つのではないか?
と思い、2012年から2016年までの5年間のデータを出して、以下にグラフ化してみる。

*本の数には、雑誌や漫画は含まない。
 小説は読んだ数が少ないこともあり、区別なくカウントしている。
 最後まで読み終わったもののみをカウントしている。

まずは表形式で、月の読書数を記す。

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つづいて、各年ごとの1-12月の読書数が分かるよう、線グラフに。

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さいごに、年間の読書数を棒グラフに。

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ではでは、振り返りを。
2016年に読んだ84冊というのは過去5年間でみると冊数としては下から2番めであるが、2015年よりは20冊ほど増えた。 月間のほうでデータを見ると、2016年は、3月が2冊、11月が3冊しか読んでいないなど、あまり本を読めていなかった月がある。

過去も含めて振り返るとき、私自身のキャリアの変遷と、時間の使い方を照らし合わせると、読書数の推移の傾向はおおよそ説明がつく。

2012年は大企業のサラリーマンとして、定時出社と帰宅の日々だった。人づきあいも少なく、ありあまる時間を読書に投入していた。
2013年は夏に小さな会社に転職し、住環境も変化した。仕事に慣れることにエネルギーを注いだのが、後半の読書数減少かと思われる。
2014年は社外の人と会う時間が少しずつ増えてきて、そこに時間とエネルギーを投じることが増えたことが、読書の減少に繋がっているのではないだろうか。
2015年は、会社の形態が変わって、仕事の中身も変わり、労働時間が長くなった。また、社外活動や、プログラミングスクールでの勉強など、コミュニケーション&アウトプット型の時間の使い方が増えたことも、読書数を気づかないうちに減らしていたのだろう。
2016年は、色々なコミュニティで出会った人から刺激を受けて、そこでおすすめされた本を読んだりする機会が増えたように思う。

この5年間、少なくとも毎月最低1冊は読んでいたことがわかったのは、純粋に面白かった。

ということで、2017年の読書の方針。
特に目標数などは設けないが、尊敬する人、刺激的な人がおすすめする本に飛びついて読む習慣をつくる。
新しい考え方、異なる生き方をする人たちの視野と体験を学ぶことを、楽しみたい。

"成長"を果たすのに大事なことは、「本から得られる知識、知恵を行動に落とし込むこと」と「行動の結果、人からもらったフィードバックを咀嚼して、アウトプットで可視化すること」のつみかさね、なんだと思う。私にとっては。


*1 http://booklog.jp/

*2 http://booklog.jp/iphone

ブログ書くぜ企画の振り返り

「俺たち1ヶ月毎日ブログ書くぜ!」なるゲーム型の企画(第2期)に参加している。 (*1)
12月1日から、毎日ブログを書き始めてから29日目になった。

今日含めて、あと3回書けばこの企画も終わってしまうので、振り返りをしておきたい。
発見、というかたちで簡単に。

【発見1】読んでもらってのコメントがうれしい

私の場合は匿名で、今回のためだけに作ったブログなので、既存読者がいない。
読んでくれるのは、[1] 企画参加者、[2] Facebookの企画ページにいいねをつけてくれている人、[3] Twitter経由の知人、[4] 直接にURLを伝えた知人、のだいたい4つの属性になる。

実際にことばとしてフィードバックをくれるのは、[1]と[4]の方々である。それがもらえると素直にうれしいし、色々と表現方法に対する気づきがある。

特に、Facebookメッセンジャーのチャットでの参加者どうしでの交流が、とにかく学びに満ちていた。

【発見2】ネタ切れジレンマを克服する、ブログ書くモードの行動がつくられる

毎日書くとなると、だんだんネタも切れてくる。
正確に言うと、ネタ自体がなくなるわけではなくて、自分の中で、「同じようなことを書くのもつまらないな」という意識が湧いてくるので、勝手に自分の書くスタイルやコンテンツに制約を課したり、やったことないことをやりたいと思うようになる。
ここにさらに、発見1で書いた、ほかの人からもらったフィードバックの要素を組み合わせたくなる。

その結果、書くのも遅くなっていき、自分が辛くなってくる。
ジレンマを乗り越えるにはどうするかというと、結局ネタのストックを増やしておくことが一番良いということが分かってきた。
最近は朝起きて、面白そうなネタが浮かぶと、メモアプリにのこしておくようになった。

おもしろいのは、ここで思いついたネタをそのままブログ記事にすることは、めったにないという気づき。
しかし、ネタをメモるという行動それ自体が、発想をアウトプットに向かわせ、「書けるモード」に入れるので、結果的に書くときにネタを絞り出す辛さが減ってきた。

とはいえ、コンテンツとして読み手に面白いかどうかはまた別なのだが(^^;)。

【発見3】時間が長くなった&睡眠不足になった

この12月は明らかに、毎日の体感時間が延びている。ブログを書くまで寝られないというプレッシャーが、時間それ自体を私にねじ込んでくるような感覚があるのだ。

しかし書こうとしても、別の用事があったり、お酒を飲んだあとだったり、疲れていたりして書けずに、PCの前で呆然としてしまったこともよくある。
そして、少し休もうと思ってベッドに横になると、当然朝まで起きられず、部屋の明かりが点いたままで質の悪い短時間睡眠を取ってしまうというカラダに良くないことが起きる。それが次の日の疲労に繋がるという、負の循環が、またブログを書けなくする(笑)。

なので、完全に朝型でスパッと毎日書けたら良かったのかもしれないが、私には無理だった。
生まれ変わったら、毎朝起き抜けにブログが書ける、デキるライティング・マイスターになりたいものだ。

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【おまけ】

企画参加者の最新投稿が読めるサイトを、さっきWordPressでサクッと作ってみた。
プラグインRSSの仕様の都合で、すべて過去分が読めるわけではない。けど、思い出になるし、今後の交流にも使っていけたらいいな。


*1 俺たち1ヶ月毎日ブログ書くぜ! (Facebookページ)

*2 Blog Game (WordPress)

お金が誕生したのは悪ふざけ説

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お金は物々交換の効率を追及した結果生まれた、最高の手段なのです。

*1

のっけから書くけど、これ、違うと思うんだよ。
お金の誕生した理由について、あまりにも都合が良い、後付の説明っていう気がしてならない。

じゃあいったいどうやってお金は誕生したの? 現実にお金ってあるじゃん! と突っ込まれたら、そりゃ何かは説明は考えるんだけども。

私の考えとしては、お金なんかなくても、十分に効率の良い助け合いの方法があったと思ってて。
それは何かというと、記憶。

ある人が助けてくれて、生きのびることができたとすると、大きな感謝の記憶が感情とともに刻み込まれる。そして、次にその助けてくれた相手が困ってたら全力で助ける、その繰り返しが、一対一ではなくてコミュニティの中のN対Nで展開されていたはず。
だから、お金がなくても、全体として生存率が上がる仕組みが記憶のおかげで保たれているのは、むしろ当然といえば当然な気がする。

仮にそうだとすると、じゃあどうしてそれでもお金ができる必要があったんだ? 記憶って不完全なものなの?

うーん、たぶん記憶はそんなにクオリティが低くない。生き延びるには、記憶を頼りに、信頼できる人と助け合い、フリーライダーを排除してれば事足りた気がする。
けど、何が問題だったから、お金は生まれたのか?

私の意見。

移動生活メインだった人類が定住に切り替え始めた時期があって、そうなると、暇なアイデアマンがコミュニティにあふれはじめたんじゃないかな?
地球が温暖になって楽に定住できるようになった結果、別に食料の採取や漁労も、そんなにがんばらなくても生きていけるようになったと思っている。 (*2)
そして、暇な人々(以下、"ひまもん"と記す)が、もう集中して食料確保するのに飽きちゃって、なんかわくわくする遊びを見つけ出し始めたのではないかと。 ひとことでいうと、悪ふざけ。

その先に、どういう方法で生まれたかはさておき、貨幣というものが出てきてしまって、さらにそれを本当に食料や嗜好品との取引に使い始めた連中が出てきてしまった。エベレット・ロジャースの、キャズム理論みたいなことがまさに起こる。
お金っていう謎の概念に飛びついたひまもんたちが遊んでたら、それが楽しそうで、かつだんだん実用性がありそうなことまで見えちゃってきた。で、2.5%しか分布していないイノベーターたちの層からはみ出て、どんどん普通の人が当たり前に使う「あそび」の実用化が起きていったのではないか。

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なんてね。根拠はない。
だけど、あまりに綺麗すぎる説明はリアリティがなくて、自分でも悲しかったので、抵抗してみた。

だって、石とか貝殻とか、そんなゴミみたいなもんに価値を認定して、最強の助け合いツール記憶さまを横にどかそうなんて、おかしいもん発想が。
それよりは、お金とは、何の役にも立ってない、アホだなと思われてるひまもんたちの遊びだったというほうが、そのあとの普及の速さみたいなもんを考えると納得できる気がする。
スタートアップのプロダクトやサービスをおもいうかべると似てる。本当に妙ちきりんなのに、なぜか一部のニッチの課題を解決してしまう、GoogleFacebookのようなものがあると、気がついたら業界は激変してて、どでかい市場が生まれたり、主力プレイヤー企業が入れ替わってたりと色々起こる。

もしも、そういうところでお金が始まってたのだとすると、最初からお金の価値は実体経済(で合ってる?)と無縁の信用ベースでしかなかったことになるし、考え方によっては現代よりもクールでドライで、むしろ使いやすかったのではないかなと思う。
今のお金は機能をくっつけすぎてて、ユーザの満足から遠ざかってないか?

って、最近Simplenoteっていう機能がすごく絞られた、軽いクラウド対応メモアプリはなぜこんな使いやすいのだ? と思っていたところで派生でお金について少し考えた。オチはない。 (*3)


*1

お金は、物々交換から誕生した。 | 学校では教えてくれない30のお金の考え方 | HappyLifeStyle

*2

地質|地震・防災関連用語集

*3

simplenote.com

ストレングスファインダーを受けてみたら、サプライズ。

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このブログの登場は3回目となる、スーパーパワフルで、知的好奇心と実現力の塊(だんだん枕詞が派手になってきた)のビジネスプロフェッショナルYさんから、ストレングスファインダー(Strengths Finder)を受けてみることを勧められた。(*1)

これが何かというのは、引用にて。

ポジティブ心理学の観点から一般的な性格を評価できるように考案された WEB 上で受けられる心理テストです。
研究結果から明らかになった人間の持つ34の資質のうち該当する上位五つの資質が評価されます。
資質・・・つまり強みを知り弱点を克服することではなく強みを伸ばすことで人生を豊かにしようと考えられたものです。

(*2)

とのこと。つまるところ、WEB心理テスト、なのだけれども。
元々の解説されている書籍は5年位前に読んだことがあったがWEBのテストは初めて受けた。 やってみてわかったことは、30分ばかり使って、5択(正確にはもう少し複雑)での自己認識を問う質問を次々に答えるものだということだ。WEBの良さで、受験が終わればまもなく結果をPDFで見ることができる。

さて、受けてみての結果を貼る。
私が受けたテストは英語で回答が出てきたので、こちらのサイトを参考に日本語に訳された単語も一緒に並べる。 (*3)

私が受けた15ドルのテストでは、5個の強みの資質が判明する。上から順に強く出たものとなっている。

Ideation, 着想
Input, 収集
Individualization, 個別化
Adaptability, 適応性
Learner, 学習欲

ひとまず、一番強く出ていた着想について、同じサイトからいくつか特徴を引っ張ってくる。

・複雑に見える物事の裏側に存在する、的確で簡潔な表現方法を発見すると嬉しくなる。
・目新しい考えや、逆説的な考え、奇抜な考えを好む傾向にある。
・新しい着想が生まれるたびに、エネルギーが電流のように身体を駆け巡る体験をすることが多い。
・着想のある人生にスリルを感じ、そんな生活を送れていると幸福を感じる。

(*4)

当たっている気がして仕方ない。

そしてさらに、分類される34の資質が、4つの領域にまとめられるそうなのだが、私の5つの資質が4つの領域のどこに入っているかを同じサイトで確認してみた。

実行力→アイデアを「捕まえて」現実のものにする能力
影響力→グループの主張を確実に周囲に伝える能力
人間関係構築力→グループ全体をまとめ、より大きな力へと変える能力
戦略的思考力→常に先を読み、筋道を立てて集団を導く能力

(*5)

この4領域のうち、なんと下2つにのみ、私の強みの資質5個はあった...
人間関係構築や戦略思考に偏って、強みがある。かたや、実行力と影響力の領域には、1個もなし!!(笑)。
この分類結果は、とても納得いく。

冒頭に引用したように「強みを知り弱点を克服することではなく強みを伸ばすことで人生を豊かにしよう」という目的のテストなので、偏りがあることはむしろラッキーと思うようにした。たぶん、そこが大事なので。

とにもかくにも、おもしろかったし、受けてみてよかった。

たった30分の心理テストで、ここまで私のことを正しく捉えた、わかりやすい言葉の集合体として出てくること。また、それが統計的にも信頼できる十分な数の母集団をもつものであり、たとえば私と一緒に働くかもしれない人が、その結果を見ることで、私の適性を先に把握しやすいこと。
サプライズだ。

科学とテクノロジー、そしてデータとメッセージ、これらが見事に掛け算された、有用なツールであることに、いたく感心した。

そういえば、Yさんのストレングスファインダーの結果の、上位5つの資質はなんなのだろう。気になるなぁ。


*1

Clifton StrengthsFinder

*2

information-retrieval.jp

*3

ストレングスファインダーの【強み】の英語と日本語の対応一覧まとめ

*4

xn--bckg8a9ab8bxc5fpjscf3i.com

*5

【着想】の特徴 | ストレングスファインダー

ビデオゲームに飽きることを予測できるひと。

今日、私が尊敬するビジネスプロフェッショナルのYさんと、起業家の何名かが集まって、いろんなことをざっくばらんに話すという機会があって、参加させてもらった。
そこで出てきた話は実に興味深いものが多く、人間とは、社会とは、ということを、うんうん唸って参加者が考えていた。

盛り上がった話題の1つに「飽きること」というものがあった。
具体的に、ビデオゲームを飽きるまでやってしまうことは、果たしてなぜ起こるかという話があった。
今日の文脈では、「ビデオゲームに人を夢中にさせる仕組みがあって、それを解き明かそう」ということではなかった。
「どうして夢中になって時間を著しく削ることが分かっているビデオゲームをやれてしまうのか」という、行動分析のところがメインだった。

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実はそれに対して明確な答えはなかったのだが、起業家のTさんの考え方がとても面白かった。「いずれ飽きるのが分かっているし、どうせ制限しようとしても、ついついやってしまうのだから、諦めて、夢中になってやってしまう」という趣旨だった。

この考えは、私にとって衝撃的なことが2つあった。
1つは、自分の思考と感情の予測がかなり正確に立てられているので、飽きることを見越していること。
もう1つは、その飽きが予測できているのにもかかわらず、夢中になってやれること。

私自身、この3年くらいほとんどまともにビデオゲームをプレイしていない。なぜそうなったかと考えるのだが、理由はよくわからない。
ちなみに、5年くらい前までは、年間10本くらい新しいゲームをプレイしていたので、世の中の平均よりはだいぶ多く遊んでいたとは思う。

「ゲームよりも現実のほうがおもしろいから」というのは、分かりやすい答えのように聞こえるが、実は当てはまるケースは少ないように思う。
まずそもそも、起業家という最も忙しそうで、時に事業成長の困難や、キャッシュフローの悩みといった大変な現実に向き合っている人たちも、ゲームを結構やっている。最近だとPokemon GOが出た時には、私の身の回りの経営者やビジネスプロフェッショナルたちも随分とプレイしていた。いまだと、スーパーマリオランをプレイしている人も多そうだ。

また私はどうかというと、この3年ばかり現実を楽しんでいたかと言われると、別にそういうわけでもないと感じている。ただ単に、なぜかゲームをしなくなったのだ。
ゲームと現実、という比較はあまり説得力がないし、「成長」という広範すぎる概念で説明をつけるのも納得感が薄い。

そう思って、ひとつ仮説を立てたのは、Tさんがゲームをする理由は、きっと飽きることを見越しているから、安心して没頭できるのだろうということだ。いわく、せいぜい年間で1〜2本だという。その程度であれば、むしろ飽きるまでやってしまうほうが引き摺らないのかもしれない。
逆に私がゲームをしなくなってしまったのは、「飽きるかどうか予測つくほど自分のことを分かっていない」ので、ハマってしまうのが怖くて、手を出さないという可能性もある。
5年くらい前までせっせとゲームをやっていたのは、過去の体験の再現を心理として求めていたから??つまり、どういうことかというと、ゲームをしている自分に安心するのだ。

かように考えていくと、20代の頃の私はゲーム好きだったのではなくて、ゲームをしている自分が好きというか安心を覚える、だっただけかもしれない。

そして、夢中になれる人は、飽きがくるという近未来の自己心理予測をもっているのかいないのか。この辺も気になる。

感動が生まれれば、世界も重い腰を挙げる。

恥ずかしながら、けっこう歩きスマホをしてしまうことがある。 良くないというのは分かっているのだが、ついやってしまう。 いい年こいてだらしないですね、と言われたら返す言葉もない。

今日、スマホの電池が切れそうだったこともあって、スマホはポケットにしまったまま、街を歩いていた。 そのとき、ふと空があまりに青く澄み渡っていることに気がついた。そして、目線の先には、巨大で、不思議な外壁に囲まれたビルディングを見つけた。 そこで空とビルを眺めていたら、なんとおもしろくて、気持ちのよい風景なんだろうと感じた。

立ち止まり、中空を見つめ、あたりを見渡した。そして、電池が残り少なくなったスマホを取り出して、一度だけシャッターを切った。それが、この写真だ。

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この風景が目に飛び込んできた時に、歩きスマホをしていると、どれだけ美しい世界や興味深い出来事が目の前に広がっていても気が付かないのだと悟った。 せっかく外を出歩く時に、わくわくするような、あるいは輝いている光景が目に写ったならば、それはとても「生きてる」ことが実感できるような機会に思われた。

この写真を撮り終えた私は、スマホをポケットの取り出しにくい場所にしまった。そして、青空と街の巧みに重なる構図を探したり、あるいはまるで関係ない建物や、人の動きを見つめたりしながら、歩いた。

スマホのアプリはいつでもできるけれども、目の前に広がる景色はその一瞬に限られた再現性の乏しいショーである。見逃したら現実に100パーセント同じ世界は作り出されない。

交通のマナー、安全、そういう視点で歩きスマホが駄目だと言われることにまったく同意はする。だが、そのメッセージの展開だと、なかなかみんな行動を変えてはくれない気がする。それこそ、私もそのひとりだ。

感動や心震える感覚が生まれたときには、人は行動がもっとも変わりやすいのではないかと思っている。

今日の青空を見て、スマホをやりつつ歩くなんて、とてももったいないな、と思えたことが、これからの行動変化の礎になる...はずなんだが。宣言だおれになっていないかどうかは、今後の観察と検証の課題かもしれない。宣言だけして、何も行動を変えないのは得意分野なので(かなしいかな)、本当に宣言が行動に転化するかはよく見張っていないといけないだろう。といっても、配偶者やそういう繋がりのいない私みたいな人には結構大変かもしれないけど。

人は、命令や外発的報酬によって変わるのではなく、内発的行動で変わってくる。そこをどう活用するかが、人の活力や世の中の変革エネルギーを高めるにあたり、とても大事なのではないだろうか。

人を好きになるために、小さくはじめること。

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何か前提をつけると言い訳がましい。
誰かに失礼になることなく、自分に嘘のないよう、書く。

私はちゃんと人を好きになる、好きを形にするということが、肚落ちしたものとして、わかっていない。

それって、恋? 愛? はたまたもっと違う何か?
わからないし、ことばにならない。

そのままで良いとは思っていない。変えたいと思って、変える方法を探して、あがいている気がしている。

あがいてみて、まだ、好きになれたという感覚にたどり着けないのはどうしてかと考えてみたときに、ひとつ思いついたこと。
「高いパフォーマンスのギバー」のふるまいが私はまだ、できていない。

このブログで、たった1ヶ月の間で何度も述べてきたように、私は「ギバーのふるまい」がコミュニティを幸せにする上で、極めて大事だと思うようになった。主に、生物学的な視点と、歴史的な視点から。

ちょいと話が逸れるが、そういった科学や歴史に興味を持ってあれこれ読み漁った理由は、半分はただの好奇心からだけれど、残り半分は、自分の関係づくりの悩みを解決する手がかりを、人類が築いてきた知のストックに求めたかったのだと思う。

話を戻す。
ギバーとは見返りを求めなく、自分の持てるものを提供する行動のことだ、と私は解釈している。 (*1)

数多くの人に会う中で、ついていきたいなと、もっと一緒にいたいなと思う人は、振り返ってみると、ことごとくギバーだ。 自分の利益志向ではなく、他人の利益になることのためにナチュラルに行動している人。

もちろん最初会った時にはわからないのだけれど、同じプロジェクトやイベントの運営などの経験を実地で一緒におこなうと、その人の対人行動原理がギバー的なものかどうかが分かってくる。

だが、常に誰に対しても、なんでも尽くすというのは、パフォーマンスの低いギバーになってしまい、燃え尽きて倒れてしまう。
打算でなく、行き当たりばったりではなく、心から「それをすべき」と感じた上で、惜しみなくギブすること。
それが自分の幸せだと感じられる状態に到達し、それをキープすること。
その繰り返しで、パフォーマンスの高いギバーとなって、縁を育て、人とコミュニティ、そして社会に活力をもたらす。

言い換えると、ギバーのふるまいは、「人を選んでよい」のだ。その人を助けることが、自分の幸せだと信じられ、そして本当にそれが相手の助けになってはじめて「パフォーマンスの高いギバーのふるまい」が成立したことになる。
打算的なリターン先行の発想(マッチャー)との違いを作るのは、おそらく「(特定の)人を好き」という始まりに、リターンを求めることがないことだ。

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これまで述べてきた「赤ちゃんに対する親の愛」がまさに、そこに代表される。自分の子どもだから、無条件に愛おしいと感じる。慈愛をもって助け育てることが、絶対に必要だと、(システム1のオートパイロットの速さと強さで)信じられるから、親はパフォーマンスの高いギバーになる。

最初からパフォーマンスの高いギバーでなくても、経験と失敗、フィードバックと周囲からの支えとアドバイスをもらいながら、親としてだんだんとパフォーマンスが高くなっていくのではないだろうか。

人は、変われる。

そして、親と子の間だけにとどまらず、ギバー的精神を、ビジネスや、ローカル・コミュニティ、そしてときに対象を世界の人々にまで広げることのできた、すてきな人々がたくさんいる。彼らが出会い、大きなイノベーションが産み育てられ、これまでの人類社会の成長は成り立ってきた。

ということを、私は理解しているつもりであり、このように文章に書き表し、私のことを知っている人に読まれることに、恥ずかしさは何もない。
課題は、私自身のギバーのステータスを高める、その到達の道のりを「計画」だと解釈して、システム2の遅い思考の上に少しずつ手順を組み立てようとしてしまっている思考の縛りが強いことだ。

好きだと思えたら、行動すればいいのに。よく思う。
行動ができていないことをブレークダウンすると、小さなアクションが有機的につながってない、ということかなと捉えている。 小さなハードルを越えるトライとフィードバックと学びのサイクルを積んで来なかったから、相手の助けになるかどうかを考えようとするとシステム2を酷使して、それが疲れてしまって、行動に起こしてからも自動化(システム1)に頼ることができず、行動が連続しないのではないかと思っている。根拠はあまりないケド。

なんとかしたい。
何をすればいいだろうか?

ついていきたいなと思えた人(=ハイ・パフォーマンスのギバー)に対して、敬意の赴くままに、見返りなく、できるところからギバーをしてみるというのは良いかも。

赤ちゃん、子供を育てるお母さん、お父さんたちのギバー度合いに比べたら、安全圏での小さな歩みだけれども。そこを比較して、自分を卑下して止まっているのもカナしいので、歩み始める。

私の楽観的なところは、人は変われる、と思ってるところで、ようやく最近、その「人」の枠に、自分を入れて考えられるケースが増えてきた。

計画したがるアタマは、脇に置いて。
3秒息を吸って、2秒止めて、5秒で吐いて。
気持ちをカラダになじませて。

まずは小さく、他者と出来を比べずに、はじめよう。

失敗と、小さな自信の積み重ねの先に、人を好きになれますように。


*1

mirai.doda.jp