ギブギブン

1ヶ月毎日ブログ書く企画ではじめたブログです。

極限での対話と交渉 〜東京電力社員の方に訊く、震災の物語 後編〜

前回 の続き。

お話された2人目は佐藤さん。
2003年に東京電力に入社されて、7年目の終わり際に東日本大震災が起きた。

佐藤さんは震災の年2011年の4月から新潟県・柏崎の「補償相談センター」の設置業務を命じられた。

その頃、福島県で被災し、放射線の拡散により住み慣れた地からの移動を余儀なくされた方々はバスに乗せられ、各地へ避難をすることになった。柏崎も避難先のひとつ。
強制的にバスに乗せられることになった方々は財布すら持っていない人も多く、着の身着のままという状態だった。避難先で物を買おうにも、お金すらない状態。
原発のあるエリアは福島県浜通りと呼ばれる沿岸部で、そこは雨や雪の少ない気候で、太陽が明るい土地だ。そこから、雪、風の強い、まったく見知らぬ新潟への避難。佐藤さんは「灰色」と表現した。

初めて避難所にいる被災者の方々のところに行く時。佐藤さんは、恐怖で手が震えたという。
自分たち東京電力は、この理不尽な避難の原因となっている会社。その会社の人間が、被災者と向き合う。
佐藤さんは、落ち着いた語り口だったけれど、その当時の心理を想像すると、胃袋のあたりが非常に重くなってくる。
どんな罵声を浴びせられるのか。冷たい目で見られるのか。
おおよそ平和に生きてきたら、まず晒されることのない状況。極限。

佐藤さんが避難所に足を踏み入れると、そこはダンボールの仕切りの高さしか遮るものがない、プライバシーもない場所だった。そして、そこに放置された。
苦しみ、怒り、憎しみ、悲しみ。そして「殺気」を体感したという。

東京電力の担当者は1人あたり、20人くらいの被災者の方と話をして、対応したのだという。上記のような感情のひと20人に囲まれること。また想像したら、胃が重くなってきた。

佐藤さんは最初怖かったのだという。だが、対話する中で
「東電は憎いがあなたを憎いわけではない」
「東電社員ががんばっていることは本当はわかってる」
「身体を大事にして」
といった言葉をかけてもらえるようになったそうだ。

そこで
「優しい心を持った方々が怒りに身を委ねるしかない」
という理不尽さに気づき、その方々に恐怖を感じていたことを恥じた。

そして佐藤さんは「自分は犯罪者だ」と意識して、涙を流すことを封じる決意をしたのだという。
なぜか。自分が泣いても何も変わらないから。犯罪者だと意識して、被害を受けた方から、目をそむけない。

ここを聞いて、私は本当に言葉がなかった。なぜ、苦しんでいる人の力になる仕事をする人(佐藤さん)が、自らを犯罪者だと自分に言い聞かせないといけなかったのか。

これは、単純でわかりやすい「悪の組織」をどこかに作って終わらせる話ではない。
そんなものは、いない。

人類が手にしてきた技術、政治、経済を活用してたどり着いたはずの「先進国」が、その中に生きる人達に理不尽を強いた。
これは前回書いた「日本に生きる全員の問題」という話と通じている。

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佐藤さんのお話のあとで、ひとつ質問をさせてもらった。
東京電力の社員の心のケア・プログラムのようなものはあったんでしょうか」と。
それに対する答えとしては、そういうものはなかったそうだ。
基本的には、そういった対応に慣れた社員が対応するのもあるし、そして辛い対応をするときにも、「スイッチが入った」状態にできたら、なんとかなるのだという。
ただ、子どもがいると辛いのだそうだ。「東電社員の子ども」と言われること。
また、社員の方の中には、震災を契機に離婚になった家庭も少なくなかったそうだ。結婚話が破談になったことも1つや2つではないという。

紛れもなく、東京電力の社員の方々は、被災者だった。
前代未聞の原発事故が残した傷跡は、知られていないところでも、深かった。
7年経って、ようやく知った。

野本さんと佐藤さんのお話のあと、聴講した参加者たちも一緒になり、「企業が福島復興のためにできること」というテーマでの、ワールドカフェのような対話の場を持った。
そこではそのテーマに沿った意見も活発に出た。
それ以外にも、私含めて、多くの参加者が「もっと多くの人がこの話を知るべきだし、伝わってほしい」という言葉を口にした。

7年経って、忘れられはじめていることもある。
けれど、7年経ったからこそ、ようやく語り始めることができることもある。
そして、情報の伝わり方は、日々変化していっている。

インターネット、そして様々なテクノロジー、サービスが普及する中で、かつてないほど、個人の発信力、のみならず双方向の対話のポテンシャルが高まっているのが今だと私は思っている。

とはいえ、相も変わらず、世の中の事象を単純化して、勧善懲悪を好んでしまうヒトの直情はアップデートされていない。それを気を付けないと結局テクノロジーやサービスがあっても、人の直情を増幅するだけになってしまう。

直情に流されず、オープンでフラットに、震災について思考し、対話すること。
この取り組み、私もできることを、やっていきたい。人を巻き込んでいきたい。
そう思う。

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この写真は、対話のあとの懇親会。
いろんな組織からの参加者がいた。この日に聞いた話から、衝撃を受けていた方が多かったが、同時に自分ごと、自分の組織でできること、というのを考えていたのが印象的だった。
ここから先に、つながりを活かす道は、なんだろうか?

なお佐藤さんから紹介いただいた東京電力原子力事故報告書はこちら。参考までに。

【120620】福島原子力事故調査報告書の公表について|TEPCOニュース|東京電力

フルーツポンチでは動けない 〜東京電力社員の方に訊く、震災の物語 前編〜

先日。縁があって、東日本大震災が起きた時に東京電力に勤めておられた方(今も引き続き勤めておられます)のお二人から、震災当時に何が起きて、どう対応したかを聞かせていただいた。
この話は、ぜひ記録しておきたいし、記憶しておきたいのでここに書いておく。
なお、オンラインで公開OKな内容であることは確認済み(すべて既に公表されている話ということなので)。

お一人目は野本さん。震災が起きたまさにそのとき、福島第一原発にいた。そして、津波によって全電源喪失という未曾有の危険事態に突入した原発を冷やすべく、仕事をされた。
既に明らかになっているように、東京電力社員の方々は線量の高いプラントにチーム交代で向かい、原発の状態を調べ、いかにして冷やすかを検討し、実行し続けた。
その過程で野本さんの外部被曝量は基準を超えて、これ以上の作業を続けることがNGというところにいき、原発の現場業務から離れることになる。
放射線を遮るために身につける装備は実に重く、暑いのだという。私達も、X線検査の時に、検査部位以外に重い鉛の装備をつけるけれど、あのような局所的なものではなく、全身を覆う装備だ。それをつけなくては作業が許されない。しかし、身につける装備によって体力もまた奪われる。
消防士の装備であれば、燃え盛る火から身を守る必要があることが、その高熱によって実感できる。しかし放射線は見ることもできなければ何も感じない。しかし、量によっては生物の身体に致命的ダメージを与える。見えない恐怖と戦うことはどれだけ勇気がいるのだろう。

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野本さんが過酷な原発での冷却業務の日々から学んだことをいくつか挙げてくださった。
・電気がないと何もできない
・食事が大事
・装備が足りない。装備がないと現場にいけない。

電力を生み出す電力会社なのに、いざプラントに危機が発生すると電力がなくては何もできない。
この強烈な矛盾。
東京電力やその他電力関係で仕事をされていた方が、このときに感じた矛盾は、想像に余りある。
燃料が尽きたら炉が止まる火力発電と違って、一度制御を失った原子炉は暴走を続ける。そのコントロールには電力が必要。
この構造の矛盾の重みは、なんともいえないものがある。

次に、食事。野本さんは聴き手の我々が実感しやすい工夫として、実際に原発の現場で、どんな非常食があって、どのようにそれらが消費されていったかをわかりやすく教えてくださった。
水を入れると熱くなって調理される食品、焼き鳥などの缶詰、ビスケット/クラッカー、フルーツポンチの缶詰、などがあったという。そして、今書いた順番に、消費され尽くしてなくなっていった。最後に残ったフルーツポンチでは、とても力が出ないし、頭がまわらないと感じたそうだ。そして、食事の重要さを痛切に思ったそうである。
震災当時、一般家庭や企業での食品備蓄の必要性の話は取り沙汰されたが、まさか原発がそうだったとは知らなかった。
あの時、日本で、いや世界で最も人類の未来を左右する仕事をしていた人たちの食事が充分でなかった、パフォーマンス発揮のボトルネックになっていた(可能性が高い)というのは、考えると恐ろしい。

そして、装備。つまり、装備も放射線で汚染されると使えなくなってしまうし、その数が充分でなく、現場に充分に人を送り込めないことがあったそうだ。これもまた、もっとも大事な仕事をするチームが物的ボトルネックで動けなかった可能性が高いというのも、備えの不十分さといえる。

野本さんに質問させていただいた。
「非常用ディーゼル発電機はなんのため?」と。
答えは
「炉を海水で冷やすため」なのだが、なぜその恐ろしく重要な設備が、海沿いの地域で、津波で破壊されるような状態が放置されていたのか、が問題である。
そこについて、50年前に原発を作った人たちはそれで良いと思っていたのだろうか、と訊いてみた。
答えは、イチエフ(福島第一原発)はアメリカの設計思想そのままに造られてしまった、ということ。アメリカでは沿岸部にはおかず、川や湖といった内陸の水源を冷却に使うのだそうだ。であれば当然、津波のリスクは想定不要。しかし、その前提の機構が太平洋に面する日本沿岸部でそのまま設置されてしまったことは、考えてみると不思議でならない。
野本さんも新入社員のときにその状況を見て「これでいいのか?」と思ったそうだが、それで良いということになっていて、点検もされているし、その疑問は封じて仕事をするようになったのだそうだ。しかし、地震は起き、津波が生じ、非常用電源は破壊された。

「もし」に意味があるか、という議論はあるけれど。
もし福島の沿岸部に原発を造るときに「津波が非常用電源を破壊して炉が制御不能になる危険はないのか?」と考えて提案して計画変更させることができるプロジェクトチーム&組織だったなら。
もし完成後の保守点検のプロセスに関わる組織が、「現状のこの状態で非常用電源が破壊されたらどうなるのか」という疑義を呈する人がいて、それに基いて対策を試みる組織であったなら。

と、こういう書き方をすると東京電力を批判したいように見えてしまうかもしれないが、そういう意図はまったくない。

二度とこの事故を起こさないようにするのは、私は東京電力の問題でも、日本国政府の問題でもなく。
日本国に生きてきた人すべてが当事者の問題なのではないか。
なぜなら、原発が抱えている危険を知ることなく、原発で生み出された電力が届き続ける生活を当たり前だと思っていたわけで。

原発を再稼働するかしないかに関わらず、たとえどんな未来があるとしても、「事故を起こさないためにやるべきことはなんなのか」を考える、対話することが必要だと思う。

後編はこちら

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「生き方」〜AIと未来について(後編)〜

give.hatenadiary.com この前回からのつづき。

私の率直な意見と意思。しごと、AIと。

報酬のための苦役的労働、が大嫌いなので、もし仮にAIが普及していってそういうものをなくしていくなら、とても良いことではないかと思っている。
といいつつ、そもそも現在コストがかかって高単価な仕事からリプレイスされるはずなので、私がやっている仕事が早くそれになるかどうかは結構あやしい。

個人の生計としてみた時に、いかにして生存するための収入を得るかというのが課題になるとは思っている。
現在日本では、お金とモノの流れとしては、企業と家計の活動のほかに、国家や自治体が個人や企業から税金をとって、ほかのところに回すという活動の、2種類がざっくりある(貿易は面倒なのでここでは省く)。

仮にAI(とロボティクス、オートメーションetc)が事業における課題解決を促進し、企業活動においてそれまで必要とされていた労働力(頭数)としての人がいらなくなると、企業は可能ならばその人達を雇わなくなる。コストをへらすため。すると解雇された人たちは収入を得る手段がなくなる。
ほかの、収入がえられる職に移るか、働くことを放棄するか、色々なオプションはある。
BI(ベーシックインカム)議論が持ち上がるのはまさにこのあたりで、ほかの仕事に移れないスキルの人は、もはや税金から収入を直接給付するしかないではないか、とそういうことだ。

BIを配ることで、最低限は生き延びることができるようになり、さてあとはもっとお金がほしいとかやりがいを求めたいとかあるならどうぞ仕事をしてください、ということになるのかと思う。
しかしそれは、なかなか厳しい世界ではある。それまで採用するために使われていた学歴や資格といった証明の多くが役立たずになってくると、あとは採用されるには、よほど欲しいと思われる技量(たとえばAIを作ることができるとか)がある人でないと、その時代の「一流」で働くことは難しい。かといって、誰でもできる仕事という意味では、それはAIを入れるほどのコストインセンティブが働かない、儲からない仕事になる。その時代に活きるようなスキル、経験を得ることは難しく、BIに加えて月にもう少しだけお金が使えるようになるくらいの収入がいいところに思える。

仮にこんな時代が来ると、私自身はどこにいるかというのを想像する。

シナリオ1「BIをもらって、なんとか生きながら、リプレイス可能な安い仕事を日々やっている」
シナリオ2「BIをもらって、お金がもらえる仕事はせず、安くて時間のつぶせる娯楽をしている」
シナリオ3「BIはもらうが、基本的にはそれなりの報酬を得られるような付加価値の出る仕事をせっせとしてしている」

どれかのシナリオだろう。
シナリオ1は正直つらそうだけど、しかし仮に20年後、50歳過ぎて特に価値の高い仕事法を持っていなかったら、そうなりそうだ。それがつらいと、たぶん仕事をやめてシナリオ2になっちゃいそう。
やっぱりシナリオ3がいいな...と思うけど、そこにいたるには現在との差分が大きい。
2035年。50歳で、価値が高い仕事の仕方とはどんなものなんだろう。
もう少し先にを見ると、たとえば2060年。75歳でも仕事ができているとしたら、それはどういう形なんだろう。

想像すると怖さもあるけど、想像を放棄して戻れないシナリオに進んでしまうことは本当に怖い。
しかし恐怖感で自らを駆り立てるのも度を越すと辛いので、怖さをおぼえつつも楽しく没頭の先に、生きる道を見ていきたいという気持ちではある。

ここまで書いて思ったけど、とどまる余地はないんだな。人生で。
色々やった結果、やはり社会の変革に呑まれちゃって、50歳過ぎてBI無職になってもそれはそれでいい。

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相対的な所得の低さが、必ずしも不幸を生むわけではないというのが、文明の進歩の恩恵である。今の時代の日本の中流家庭が、得られている実質的な豊かさは、100年前の大富豪を遥かに上回る。明治にはツイッターAirbnbもない。
相対的な所得の差を不幸の源泉と思い込むこと自体が不幸なのであって、納得して生きていく方法と時間を持っていれば、幸せでいられる。その方法にたどり着くプロセスが、大事なんだ。

「労働」〜AIと未来について(前編)〜

AIと社会、未来について自分の今思っていることを整理する。

まず理解していること。
AIはかつて何度も研究され、そのたびに社会に広く行き渡ることなくひっそりと消えていくという、何度もの停滞期を経験している。 ただし、2012年頃からのDeep Learningの研究の成果と、そして、安価で高性能になったコンピュータの進歩によって、それまでだと届かなかったような研究、実装に手が届くようになった。
そして、GoogleFacebookAmazonはじめとするメガITベンチャーの研究、設備増強への大規模投資と、グローバルなスタートアップ・ムーブメントのなかで新しいチャレンジャーが世界中に生まれることで、事業化の波が一気に進展し、結果的に様々なところでごく当たり前のようにAIの技術を活かしたService、インフラが社会に組み込まれるようになった。
この何年かの間での劇的進展だ。

その結果、様々なことが予測、予想で語られるようになった。

[1] AIが人の労働を置き換えるので、多くの人が失職する時代が来る
[2] AIをつくり、管理する人たちに富や力が集中し、技術をもたない人たちとの富の格差は増大する
[3] 高度化するAIを人間がコントロールできなくなることで社会に持続性のリスクが生じる

このような話が多いと感じている。

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意見として、正直[3]は心配の方向が間違っていて、そんなことは起こらないと思っている。確かに私は映画ターミネーターのシリーズが大好きで、コンピュータといったらスカイネットを想像するくらいだけど、そのような「スカイネットが人類を脅かす」方向にAIの実装が進むとは思っていない。
一方で[1][2]はわりとあるだろう。たしかにいま時点ではそれらしい動きが社会に広くおきているわけではない。ゴールドマン・サックスのトレーダーはAIによって、600人から2人になったという逸話があるが、仮にそうだとしても社会全体の雇用が大きく減ったという話はきかない。あくまで、高い報酬をもらっていた人たちをAIで置き換えることができたらコスト削減になったよね、という少数の富裕層の話だと思う。それが社会の裾野に来るには遠い先で、コストの観点からはむしろ人間が優秀だから、やっぱりそっちを使う、という業界や職業も多いだろう。
だが、明らかに社会において従来型のしごとが減るという実態が、変化が遅い日本であっても15〜20年くらいのあいだには起こるようにも感じている。

そうなってくると、就職ということの意味合いも実態もまるで今までとは違うのだろう。
金太郎飴のようにみんなで同じようなスーツをきて、決まった時期に企業を回るような就活にしても、そもそも企業の方に人を雇う意思や枠が減るとすると、求職者は限られたパイを巡って競い合うのだろうか。かつての就職氷河期は一過性のものとされたが、それが永続的に続くのだろうか。

しかし一方で、国が税金を吸い上げる機能は健在なはずなので、そこからお金を回す仕事についてはなくならないともいえる。たとえば補助金が出る地方の業務とか。補助金がいいか悪いかという意味では批判は大きいが、しかし仕組みはなくならないのなら、仕事は残るだろう。介護などもそれに当たるだろう。今やなりたい人は少ないが、「ふつうのホワイトカラーのしごと」が減っていくと、結局そうではないところに雇用が移らざるを得ないのではないだろうか。

つづきはこちら。 「生き方」〜AIと未来について(後編)〜 - ギブギブン

「ティール組織」のABDに参加して

書籍「ティール組織」という組織の変革を取り上げた本がある。(*1)

これを題材に、ABD、アクティブ・ブック・ダイアログという手法(*2)を使うイベントに参加した。

感想としていくつか列挙。

・深く読める(部分がある)

これは、自分の担当箇所を深く読める、という意味。
今回のティール組織においては全2回のイベントにて、各回25名程度の参加者がいるので、要するに全ページを50分割くらいにして、1回ひとりあたりの読む分量が割り当てられる。
すると、せいぜい5-8ページ程度。それなら10分くらいあれば読めるし、何より深く読むことができる。
前後文脈とかをかんがえず、自分の割当のところだけ集中すればいいから。

私はティール組織のごつい分量と内容を前に、どうしても一人でよむには「全体感を押さえないと」という意識が働いてしまい、結果的には表を舐めるような読み方になってしまっていた。結果、読んだつもりがよく分かっていなかった。 ABDのセクション担当をすることで、少なくてもそこに書いてあることには向き合える。

・本は目的ではなく対話の材料

25人くらいの参加者がいて、ファシリテーターがいる。その場は、本を読むことが目的でない。その場を通して、本を題材に対話する、自分の考えを伝える、ほかの人の考えをきく、そちらが大事なんだと思った。

同じ本を読んでも、ひとによって読み方が違う。バックグラウンドが違うと、ある文章を当たり前と捉える人もいれば仰天する人もいる。
ティール組織という、ある意味ではパラダイム・シフトを突きつける内容の本としては、非常にそういう場と相性が良いのではないかと思った。

たとえば「ティール組織ではない、従来型の組織にも良いところはありますよね」という意見があるとして、それを誰が言っているのかで相当に文脈も変わってくる。 旧来的大企業に長年勤めていてほかを知りません、というひとがそれを言う場合には、申し訳ないのだが「このひとはアイデンティティ防衛のためにそう言っているのでは...」と思ってしまったりする。そうかどうかもちろんわからないけど、こっちが思ってしまうのだ。

という意味でいうと、ふだん自分がかかわらない人と対話することで、社会における新しい考え方の受容のプロセス(受容されるかはともかく)を感じとって、自分にも感情の動きが起こることは、面白いなと思った。

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*1 ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現

*2 heart-quake.com

鮭の皮

子供の頃から、焼き鮭は好きだった。
ただし、皮が食べられなかった。どうにも食感が気乗りしなかったのかもしれないし、意識のなかで、皮は身ではないから食べる必要がない、と思っていたのかもしれない。 このへんはもう遠い昔のことなのでよくわからない。いやそもそも、食品に対する感性を言語で記述するのはなかなか難しいんだけども。

ただしいつの頃か忘れた、4年前くらいだろうか。鮭の皮を食べてみる気持ちになった。そして食べてみたら、不思議な食感ではあったものの別に全然食べられる。味も悪くない。
それを「発見」してからはずっと鮭の皮も食べている。

なぜ食べようと思ったか、のきっかけがないわけではない。その頃に流行っていた健康法・食事法の本かWebsiteかなにかを見て「栄養は皮にあります」みたいな記述が引っかかったんだと思う。なぜ皮に栄養があるのか、というロジックはいまいちはっきりしていないのだが、そのときには何か納得感があったのだ。

思い出した、玄米と白米の話がその頃、結構ぼくには情報として入ってきていたのだ。要するに、精米しすぎて白米にするのが日本人は大好きなんだけど、そもそも精米のプロセスで栄養価がだいぶ持っていかれてるという真実。
これは史実もあって、かつての20世紀初頭頃の日本軍では脚気が流行っていたが、それは調べてみると白米だけを食べていた部隊ではそれが蔓延していたものの、まるでそれが起きていない部隊もあって。仮説を立てた医学者が大麦を白米に混ぜるようにしたら、見事に解決したという話がある。(*1)

白米からは人体にとって大事な栄養がもっていかれているというのは史実もあることを知った。
たぶんそっから想起して、ぼくのなかでは「鮭の皮のほうが栄養ある説」は比較的に肚落ちして、それが「皮を食べよう」につながったように思うのである。

実際のところ栄養学の真実としては、身よりビタミンが豊富だったりというのもあるようだ。(*2)

ということで、あと何年生きるかわからないけど、よほどのことがないとたぶんずっと皮を食べるのだと思う。

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*1 歴史の明暗を分けた!日本海軍と陸軍で食べられていた食事の違いとは | | 管理栄養士 圓尾和紀の「カラダヨロコブログ」

*2 魚の部位別栄養学

先回り謝罪社会

さっきファミレスにいたとき、厨房から「ガシャーン」という音がして、そのあとに間髪入れずに男性店員さんの「失礼しました〜!」というデッカイ声が店内に響いた。
これは日本の飲食店ではよくある光景だ。

この環境に慣らされていたら「失礼を謝罪できる日本の良さ」みたいな結論づけをする人もいそうだけど。しかし一歩引いて見てみると、なんかこの光景って異常なんじゃないかと思えてくる。

だって、別に誰にも迷惑かけてないじゃん。確かに、調理器具を落として、2秒くらいガシャーンという音は響いたよ。でも、それってほんとにただの音だよね。調理場での話なら、お客さんは誰もケガもしないわけだし。
たかだか2秒くらいの音って謝罪対象なのか?

アメリカ、中国、ヨーロッパ、どこの国でもいいが、海外にいることを想像してほしい。その国の料理店に入って、店員が調理器具を落っことして「I'm sorrrryyyyyy!!!」みたいなことを店中に聞こえる声で言うのが想像できるだろうか? 1mmも想像できない。言っていたらギョッとして、やばい店に入ってしまったのかもしれないとすらぼくは思うかも。

でも日本だと、これをでかい声で言う店員がいる店が、「店員教育がなされた店」というラベリングになるらしい。

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結論から言う。日本は「先回り謝罪社会」になってしまった。いつからかはわからない。たぶん社会文化に関する資料を調べれば、なにがしかの情報は出てくると思うが、今は時間もないしスルーしておく。
予想だけど、たぶん1990年代くらいから言われ始めたのではと思っている。

いや、これがけっして悪いとは考えていない。しかしながら、謝罪すべきと思えないシチュエーションで、謝罪対象不在の、声だけがやたら響く「失礼しました〜!」が違和感がある。

たぶん「サービス」という言葉が社会に敷衍してから、こういう文化が変わったんだと思っている。サービス精神の名のもとに、そして「お客様は神様です」の三波春夫のフレーズの曲解も合わせて、だんだん謎の「先回り謝罪」がスタンダードになっていったのではないだろうか。

結局、そうしたほうが楽だから、だと思う。理由なく文化は継続しない。クレーマーに相手するくらいなら、先回りして芽を摘んだほうが、きっと楽だ。そういうことになったのだろう。

このツイートはたぶん真実で、全般的に日本もよくなっているんだろう。そのプロセスのなかで、なんともいえない方向に来たものもある。そういうことかと思っている。