ギブギブン

1ヶ月毎日ブログ書く企画ではじめたブログです。

21世紀の酒を飲まないこと事情

先日、Kさんという方と、一緒に運営していたイベントの打ち上げをすることになり、焼き鳥居酒屋で会った。 以前会った時、一緒に酒を飲んだKさんはこの日、一滴も酒を飲まなかった。

「もう人と会う時に、酒は飲まなくていいのではないか」 という考えを持ったのだという。

理由はいくつかあるそうだ。 普段面白い人なのに、酒を飲むことで、面白さのクオリティが落ちてしまう人がいるのでもったいないということ。 そして、飲むことで面倒くさくなり、皆から避けられるようになってしまう人がいるので、それは残念だということ。 飲まないほうが、みんなのクオリティが高くなると考えたそうである。 そして、自分でも人と会う時に飲むのを止めてみたそうだ。

何事も気に留めることなく、Kさんはごくごくとウーロン茶を飲んでいた。

私は普通にビールを飲んでいたのだが、このKさんの言葉に、大いに考えさせられてもいた。 Kさんは、一切他人に「酒は飲まないほうがいいですよ」とは言わない。あくまで、自分の仮説に従って、自分が酒を飲まないだけなのだ。 その自然さが、一層私に「酒を飲むとは」ということの問いを投げかけてくるのだ。

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折しも11月は、人と会って酒を飲むことが多く、そのうち2回で、結構酒のダメージを受けてしまった。1回は体調不良で飲んでクタクタになり、もう1回は、飲み過ぎで二日酔いになった。 多く酒を飲んだことで得たものはほぼほぼなく、疲れが残り、次の日に負の影響が出た。

特に二日酔いになったとき、あまりの辛さに 「もう二度と酒を飲むのは止めよう」 と思ったのに、その数日後、Kさんと会ったとき、私は何事もなくビールを頼んでいたのだった。 新たなる決意なんてものは行動を変えるなんの役に立たない、という大前研一の名言を噛み締めた。 (*1)

人と会う時に、酒を飲むのが欠かせない、と感じてしまうのだとすると、それは明らかに風土・文化・空気が生じさせる感覚の圧力ではないだろうか。 アルコールを飲ませることの強要なんて言語道断、それは私もそう思うのだが、そういう人でも、会って酒を飲む文化自体に疑義を呈していることをほとんど見たことはない。 これは不思議だ。

確かに私は酒(特にビール)を飲むのが好きだという自覚を持っている。 何年か後、人間の感情や幸福度についての研究と測定技術開発が進み、なんらかの方法で、私や一緒に飲む人、周りの人の、感情と幸福度に関して信頼に足るデータを採取、意味付け、評価できたと仮定しよう。 そこで算出された幸福度の比較で、明らかに、酒を飲まないケースのほうが、飲むケースよりも、高い幸福度が示される、と分かってしまったとする。 それでも私は、自分が酒を飲むのが好きだ、というアイデンティティを保っていられるだろうか?

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他方、あるWeb記事によると、人類の祖先がアルコールの摂取を始めたのは1,000万年前と言っても過言ではないそうだ。1,000年ではない。1,000万年だ。 (*2) これが真実ならば、人間の感情と幸福に、進化と生物の観点からして、酒は貢献している、というデータが取れてしまうかもしれない。言い換えると、酒は適者生存のキーだったのかもしれない、ということだ。

しかし、一定の割合、体質的にまったくお酒が飲めない人もいるので、この説はどこまで正しいかは謎だ。

現代の、私の見える範囲からすると、この問題は正答を得るのが極めて困難かもしれない。それはそれでよい。

会食の時に、酒を一滴も飲まないというのを、実践するのもありかと思っている。

(*1)

(*2) gigazine.net