ギブギブン

1ヶ月毎日ブログ書く企画ではじめたブログです。

ポジティブ心理学から考える、料理の効能。ありがとう、クリストファー・ピーターソン。

「幸福だけが人生か?: ポジティブ心理学55の科学的省察」 (*1)
という本を読んだ。

ポジティブ心理学の研究者・教育者であり、またユニークなブログ・エッセイの書き手でもあるクリストファー・ピーターソンの著書。もともと原著は、ブログから100のストーリーを選び出して書籍にしており、邦訳版はそこからさらに55編に絞って編集している。

本書を読み始める前に、まず訳者あとがきに目を通してみたのだが、そこで衝撃を受けた。著者のクリストファー・ピーターソンは亡くなっていたのだった。
2012年に原書 「Pursuing the Good Life: 100 Reflections on Positive Psychology」(*2) は刊行されているが、ちょうどその年に彼は、自宅で不慮の死を遂げたのだという。死因については調べてみたがよくわからなかった。いずれにせよ、62歳で彼は、探求と教育の道半ばでこの世を去った。

本の話に戻ろう。読んでいて本当に面白く、飽きのこない、なめらかな知的刺激の塊のような一冊であった。ポジティブ心理学という学問は何であり、何ではないのか。本当に学問に対して真摯であり、安易なメッセージングに流れることを良しとせず、しかしてユニークな語り口は、読み手に微笑みと刺激を与えてくれるものだった。

そのなかのひとつのエッセイに、それはワインの値段を知ることと、飲んだ人の味についての評価に関する研究の知見が含まれているものがある。
これに刺激を受けて、思いついた仮説がある。
「料理をつくることが大事な理由は、つくるプロセスが材料や手間の金銭価値計算を曖昧にすることで、料理を楽しむことに人がフォーカスしやすくなるからではないか」
ということだ。

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極めて分かりにくいことを書いた。具体的に説明したい。

たとえば弁当屋で、500円の弁当を買って帰ると「この弁当は500円だ」という認識のもとで、食べることになる。すると「500円相当だから、こんなものであろう」となりやすい。いや私は500円の弁当だからといって、味をそれなりと決めつけたりはしない、という人もいるかもしれない。しかし、仮にそれを自分が食べるのではなく、人に出すとしたらどうだろう。500円の弁当、仮に値札をはがしたところで、それは500円だという認識が自分にも、相手にも伝わってしまい、その程度だよね、となりねうに思う。

しかし、これが材料を買った上での料理であれば、ひとりあたりの細かい材料原価などというものはよくわからなくなる。さらに水道光熱費も乗ってくるし、もちろん家庭料理に労働費は含めないとしても手間がかかることでなんらかのコストが乗ってくることも理解される。このように、価格・手間などに関するファクターが自動的に諸々加算されると「これって結局いくらなのか?」と考える事がアホらしくなるし、そんなことは普通は突き詰めようとしない。
すると何がいいかというと、その食事を味わうことにフォーカスできるし、何よりも人に出すとするなら、食べる人から作ってくれた人への感謝という感情のファクターが多くを占めるようになるので、金銭に対する思考はますます薄れ、幸福感が増すのではないか?買う場合に比べて。

ということを思いついたのだ。
もちろん、料理がマズかったら、残念ながら素直な感謝を示すことが難しいケースは多くなりそうなので、別の要因で幸福感は下がってしまうだろう。
無論、まずい美味いも絶対値があるのではなく、食べる人と素材や料理の味つけの相対関係で決まってくることではあるけども。

このへんは、私は本書の著者とは違って、ちゃんと研究を調べているわけではないので、だいたい世迷い言ではあるので、深くは突っ込まないでほしいが(笑)。

今日書きたかったのは、この著者クリストファー・ピーターソンへの敬意と、彼があまりに早く世を去ってしまったことを惜しむ、その気持ちである。


*1

幸福だけが人生か?: ポジティブ心理学55の科学的省察(amazon.co.jp)

*2

www.amazon.com

歯のメンテナンス行動を続ける鍵は、死への見積もり?

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4ヶ月ぶりに歯科に行った。
こう書くと、歯科通いをサボっている人みたいだけど、予防メインの定期チェックとクリーニングではある。
幸い、虫歯は発見されなかったが、歯科衛生士の方に、いろいろとご指摘はいただいてしまった。

・歯間ブラシを通しましょう!歯磨きより大事です。
デンタルフロスをしましょう。今はまだ若いけど歯周病は忍び寄ります。
・マウスピースをして寝ましょう。歯ぎしりで歯がボロボロになります。
(注、無論これらは私に当てはまる指導であって、すべての人にそうだというものでない)

すべてごもっともなのだけど、ちっともできていないワタシ。
頭では歯のメンテナンスとして科学的、合理的な手法をとるべきと理解しているつもりが、日々の行動には落とし込まれていない。
反省しつつ、これは反省するだけ案件を繰り返しかねない。それは一番意味がない。

なぜ問題は繰り返されるのか、もう一段深く考えてみることにした。

私は頭では予防的歯科衛生の取り組みを理解したつもり、ではあるが、それが感情レベルでの刷り込みになっていないのだ。

思考実験。
たとえば、横断歩道の赤信号で右も左も見ずにわたる人がいるだろうか?(子供ではなく、成人であり、アルコールの影響などはないと仮定する)
多分、そんな人はいない。右左をみて、車がいないことを確認して信号無視はするかもしれないが、それは逆にいうと、信号が赤でも、車さえいなければそこを渡る、という行為が安全に遂行されることを無意識レベルでよく理解して、行動に組み込まれていることになる。
それはなぜか? 車にはねられたら、死ぬからだ。

はねられて死んだ人間は生きていないので、結果死ぬことなく生きている人が標準となる。それはつまり、きちんと車が来ないときに渡る人ということになる。ではなぜはねられたことがなくても、はねられないようにちゃんと車を警戒するかというのは、「はねられたら死んでしまう」というリアルな恐怖が感情にしっかり組み込まれているからだろう。
もちろん、現行人類の種の誕生時点では車は存在しないので(バカバカしいことを書いているが)人間の赤ちゃんが生まれた瞬間には、車を死の恐怖をもたらすものという認識は持っていないはずだ。
親や、まわりの人間の教えであるとか、自分の目でみて、車の破壊力を推測したり、あるいは車による事故の映像やニュースの情報を繰り返し取り込む中で「車にはねられたら死ぬ、怖い、避けないとやばい」が定着すると考えられる。

だいぶ話が踊ってしまった。予防歯科の話に戻ろう。
いま、歯のメンテナンスを毎日きっちりやらなくても、私は死なない。リアルな恐怖を持つことができない。
でも、このままで歯の日々のメンテナンスをやらないでいると、10年後か20年後かに、悲惨なことになっているのだろう。そして、それは後戻りが効かない。
再生医療が進歩している可能性があるとしても、それもあくまで可能性でしかないし、医療保険が適用されて私が使える額、使えるキャパシティがあるものか。それは分からない。甘い期待はしないほうがいいだろう。

放置すると未来に高い確率の悲劇を予防するための今の日々の取り組みをするには、未来の悲劇をリアルに今、恐怖することが必要なのではと思う。

ではどうするか。
VR機器などを活用した体験で恐怖を作ることもひとつかもしれないし、演劇などの様々な手法で恐怖を作ることもできるのかもしれない。しかしそれも、なかなか確立された手法があるとは聞いていない。
今思いつく中で一番良さそうな方法は…死の意識をもつこと、かもしれない。これは上述の話と矛盾するようだが、実はそうではない。
自分が不慮の死ではなく、ある程度納得の行く死の姿を迎えること。良き死をむかえるためには、良き生が必要であり、それには歯の健康問題で煩わされていない自分、をリアルに描くことである。すなわち死への適切な見積もり。

その自分を達成するには、いま歯をメンテナンスすることがその唯一無二の道だ、という「強い」自覚が生まれたら、何かに背中押されるように毎日、ちゃんと歯を手入れするはずだ。

と信じたい。
そうなりたい。

最後に歯のメンテ方法について話をもどすと、歯間ブラシもただ使えばいいものではないようなので、念のため。(*1)


*1

【医師監修】使いすぎには注意!歯間ブラシの選び方と使い方 | ヘルスケア大学

読書しよう!

最近、本を全然読んでいない。という実感がある。
データで確認してみることにした。

ぼくはbooklogという読書記録サービスを使っており、読み終わったらそれに登録することにしている。
2016年の1-6月と、2017年の1-6月を比較するとこのようになる。

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2016年上半期が44冊。今年の同期間は、21冊。かなり、減っている…。そして、ほぼすべての月で昨年を下回っている。
直感がデータで明らかになった。

量が多ければ良いのかというとそうではないが、しかし冊数は明確の指標であるとも思う。

本を読む時、なるべく自分の知らないこと、知らない話の書いてある本を読むことにしている。
新しい本を読むということは、新しいチャレンジをする、ということでもある。あまりお金をかけずにでき、学びや刺激を得られるチャレンジ。

今年後半は、50冊は読みたい。となると、月平均8冊以上読む必要がある。
あとは月1-2回はレビューも書くようにしたい。これをすると本の内容の記憶への定着が全然違う。ということをむかし感じたので、今できていないのでそこをやりたい。

目標達成に向けて、楽しくやっていきたい。

そうだ!秘密兵器、Kindle Paperwhite (*1) を買ったのだった!というか、この瞬間まで買ったことを完全に忘れていた。このまま眠らせていてはもったいない。使おう。

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*1

Kindle Paperwhite

札幌でふとひらめいた、満員電車が許せないワケ

満員電車は不快だ。言うまでもない。

・他人と密着するのが気持ち悪い
・冬は服が厚くて混雑度がより上がる
・夏は汗かいていると人に接すると不快な顔されてこっちも不快
・とはいえ、汗かいてる人がいたらきっと自分もそうしてる
・他人の足を踏んだりしないように気をつけないといけない
・他人から足を踏まれたりしないよう気をつけないといけない
・痴漢に出会う危険がある(女性は。一部男性もいるかも)
・痴漢と間違えられる危険がある(これは男性だけだろう)
・スリの被害に遭う可能性がある
・落とし物をしても、拾うこともできず、なくす可能性が高まる
・本を読んだりする自分の時間が過ごせない
・リュックやカバンを下ろさなくてはいけずに面倒くさい
・イヤホンが他人に引っかかるおそれがある
・ドアに挟まれる危険がある
・入り口付近にいると駅に着く度に出たり入ったりしないといけない
・結果、出たものの混みすぎて乗り切れないことがある
・そして体調が悪いと人の海で吐きそうになる

もう、どこまでいってもロクなことがない。

こんなもんに毎朝乗って会社に行って、生産性高い仕事が気持ちよく始められるわけがないと思う。

これをデフォルトにしている、我が国の首都の移動の状況は、完全にアホ極まれり、だ。
「日本人は整然と混んだ電車に乗って通勤している」とか、それは誇ることでもなんでもない。しくみが間抜けなのを、耐えているだけ。
なにが時差Bizだ。YouTubeで見たい動画を見ていると、すぐあのCMが挟み込まれて、腹立たしい(←これは完全に八つ当たり)。

通勤をなくして、リモートで仕事ができる人が増える世界をつくることが本当にの働き方改革なのではないか。
そんなことも大真面目に思う。

また、通勤・通学者以外に視野を広げるならば。
朝の時間帯に子供を連れて移動したい親御さんや、外国人観光客などにとって、朝まともに電車に乗れないという状況があることもまた、多大な損失と思われる。

この満員電車の不快ぶりと絶望感は、多くの東京圏の通勤者、来訪者が感じているのだろう。

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が、私は札幌で平日朝(8時頃)の地下鉄に乗ったときに、ひとつ驚きがあった。
なんと、満員ギュウギュウではないのだ。確かに席はすべて埋まり、それなりに立っているけれど、別にリュックを下ろさなくても全然人に当たらない。
東京の鉄道の朝の状態を予想していた私は、良い方向に裏切られて、拍子抜けした。
別にこれくらいなら、気にならんな、と。

その瞬間に気づいたこと。
それは、なぜ満員電車が許せないのか、の根本を説明する仮説である。個別の不快な事象について、ではなくて、なぜ総体としての状況に、ここまで怒りを感じるか、ということについて。

仮説とは、

「何もプラスのものを生み出さないが、サボると多大なマイナスが発生する選択と行動を、断続的に、多種に、繰り返す義務が生じる」

この状態が、人をとてつもなく不快にさせているのではないか、ということだ。

たとえば満員電車で、私(男性)が女性に手がくっついてしまう羽目になると、「痴漢です!」と言われる危険がある。つまり多大なマイナスが発生する。ので、手の位置を調整して、吊革を掴むとか、なんとかしないといけない。これ以外にも、足を踏まないように、踏まれないように、とか、いろんな「やらないとマイナスがでかい」のに「それ自体プラスなものをは何も生み出さない」ことがある。考えてみると、アホらしくて涙が出てくる。

いままで言語化してみたことはなかったが、満員電車という状況に対する怒りの根源は、ここに起因しているような気がする。

私は今、フリーランスのような形で仕事をしていて、ひとつの仕事の場所は自転車で通えるので、満員電車ストレスはない。もうひとつの場所は、リモートOKであり、会社に行くことがあっても、お昼くらいに行くことにしているので、満員電車は回避できている。

毎朝の東京の電車に乗って
「何もプラスのものを生み出さないが、サボると多大なマイナスが発生する選択と行動を、断続的に、多種に、繰り返す義務が生じる」
くらいなら、お金は少なくても、それを回避できる仕事を選ぶ。

しかし、さらに考えてみると、そういう理由で仕事の選択をしているのは、仕事の価値の作り方という本質から遠いような気もする。本来、そんなところが仕事の選択理由に入る事自体が、歪んだ状況だ。自分が選べるかといって、ただ喜んでいてもしょうがないとも思う。

2020年オリンピック!で浮かれるより(それは別にほっといても開かれるでしょう)、この業の深い満員電車を消滅させられたら、偉業だと思います。
そしてこれは都知事ひとりの仕事ではなく、日本人の問題。

札幌のとある高校を訪れて

札幌でどうしてもやりたかったことが一つだけあった。
それは、札幌南高等学校を訪れてみることだ。

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ここは、岩田聡さんの母校である。

ぼくの岩田さんの高校時代についての知識のほとんどは、「岩田聡の原点」 (*1) に依っている。
この電子書籍は、岩田さんの高校の仲間たちが、2015年に55歳の若さでこの世を去った岩田さんを惜しんで、おもに高校時代のエピソードを中心に、これまで世の中にほとんど出てこなかった話をとりまとめたものだ。
2016年7月。すなわち今から1年前であり、岩田さんの一周忌のタイミングで発刊された。

いま思い出しても、この書籍のインパクトはすごかった。岩田さんの経営哲学に心動かされてきたぼくも、まるで高校時代の話は知らなかった。
岩田さんがバレーボール部だというのは知っていたけれど、まさかそこまで、彼の人生に多大な影響を与える経験、そして人の繋がりがそこに生まれていたことはまったくの初耳だった。
ぼくも高校からバレーボールをはじめて、そして同じようにセンターポジションをやっていた人だった。これで、親近感が強まらないわけがない。もちろん一方的なそれでしかないとしても、だ。

岩田さんの細かい話に興味ある方は電子書籍を買って読んでいただきたいのだが、そんなこんなで、札幌南高校はぼくにとって、一度足を運んでみたい場所だった。

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これが体育館の写真だ。
もちろん学校の中には入ったりはしていないし、これは道路から撮った写真だけれど。

この日は平日で、グラウンドでは、陸上部やサッカー部の高校生たちが練習に勤しんでいた。きっと体育館の中ではバレーボール部の高校生たちが、かつての先輩と同じように、練習やトレーニング、あるいは、休憩時間に談笑していたことだろう。

ちょうど岩田さんが亡くなって2年が経った。
札幌南高校を訪れたことで、自分のなかでひとつ、何か整理がついたような気がした。


*1

ゲーム界のトップに立った天才プログラマー 岩田聡の原点: 高校同期生26人の証言 Kindle

札幌の合理性、東京の不合理性

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札幌市に始めて来た。正確には子供の頃に一度旅行で来たらしいのだが、まったく覚えていない。

友人が市内を案内してくれたのだが、もっとも驚いたのは、格子状の町並みだ。東西南北に格子状の道が整然と走り、すべての住所は、東西と南北の掛け合わせの場所で表される。「北3西4」といった具合に。

最初は地理感覚がよくわからなかったけれど、慣れてくるとこの合理性にしっくりくるようになった。
次の日は自転車で札幌市内をいろいろ巡ってみたのだが、そのときもこの格子状の構造が分かりやすくて、ほとんど迷うことなく目的地にたどりつけた。

なぜこのようなわかりやすい町の構造になっているか、調べてみると歴史は1869年に遡るようだ。

明治2(1869)年、札幌本府の建設を命じられた島判官は、円山の高台に立ってはるか東方を見渡し、街づくりの構想を練ったといわれています。京都の街づくりを参考にしたその構想は、札幌の広野を現在の南1条通りで南北に、また、すでに堀削されていた太友堀(創成川)で東西に分けるところから始まりました。この島判官の構想を生かしながら岩村判官は、60間四方の格子割による街区構成を利用し街の中央には58間幅の大通りを設定。

(*1) 札幌市HPより

それまで、高台に立って、未来を見据えて0からの都市設計をしたのだ、ということ。計画して、たしかに実現させた明治期の人々の偉業は素晴らしいと思う。

ただ、仮に計画実行力が高い人々がいても、すでに街が出来上がっていたら、これを壊して人を動かして0から作り上げるというのは大変な困難を伴う、というか実質無理だったことだろう。何もない土地だったからこそ、150年後にあっても便利でわかりやすい、都市計画がたてられた。

もうひとつ、今回友人がいっていたのは「札幌には、歴史ある寺社などがほとんどない」ということ。確かに札幌市内をうろうろしても、歴史ある遺跡のようなものはほとんど見当たらない。これもまた、それまでに人がほとんど住んでいなかったことの証である。

この札幌に対比して考えてみると、私が住んでいる東京は極めて計画性がない都市である。道はぐねぐねしており、地名の合理性はほとんど存在しない。不合理、きわまりない。
「まっすぐ道を行ってください」と東京で言われること。それは、方角的に直進せよ、ではなくて、多少のグネグネも承諾して道なりに進め、ということを意味している。
きっと札幌に生まれ育った人が東京都心に来たら、あまりの不合理に最初は愕然とするのだろう。

人が住み続けていく街。そこの始点に都市計画というものがなく、時間が重なっていくと、それは後戻りが極めて困難な「都市のありよう」が生まれる。もちろん、それは文化と極めて密接、というか文化そのものでもある。
仮に日本のすべての都市が、0から都市計画で合理性のもとに作られたとしたら、そこには文化的多様性、違いが少なくて面白くない、となってしまうだろう。
しかしながら、東京の人口、経済の一極集中が起こり、そこに交通の問題や住居、保育園といった公共性高い施設をつくる困難が生まれている現状を見ると。もはや都市の小さな部分改善を行おうとする労力を割くよりも、0からの都市計画を立てて、これからの150年のあり方を想定して街をつくるほうが、これから皆幸せなのではないかとも夢想してしまう。


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道路建設の歴史/札幌市

夕張の1950年代の教師の行動、現代にそれは活きるのか。

夕張市にあるローカルの喫茶店で、そこの経営者の方や、お客さんに話を聞いてきた。年齢でいうと60代後半。かつて夕張が炭鉱の街として栄え、絶頂だったころに若年期を過ごした方々だ。
いろいろな話を聞いたのだけれど、一番印象的だったのは夕張の街の話というよりも、その時代の学校の話だ。もっというと、教師の話である。

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話をきかせてくれた方々の小学校の同級生で、極めて秀才がいたのだという。ただし彼の家は貧しく、まともな靴ももっておらず、雨が降ると何キロもの道を歩いて通うのが難しくて学校を休む、そういう有様だったという。彼の両親も教育熱心とはいえず、子供は中学校を出たら地元で働けばいいと思っていたようだ。

しかし、彼の才を、そのように生きるにはあまりにもったいないと思った担任教師は、彼の家に行き、両親を説得し、なんとか進学させるように働きかけたそうだ。最終的に彼は高校卒業後、京大に進学したという。

この話のどこが印象に残ったかというと、こんな教師はきっと現代には割合として少ないだろうと思ったからだ。
親の方針を覆させてまで、進学させようと思って、自分には何の得もなくても家まで行って交渉する。

その教師や、その時代がすばらしくて、今がそうではない、と思っているとかそんなことではない。
そもそもこの高度知識労働社会、そしてそこから先の機械による自動化も含めて産業社会そのもののあり方が揺れている中で、工場労働者の効率的輩出のためにつくられた学校モデルなどというものは、1mmも社会に適合していない。1950年台に良かったモデルが、2010年台に良いということはない。

だけど、子供の持っている才能を正しく評価して、それが活きるようなキャリアをつくる(当時はキャリアという思想はなかったと思うけど)ということを強力に提案できる立場と、それを無私にできる存在の価値というものは、今でも、いや今だからこそ、ますます重要になっているような気がする。

親がそれが難しく、教師に要求するものでないとしたら、それができる誰か、を作らなくはいけないのではないか。