ギブギブン

1ヶ月毎日ブログ書く企画ではじめたブログです。

ファッション雑誌について人生で初めて考えた

前回から続く?というわけでもないけど。
ドラマ校閲ガールの中心的舞台のひとつ、ファッション雑誌編集部をテーマにして、そもそもファッション雑誌ってなんだろうと考えてみたい。

まず、なぜこのデジタルメディアが旧来のメディアに取って代わる時代に、アナログの紙に依然影響力があるのか?という疑問があるのだけど、このドラマを見ている範囲で思うこととしてはその答えになりそうなものが3つ思いついた。
1つめは「リソース確保のしくみ」
2つめは「人材の採用と育成」
3つめは「紙であることの強み」

1つめは、たとえば新作のアイテムのようなファッショントレンドを作り出す/体現するのに必要なリソースにアクセスして確保することがゼロベースには大変で、それに比べると既存の体系を持っているファッション誌の編集部をデジタルメディアがリプレイスすることは見た目以上のハードルがあるのではないかということ。

2つめは、編集者やスタイリスト、カメラマン、あるいはモデルなどの専門性ある人材を確保して、育てることが継続的なトレンド発信には重要になってきて、それもまたデジタルメディアを作るだけでは決してすぐどうにかなるものではないからだと考える。たとえお金があっても、お金を適切な人に使って、その人がうまく動いて連携してトレンド発信のアウトプットまで持っていくのは大変そうだ。

3つめは、これは媒体特性として紙であることが強いのではないかということ。実際スマホタブレットはどんな大画面といってもせいぜい10インチ程度だし、何よりそれをユーザ側が所有していることが必要。それに対して紙の大型サイズの雑誌は、見開きでインチ換算でいったら20インチには達するだろうし、フルカラーにもできて、なにより雑誌そのものが表示媒体なのでユーザ側のデバイス制約がない。そして、書店やコンビニなどで、その大きさやロゴ、表紙モデルの眼力などなどユーザを誘引することができ、さらにコミュニティのなかでの回し読みなんて効果も期待できる。
たとえば小説や漫画であれば、省スペースで自分ひとりが読めればいいのだから、自分所持のデバイスで5インチくらいあれば充分かもしれない。対してファッション雑誌は、月に1回くらいの発売であり、熟読を要するというよりも、目に飛び込む第一印象やイメージ、感性を引きつける、そしてトレンドの移り変わりを読者に印象づけることがメディアとしての主目的である。あるいは今作の主人公河野悦子のように、保存して見返して、辞書的/アルバム的に使う人もいるだろう。このようにユースケースを考えると、このアナログの大きくてまるでアルバムか図鑑のようになった紙雑誌の合目的的なパワーはそうそうリプレイスされるものではなさそうだ。

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と、ここまで書いてこの推測が当たっているかどうか、答え合わせのつもりでざっと調べてみた。
2017年上半期のファッション雑誌の販売ランキングがちょうど2日前に発表されていた。 (*1)

女性ファッション雑誌『リンネル』(177,052部)は月刊女性ファッション雑誌の販売部数において、2位の『sweet』(175,844部)を僅差で抜き、初の1位となりました。
(中略)
『リンネル』は、2010年10月に創刊し、「心地よい暮らしと装い」をコンセプトに、“暮らし系女子”という新たな市場を創出・開拓。10代から70代と幅広い世代の読者を獲得しています。

おもしろい!2010年創刊というと、まだ8年しか経っていない。まさに情報のデジタル化がどんどん進んでいく只中に創刊されて、ついに1位をとるまでシェアを伸ばしたというのは。

ざっくり考えられる要素は2つ。1つめは、リンネルが圧倒的に支持を伸ばした。2つめは、ほかの雑誌が伸び悩みシェアをおとした。ちょっとここを深掘る時間はないので、要素を上げておくだけに留める。

リンネルの公式サイトを見て、特徴に感じることが2つあったので記載しておきたい。(*2)

1: 付録の存在
2: 公式通販サイト「クラリネ」の存在 (*3)

1つめ。付録としては、ムーミンのネイルセットが6月号にはついているそうだ。これは確かに、物理本だからこそできる魅力である。書籍のロジスティクスに載せることで、付録という価値あるアイテムをコストをかけずに届ける。これによって、購買に相当つながっていそう。
2つめ。公式通販サイトは、ざっと見たところでは必ずしも雑誌本体と強い連動があるわけではない(雑誌で紹介するアイテムを買える、というようなものではなさそう)。では何を狙っているのかというと、私はこのサイトを見た時に、すごく「ほぼ日」っぽいなあと思ったのだ。(*4) コラムがあって、企画商品の販売ページがある。コンテンツを読む体験から、購買につながる上質な体験をつくるこことに努めているように感じた。
このサイトがあることで、むしろ雑誌側とは切り分けて、実験などが行いやすいのでは?という仮説を立てた。サイトでうまくいった企画を雑誌に持ち込むとかもできそう。雑誌の場合はシーズナリティから逃れることはできず、情報もストックできないが、逆に旬を伝えるパワーは大きい。いっぽうサイトは情報がストックされ、蓄積コンテンツになる。
この雑誌とサイトの巧みな2つの接点を持つのが、2010年創刊という新規参入者だからこそできる強さなのかなーと想像した。

ということで考えると、これまでアナログ雑誌としてもてはやされたファッション誌も、ただ同じことを続けていては、新しい実験や挑戦ができず、市場のトレンド変化や経済的背景の変化を追いきれず、凋落する可能性は高いのかもしれない。

ファッション雑誌とは、ただ雑誌にとどまらずに「ライフスタイルを提案するメディア」というビジネス・テーマとして、考えるべきなのかなーと思った。

以上、ゆるゆると考えてみた。


*1 www.sankei.com

*2 tkj.jp

*3 kuraline.jp

*4 www.1101.com

じみすご校閲ガールの緩急にズッキューン、つまり石原さとみに惚れる

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「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」というテレビドラマがある。(1) 「校閲ガール」という小説が原作。(2) 主演、石原さとみ
物語としては出版社の校閲部に配属された、しかし本人はファッション大好きでファッション雑誌編集部への異動を強く願い出ているという主人公河野悦子とその周りの人物のドラマを描いている。2016年秋の日テレで放送。いまはHuluなどで視聴可能。2週間は無料で見られるので、一気に見て解約すればお金はかからないのではと思う。 (*3)

私はリアルタイムでは見ていなかった(その頃は逃げ恥に夢中だったのだ!)のだが、最近友人に「石原さとみがかわいすぎて辛い」とこぼしたところ「校閲ガールこそ至上、すぐ見よ」と言われて、それは見ないとなーと思ってチェックしてみた。その結果、確かに石原さとみ氏はかわいいのだが、それにとどまらずドラマとしてもとてもおもしろかったので(まだ見てる途中だけど)軽く記事にしてみようと思ったのだ。

私の解釈では、このドラマは「会社仕事と恋愛を二軸中心においたドラマチック・コメディ」である。
河野悦子は、校閲部員なので、本来は原稿のチェックだけしているはず。なのだが、それではドラマにならないので(笑)持ち前の探究心と自分で解決しない気が済まない主義を発揮して、あらゆるところに顔を出し、足を運び、問題を起こしたり、それを解決したりして、エンターテインメントを巻き起こしていく。

なぜこれが面白いのかというと、私の考えでは「あきらかな虚構と現実っぽい部分の割合配分、そして見せ方が巧みだから」である。

もし本当に校閲部員が外に出なかったら、現実感は100%かもしれないが、ドラマとしては全く面白くない。しかしでは名探偵か超能力者のごとくになんでもかんでも自力で手柄を上げる話だとしたら、まったく現実味がない。そもそもなぜ校閲部なんていう設定にしたかの必要性が誰にも感じられなくなってしまう。
したがってこのドラマでは「校閲部なんだけど、そこからほどよくはみ出る」演出にして、結果的に「リアリティ」あるドラマ感を紡ぎ出している。

このリアリティを支えているのが、俳優陣のデフォルメがよく効いた(しかし過剰と感じさせない)演技であり、とりわけ石原さとみの好演なのだ。何が良い演技と認識させるのか? それは無茶な設定を飲み込んで、そのままリアリティの側に引き寄せていってしまうほどの「演技のテンションの緩急」にある。

たとえばいやみな社員に激昂するときには信じられない早口で事実をマシンガンのように打ち込んでみたりしつつ、好きになった男の子の前ではかわいく見せようとしつつ挙動不審さが出てしまう間抜けな感じの演技を見事に使い分けている。これは実際我々が人付き合いを考えてみれば当然で、相手と状況によって話し方や使う言葉も全然変わってくるはずだ。それをドラマの中では緩急を特に中心にして、違和感なく世界観を構築していってしまう。

また演出の妙として、「ファッションの緩急」もこのドラマのリアリティ構築には欠かせない。地味な校閲部員の藤岩さんは普段は10年ものの古いスーツに身を包んでいるが、実はずっと大ファンだった四条先生の待ち会では、河野悦子の手助けを受けてメイクして派手なドレスを身にまとい、感情の高まりと解放を心から楽しむのだった。また、叩き上げで登りつめた伝説のスタイリストであるフロイライン登紀子は、最初は無駄を嫌う高飛車な人物に見える描かれ方をするが、河野悦子や編集部森尾の本気の努力を認めて、最後にはなぜかダサい漢字Tシャツを着て楽しんだ写真を校閲たちにメールしてくる。これもまた、トップスタイリストが仕事の中身は違えどプロだと認めた相手を信頼して、違う自分の側面を衣服を通して見せることで関係が構築されたことを伝える演出である。
トップスタイリストがダサいTシャツを着る姿を見せるのは現実ではないかもしれない。が、だからそこ物語の中でリアリティを感じさせて、見る者を思わずニヤッとさせてしまうのだ。

さて私自身はファッションに興味は薄いし、ただ石原さとみ氏が好きなだけで見始めたわけだが、文字を綴るのは好きで、校閲という仕事もなんとなく響きだけは知っていて少し関心は持っていた。それがこのドラマを通してなんとなく知識を得られて、とっても見て良かったなーと思っている(まだ途中だけど)。
そして面白いことに校閲もそうだけど、女性ファッション誌というビジネスにも興味が湧いてきた。
長くなったので、これは次の記事にしよう。

いや、しかしね、石原さとみは悶えるほどキュート。

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*1

www.ntv.co.jp

*2 校閲ガール (角川文庫) Kindle版

*3 地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子 が見放題! | Hulu(フールー) 【お試し無料】

宇宙スタートアップの未来には、夢を形にする熱意が集う

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「SPACETIDE 2018」という宇宙産業・宇宙ビジネスをテーマにしたカンファレンスに参加して、いくつかのセッションを聴講してきた。 (*1)
業界のリーダー、トップランナーと呼ぶにふさわしいメンバーが集まって、トークを繰り広げる、まさに宇宙事業の先端の集合地点というような場だった。

話を聞きながら、いろんなことを思ったのだけど、一言で自分なりの感想としてまとめると。

「宇宙産業は既存の事業づくり・事業拡大の手法や定石が通じないことも多い困難なフィールド。だからこそ、チャレンジスピリットに溢れた人たちが集まってくる。」

まず事業づくりという意味で考える。
この10年くらいで特にスタートアップ界隈から普及した「リーン・スタートアップ」という考え方ならび事業開発手法がある。私なりの解釈としては「小さく始めろ、顧客に試作物が刺さるか仮説検証しろ、そのサイクルを高速で積んでいきビジネスが顧客にフィットして伸びていくかにたどり着け」という手法だ。
この手法は、特にWebサービス開発においてはすさまじく相性が良かったと思われる。試作品(Minimum Viable Product = MVP,実用最小限の製品)を作るにしてもWebならばコストもかからない、すぐ作れる。そして仮説に基いて顧客に試してもらうということも行いやすい。B2Cはもちろんのこと、B2Bでもこのやり方で事業発展の突破口を開いたケースは多い。

しかし、宇宙産業と考えた時に、リーン・スタートアップの手法は俄然ハードルが上がってくる。
先に断っておくと、宇宙産業といっても「宇宙空間やそこにあるモノ、情報などを利活用して地上の既存事業にインパクトをもたらす」タイプ(たとえば衛星情報を使って農業効率化とか)と、「宇宙空間や他天体の開発等によって、事業分野それ自体を開拓していく」タイプ(たとえば月面を開発して資源採掘するとか)とでも、相当に本質が変わってくる。
とはいえいずれにしても、Webでソリューションを体現していくような事業とは違って、緻密かつ丈夫な宇宙用ハードウェアや、あるいはまだ存在しないデバイスやシステムを1から作っていくような「難易度が高く、費用が桁違いにかかる」挑戦していくことが欠かせない、ということも多い。
こうなってくると、リーン・スタートアップのような手法は、Webサービス開発のときにような進め方が難しい。というのは、何かをつくってまず実証しようというだけでもとんでもないお金がかかるので、出来たてのベンチャーや小企業にはかなり大変なのだ。

だったら資金調達してくればいいじゃないですか、というのも半分はそうだと思うけど、もう半分はそうそううまくいかないというのもなんとなく分かってきた。というのは、多くのベンチャー・キャピタルは、それぞのファンドに償還期間があって、だいたい10年くらいが多い。そうなると、投資したベンチャーがその期間内に結果(IPOや買収など)を出してくれない資金が回収できず、そうなるくらいなら投資しないよ、という力学が働いても全然おかしくないのだ。

ispaceという月面探索ローバーを開発するなどで有名なベンチャーが昨年101億円の調達をして話題になった。(*2) これは世界を見回しても珍しい、シリーズAでの巨額の資金調達であったそうだ(SPACETIDEの登壇者のどなたが言ってた)。このニュースを読んでみると、資金の出し手がいわゆるVCより一般的な大企業といわれる企業が多いことに気づく。
事業会社であれば、ファンドの償還期間の縛りがないし、またほかの事業で会社に利益が出ているなら、投資事業でしっかりリスクを取ろうという大きな決定ができるのではないかと思った。

宇宙に飛び出て世界の誰もがやっていない事業をやるというのは、基本的にどこまでいってもリスクが大きい。というか、リスクを算出するに充分なほどの過去の実績を世界の誰も持っていないということになる。
仮になんらかの事業(宇宙以外)で成果を出している人がいるとしても、その人の経験が必ずしも宇宙ビジネスでもマッチして結果につながるかどうかは正直わからないのだ。

どう転ぶか分からない。産業の未来の方向性の予測は立てることができるし、みな必死でやっているけど、予知はできない。その現状状態を、無秩序で前例がないからイヤだと思うか、カオスへの挑戦だが自分が道を作るチャレンジの場ととれるかどうかで、宇宙ビジネスに取り組む人、組織が成果を出せるかの確率もまるで変わってくるはずだ。
別の見方をすると、テクノロジーに徹底的に依拠し、それでようやく初めて可能になりうるという困難な挑戦だからこそ。逆説的だが、人ひとりひとりのマインドセット、そして人の集合体たるチームや組織のマネジメントによって、結果がまるで変わってくるとも言えそうだ。
SpaceXやBlue Originに限らず、あらゆる宇宙スタートアップは、テクノロジーという変数はどのみち突き詰めざるを得ない(ことが多いと思う)。その中で「人・組織」という変数をどう扱っていくか、結果が出るようにチューニングしていくかが問われるということ。

とにもかくにも、宇宙ビジネスに関して本気をかけて本気で熱い人々が集まるんだな〜というのが分かってきて。お金や肩書だけなら、もっとそれを得るに近道な業界、業種はあるはずだけど、まさに「夢」があって、そこを追うことに誇りを持っている人たちがどんどん集まっている。
本心で、本当に納得してわくわくできる仕事をすることが、こと宇宙ベンチャーにおいては、職責や立場に関係なく、すさまじく大事なことに思った。それをできる組織は強い、というかそうであってはじめてハードな道の先にたどり着ける。運も、味方にして。

特にオチはないけど。そこに何か少しでも関わっていくことはできたらと思う。

そういえば先日NHK BS1で放送されていたispaceの月面探索レースへの挑戦を追ったドキュメント番組も、面白かった。ローバーを徹底して改良していくプロセスが丹念に特集されていて、その技術水準の高さと実装力、そこにこめる情熱がひしひしと伝わる番組だった。5/13(日)10時に再放送するようなので未見の方はぜひ。(*3)


*1 www.spacetide.jp

*2 japanese.engadget.com

*3 www.nhk.or.jp

桐島、日本辞めてアルバニア行くってよ。

昨日のこと。久々に会った友人が、アルバニア移住を計画しているという驚愕の話をしてくれた。
えっ、アルバニア...? どこですかそれ。どうやら東欧らしい。

アルバニアは90年台前半まで、鎖国をしていたのだという。また、鎖国の解かれた後で、国民の約半数がねずみ講の被害に遭ったのだそうだ。(*1)
もはや詐欺の被害のスケールが大きすぎてよくわからないレベルだ。

どうして友人がアルバニアに移住しようと思ったか。そこにはかなり納得いく理由があったので、ざっとご紹介したい。

まず、前提として日本の日々の暮らしが大変だと。会社づとめをしているが、給料は生活費や家賃を払ったらほとんど残らず貯金もできない。一方で仕事は決して楽なわけではなく、日々仕事のスケジュールに追われて辛いのだという。
なお友人の名誉のために言っておくと、彼は頭の回転も早いし、一緒にボランティアのプロジェクトを回していたときも頼れる人であった。仕事をする意欲に欠けている、とかではない。でも実際会社で働くのは、精神的にも肉体的に辛いのだろうなと想像できた。それでいてお金も貯まらないとなると、なかなか未来を描いて明るい気持ちになれないのも分かる。

ということがあって、さてどうやったら楽しく暮らしていく、未来志向で生きて行くことができるかと考えた時に海外移住という選択肢が出てきたのだという。
要するに、物価や地価など、生活コストの安い国に住みながら、日本などの相対的に報酬の高い国の仕事を受けて、お金を稼げば、その差分で、実労働時間を減らして、ゆとりを持って暮らせるだろう、という仮説を立てたわけである。

実際、いまやクラウドソーシングや業務委託、ほかにも色々と形態はあるが、リモートで一度も物理的に顔合わせせずとも日本の仕事を受けて、完遂して、報酬を手に入れる方法は、当たり前のものになりつつある。インターネットと仕事のできる端末さえあれば、どこだって仕事になる時代だ。

ということで、お金を稼ぐほうはなんとかなりそうだから、あとはどこに住むかという話である。

この友人が賢いなーと思ったのは、「生活コスト」「食事」「インターネット」「治安」など、様々な基準を設定して、移住候補となる国のスコアをそれぞれの基準ごとに点数を入れて、その国ごとの評価点数を算出したことである。もちろん、それらの基準には、大切だと感じるもののスコアが高まるような重み付けも入っている。

その重み付けを入れたスコアリングを試行錯誤してみたら、どうやらアルバニアが有望そうだ、という結論に達したとのことであった。

アルバニアは生活コストが極めて安いそうだ。まず土地が安く、100ユーロ(1万2000円くらい)出せば、それなりの広さの土地を 買えてしまう らしい(笑)。借りるんじゃなくて、買える。そのレベルだそうだ。もちろん賃貸物件みたいなものもあるが、それも広さや間取りを考えると、日本の都市部とは比較にならない安さとのこと。
また食費もかからない。なんとじゃがいも1kgで20円程度だという。これまた安すぎてよく分からない。じゃがいも好きなら、いったい月いくらあれば生きていけるか。

あとは治安も良いそうだ。国全体でねずみ講に遭うような目に遭いながらも、結構オープンな国民性で、無宗教の人が多いことも手伝って、宗教対立みたいなものも少ないそうだ。

そして、インターネットもしっかり使えるので、仕事をする上で問題なし。

なお、おまけとして(いや、とても大事?)日本人男性は現地の女性にモテるのだそうだ。これはでもソースがないので、彼の願望が入っている気がしなくもないけど...(笑)。

こうして彼はアルバニア移住の決意を固めつつある。

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私は、この話を聞いて、とっても良いなーと思っていて、すごく応援したくなった。実際日本にいて、閉塞感を感じている、疲れてしまっている中で、「もっとがんばる」「がんばって会社で仕事し続けたらいつか報われる」なんてとても言えないし、実際私もそんなことは思っていない。会社でただがんばれば一生が保証されるような時代はとっくに終わった。

むしろ、もしアルバニアでゆとりある楽しい暮らしを実現して、たとえばその生き方を発信していくなどして、ユニークなポジションというか、キャラクターを確立していくことができたら。それこそ圧倒的な差別化であり、もっと人生楽しいほうに転がることも全然あるだろう。

なお、アルバニア在住の日本人は17人しかいないそうだ(笑)。いやはや、希少価値あるね。

ということで、彼のアルバニア移住が実現するのか、そして実現して時間が経つ中で彼が何を思うのか。興味はつきない。


*1 on-the-road.co

20分以内でブログを書くことに成功した。時間泥棒をタイホした!

ブログを2日書いて発見したことがある。
1記事、20分で書きますと宣言して、結局のところ2日間とも、2時間くらいかかってしまっているのだ。
なぜこのような想定と乖離している事態が起きたのか。

同じ今回のブログ企画仲間のYukonさんの私のブログへのコメント(参加メンバー専用のグループでの会話)で気付かされた。

どっしり詰まったこの内容!20分でかけたらかなりすごいです!!笑
細かな引用まで

引用。犯人はこいつだあああ! ルパァァン! ついに見つけたぞ〜! いやルパンのたとえは適切ではなかった。銭形警部もルパンが犯人なのはとっくに知っていて、単純にいつも逃げられているだけ。犯人が誰か分かった、というのはルパン3世で喩えてはいけなかった。

話が逸れた。とにかく私が書く文章は、やたら引用が多いのである。あるいは引用というか、ソースの参照とかも含めて、とにかくどこかから情報を引っ張ってこないと満足しないのだ。

その結果起きていることは、
「ソースを探す」
「ソースから必要な情報を取り出す」
「その情報をブログの文章に入れ込む」
「引用元、ソース元を記載する」
という4つのプロセスが入ってしまう。これはもう、時間泥棒確定だ。

いや、この書き方にはまったく問題はないのだ。実際の所、データやソースに基いて、出典を明確にして、自らの論を組み立ててアウトプットすることは、なにかを主張するときの最も基本的なスキルであり、ルールであると言っていい。
ただ、やたら時間がかかるので、毎日ブログを書くという負荷が大きい取り組みをするときに、それを毎日やっていたら時間もエネルギーもブログに取られて昇天してしまう。だから、これはやめたいのだ。

しかし、これも自分ひとりで取り組んでいては絶対に気づけなかったこと。同じように取り組むメンバーのおかげで、共通点や相違点が浮き彫りになったり、ピアレビューができるので、気付き→問題の定義→解決策の試作と実行、というサイクルがまわるのだ。ありがたいことだ。

ということで、このような感じで今日からのブログは書く。引用とソースいっぱいのブログは、また今度! なにか別の場所か別のときかに書きます。

あ、でも時間はかかるとしても、画像(OGに出てくるやつ)だけはなんとなく入れたい。この拘りくらいはあってもいいかも。自分のGoogle Photosや、フリーの写真素材サイトから拾ってくるくらいで、いいので。

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ということで、今日の画像は、先日訪問した中国、深圳の街並み。ちょっと加工した。別に空気はよどんでいません(笑)。なぜ深圳の空気がきれいなのかについては、また書きます。コレは実はとても大事な話がはいっている。

ここまで、15分で書けた。アップロードしても20分で済みそうだ。やればできるじゃん!

女優とIT起業家の沖縄旅行の報道について、誰にも頼まれてないけど出撃してみた

今日、週刊誌が俳優の石原さとみさんと、SHOWROOM代表取締役社長・前田裕二さんが沖縄旅行に行ったことを報じたそうだ。(*1)

石原さんというと最近ではTVドラマ「アンナチュラル」にも主演していた人気女優。
前田さんがスタートアップの経営者であるところから、スタートアップ界隈でも騒然としているらしい。

私もスタートアップ界隈のはじっこにいる人間として率直な感想を述べよう。
うらやましい。
うらやましいぞ...。

っていや、別にスタートアップ界隈にいてもいなくてもあまり関係ないかこの気持ちは(笑)。

私は映画「シン・ゴジラ」 (*2) を今年に入ってから16回観たのだが、その度に石原さん演ずるカヨコ・アン・パタースンのセクシーな唇に目を奪われていた。出演者の中で圧倒的に目を引くんだ。あの日本語と英語まぜまぜの喋りがもう脳から離れない。「ガッズィーラ」。

いや、というかそもそもシン・ゴジラにメインで出ている女性って、あとは市川実日子さん演ずる尾頭ヒロミくらいしかいないじゃん。あと片桐はいりさん演ずるお茶淹れてくれるおばちゃん。前田敦子さん演ずるトンネル事故に巻き込まれた女性。ってこのへんはもう出番一瞬やないかい!余貴美子さん演じる防衛大臣内閣総辞職ビームで死んじゃうし...。

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大脱線だ。大脱線した。無人新幹線爆弾もびっくりだよ。話を戻そう。

キャリコネニュースというメディアでは今回の報道を取り上げて、

「こういうニュースが1つ出ることの方が、起業家増加に寄与する気がする」

と発言する人もいる、と書いている。 (*3)

いやいや...。

起業家であることは石原さんと付き合うための必要条件だろうか。
違う。
前に石原さんと交際していたのはジャニーズの山下さんと言われている。(*4)
起業家だから石原さんと付き合える、普通に考えてそんなわけはない。

週刊誌ソースなのでどこまで本当かはよくわからないが、石原さんの2017年のギャラは4億円超だそうだ。 (*5)
そのギャラのうちどれだけが事務所に入って、石原さんにはいくら入るのかよくわからないが、仮に半分の2億円が本人の収入で、そのうち半分が税金で持って行かれると仮定しても、手取り1億円である。
年間に1億円手取りで入ってくる人が、自分以上の年収を持つ人を確率として非常に困難だろう。
今回、ポイントとして、「IT起業家=お金持ち」という謎のラベル付が起きているようで、それにちょっと待てというのが今回のブログの主旨である。

日本ではスタートアップについての適切な知識・情報が広まっていないこともあってか、テレビや雑誌に出るような一部の経営者像が、スタートアップ(いやベンチャーと表現されるほうが多いか)経営者のテンプレだと思われているフシがある。
具体的には、堀江貴文さん、あるいは最近だと前澤友作さん(ZOZOTOWN)もそれに入ってくるかもしれない。

でも、彼らは上場させた会社のトップであって、それができているベンチャー経営者は、IT起業家のごく一部でしかない。ほとんどの起業家は、そもそも創業した会社を株式上場させていない。はるかその手前にあるとか、あるいは上場ではなくM&Aという選択をするとか、そもそも会社が潰れた、事業が頓挫したというケースが一番多いはずだ。

そもそも今回の前田さんは、DeNA100%子会社のトップなので、このまま仮に事業が軌道にのっても、自分の決定で上場に持ち込めるわけではない。したがって、一般的なイメージの「お金持ちの有名ベンチャー社長」にはなりえないと思われる。
たぶん身も蓋もないことを言うと、石原さんのほうがずっとお金を持っているだろう。

要するに、何が言いたいかというと、前田さんが石原さんと付き合うことになったのは(って沖縄旅行に行っただけだから付き合っているかは不明だが、ひとまずそういうことにして話を進めないとブログが書き終わらない)、ひとえに前田さんの魅力があってこそであって、起業家であることはほとんど関係ないのだ。

しかしながら。私の身の回りを観ていても思うが、起業家にはとてつもなく、人間的に魅力あるひとが多い。これもまた真実だとは思う。
それは、元から魅力ある人が起業したのか、元はそこまで魅力あふれるわけでもなかったけど起業して事業を成長させる経験がその人に魅力をもたらしていったのか。どっちもあるだろうし、人によってその割合も色々だろうし、いやもっと言うと魅力なんてものは定量化できないので、私が魅力と感じるところも別の人にとっては魅力でもなんでもなかったりすることも多いハズ。

なので話を戻すと、起業してもほとんどの場合はお金持ちにはならないし、社会的にも有名にはならないし、石原さとみさんと付き合えるわけでもない。
そもそも最初から「石原さとみと付き合いたい」と思っているのだとしたら、それは石原さとみさんをただステータスの伴うアイコンとみなしているわけで、それを所有して、社会から羨望の目で観られたいということになるわけで。多分に承認欲求の肥大化、それだけだろう。
いや、ほんとにファンだから付き合いたいんですと言うひともいるかもしれないが、ファンはファンであっては永久に対等なパートナーにはなりえないので付き合うことはできないだろう。

いやもちろん。今回の報道を発端にしたネタについては、ほとんど多くのひとが冗談で言っていることは分かっている。分かっているけれど。
スタートアップ業界の片隅で、私自身は起業してないでフリーランスとして、起業家の方々から仕事をいただいて生計を立てている身なんだけど、起業家の方々が大好きで尊敬しているし、本当に世の中を良くしていくような起業家が増えてほしい。そして、そんなスタートアップ起業家という生き方が誤解されたくないと思って、アクセス数のすくないブログでなぜか熱弁をふるってみた。
というか、誰も誤解していないというか、そもそも知られてないことが問題だよね、って上で私は自分で書いてるじゃん。そう、問題はそこなんですよ。なぜ日本にアントレプレナーは増えないか。これは、ここで一瞬で語れるような話ではないので、またいつかちゃんと書きたい。

ということで、私としては、まずは先日知人に勧められた石原さん主演のドラマ「リッチマン、プアウーマン」 (*6) でも見ようかと思った。ITベンチャー社長と、就職難民女子の恋愛ドラマらしい。っていうか、このドラマでのベンチャーの描かれ方が気になる。

けど、途中で挫折した場合は今年17回目のシン・ゴジラを観ると思う。どんだけシン・ゴジラ好きなんだよ。
シン・ゴジラについては書きたいことがありすぎるので、また今度。

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*1 沖縄離島リゾート旅行へ 石原さとみの新恋人は1歳下のカリスマIT社長 | 文春オンライン

*2 シン・ゴジラ Blu-ray2枚組 amazon.co.jp

*3 石原さとみとIT社長の熱愛報道で「起業する」「有名起業家になって推しメンと熱愛スクープされたい」の声多数 | キャリコネニュース

*4 石原さとみと山下智久 超厳戒態勢で自宅マンションデート│NEWSポストセブン

*5 【芸能人の長者番付2017】日本のタレント・女優の年収ランキング|最新版

*6 リッチマン、プアウーマン - フジテレビ

「メタブログの逆襲」そもそもなんでブログ書くの?

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31日間連続でブログを書くという企画に、またトライすることになった。

わたしたち1ヶ月毎日ブログ書くから読んでね!

私自身としては3回めのチャレンジ。
要するに毎日ブログを書くだけなのだが、ひとりだと辛いからみんなで一緒にやろうというのがミソ。今回は6人のメンバーが参加している。
全員対面で会ったことがある方なので、苦労して毎晩(毎朝?)PCに向かっている姿が想像がつく。

と、今ここで私はさらっとウソを混ぜた。ウソというと表現が違うかな。私の想像の産物を前提にしているというべきか。

「PCに向かっている姿」

ここ。 要するに、PCに向かって、キーボードを叩く姿を勝手にイメージしているということ。

そんなわけ、ないよね。

いまやスマホの所持率は日本全体の平均で8割に近い (*1)。
特に、毎日ブログを書こうなんていう趣味の私たちは全員持っている。
そして、ここが重要なのだが、スマホのユーザエクスペリエンスが劇的に高まっている昨今、ブログに代表されるような長文の入力も全然苦労しないのだ。

いくつか、これが可能になっている理由はあると思う。
1. スマホの大画面化、高解像度が進み、画面に表示できるテキスト量が増え、推敲しながらの入力がPCに近いレベルで可能になった
2. スマホのCPUが高性能化し、OSや個々のソフトウェアの機能が向上したことで、安定してさくさく文章入力できるようになった
3. ユーザがスマホ体験に慣れたことでユーザのスキル自体がアップし、何より意識としても当たり前になった
こういったあたりが主だろうか。

数年前には、「スマホで大学の授業のレポートを書く学生」なんていう旧世代からの批判めいた言説も見た記憶があるが、いまや学生にかぎらずスマホで書くほうが楽だし早い、という人は相当な割合に上るだろう。なにより、場所を選ばず、通勤通学の電車内やちょっとした待ち時間にでも執筆できるメリットは強力だ。
今回私がやっているような「毎日ブログ書く」などという時間的縛りがかかる企画においては、なお相性が良いかもしれない。

さらにスマホを使うことでもっと効率良い執筆方法も存在する。

それは音声入力だ。

なぜ音声入力がすごいのか、についてはNaoki Shibataさんのnoteが詳しいので、こちらから引用する。(*2)

情報を出力する場合「話す」方が「書く(タイプする)」よりも4倍以上速いのです。

ここに尽きるだろう。
これも数年前の音声入力(をテキストに変換する)ソフトウェアの精度が低い時代には夢だった。いまやスマホの高性能化、言語認識ソフトウェアの精度向上によって、もはや夢でもなんでもなく、通常の実用技術となった。

であれば、使うしかない。
と思って、私も今回、ブログを書くために使ってみた。

結果。
ダメだった。
ダメだったので、今この文章はやむなく、ノートPCに向かってキーボードを叩いて書いている。

何故ダメだったのか?

音声入力の精度にはほとんど問題はなかった。
私の持つAndroidスマホGoogle音声入力をインストールして、メモ帳アプリにしゃべれば、かなりの精度でテキストが書き出されていく。最後、それの句読点と誤変換を修正してレイアウトを調整すれば文章にはなった。

文章にはなったのだが、それは自分の評価基準からすると「他人に公開できる水準にはなかった」。
これが、ダメだった唯一にして最大の理由である。

Shibataさんも言及しているように、音声入力の強みは「どんどん入力する」ケースで発揮される。メモをとる、とか。しかし私にとってブログは、なんらかの意思と意図をこめた文章であり、「推敲&編集」を欠くことができない。

したがって、時間軸を戻ることなく音声入力によって生成されたテキストには、文体を通した自己認識が欠落しており、背筋がぞっとするような違和感が生じてしまうのだ。

たしかに音声入力は早い。たとえば字数を増やすことが第一目的なら、間違いなく音声入力を選ぶべきだ。 しかし、そこに推敲と編集を入れたいという気持ちがある限り、生成された文章の体裁、一貫性を整えようとする労を考えると、どうにも音声入力を使う気が湧いてこないのだった。

ただし。私が旧時代的な常識思考に鹵獲されているところもあるとは思う。
たとえば、すべて音声入力にするのではなくて、部分的には音声入力を使い、残りはタイピング(またはスマホのテキスト入力)を使うということも可能なはずだ。

少し話を飛躍させる。

これからAI(というとバズワードを使っているだけ感がするのだが、ソフトウェア全般という意味でここではご理解いただきたい)が発達することで、文章の生成それ自体もAIで行うことは増えるはずだ。
今だとまだ、ニュースなどで一部で使われるにとどまっている。 (*3)
だが研究開発が進むことで、違和感のない文章生成が可能になるケースもだんだんと増えていくだろう。
そうなったときには、AIが生成した文章を多少アレンジする程度で自分の書いた文章として発表しても、誰も見分けがつかないうことは起きうるはずだ。別にそれで問題がないことも多いのだろうと想像する。
さてそうなったとして、それはそのひとの書いたブログといえるのか? 考えてみるとなかなか難しい。

そもそも私はいまブログを書いているけれど、このブログなるものも、2000年代前半から流行り始めて、いまは既にトレンドのピークを過ぎたと感じる人も少なくはないだろう。それまでブログに書かれていた文章は、SNSに書かれるようになったのかもしれないし、noteのようなプラットフォームに書かれるようになったのかもしれない。あるいはYouTubeのような動画、Instagramのような写真での発信に置き換えられている部分もあるだろう。またはLINEやメッセンジャーでスタンプを送ることで解決されていることもあるのだろう。
文章を書きたいから書く、というよりも自分の思いを残したい、誰かに見てもらいたい、そういった動機が根底にあるのだとするなら、自分の思いをより反映させられると感じる媒体を選択するのはごく自然なことだ。
その選択の傾斜が加速するとき、書くこと自体は残るのか?

などなどと考えてみると、
なんのためにブログを書くのか?なんのために読むのか?
これは、当たり前のようでいて、意外と向き合ってみるとひとりひとりに違いが見える、面白い問いかもしれない。

って、考え始めるとキリがないので、今日はここで終わり。
20分で書くはずが、1時間半もかけてしまった。明日からは20分で書きたい。

ちなみに、この記事のタイトルは、「ブログをメタってる謎のメタブログ。うわ、響きがメタナイトっぽい。そうだ、逆襲だ!」という思いつきで極めて安直につけられている。
一昨日、東京駅のキャラクターストリート内に特設オープンされていたカービィのショップ(*4) の影響が大だと言わざるを得ない。

カービィについては日を改めて書きたい。

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*1

【最新版】2017年のスマホ普及率を男女・地域・年代別に大公開!まさにスマホオンリー時代!マーケティングがこれからどう変わるべきか予想してみた。 | マーケティングリサーチキャンプ|市場の旬を調査で切る!

*2

https://irnote.com/n/nad1771b74997

*3

www.bengo4.com

*4

www.tokyoeki-1bangai.co.jp