いつも赤ちゃんとギバーの関係がそばにあった

前日のブログにて。
赤ちゃんが周囲から助けてもらわないと育つことができないのはなぜか?
それにはどんな意味があるのか?
という問いを記した。
それに対する私の考えを書きたい。

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結論から書く。
「赤ちゃんに接し、育てることで、人はギバーの素質が開花する」
というものだ。

この説を唱える前提には、
「ギバーが増えることが、社会を安定平和にし、人を幸福にするイノベーションを社会に起こし続ける鍵である」
という予想が必要なのだが、以下、その予想も併せて説明したい。

まず、ギバー(Giver)の概念について説明したい。以下、組織心理学者アダム・グラントによる著書「Give & Take」を参考にする。 (*1)

ギバーとは文字通り「与える人」を指す心理学上の概念だ。行動パターンの分類といえるかもしれない。何を与えるのかというと、「助け」という言葉が合っている。目の前に困った人が現れると助けずにはいられない、という性質の人と言えるだろう。ギバーは、見返りを求めない。
それの反対に相当するのが、テイカー(Taker)である。テイカーは、自己利益のみを優先する。他人から何かの利益を得ることに終始している。
その両方の性質を持つのがマッチャー(Matcher)だ。マッチャーは、自分が提供した利益と同程度の利益を相手から受け取ることを期待して行動する。

すべての人がこの3つのどれかにきっちり分類されるわけではない。同じ人でも、相手やケースによって異なることがある。
基本的には仕事上における行動を基準にした分類である。 (*2)

最終的にもっとも成功している人々の多くはギバーである。一方でもっとも損をしている人々の多くもまた、ギバーである。なぜ、ギバーは両極端に寄ってしまうのか? 詳しくはこの本を読んでいただくとして。

仕事の取引相手にはテイカーとして振る舞う人であっても、家族、特に自分の子どもに対しては、ギバーとして振る舞うことはいくらでもある。そもそも、子どもに対してリターンを求めて育児をする、という人は、存在するかもしれないが決して多い割合とは思えない。

ここが一番のポイントだ。仕事上はテイカーとして自己利益優先であっても、子どもに対しての振る舞いはギバーにならざるを得ない。
自分の子ども相手にテイカーとして振る舞うことがいかに奇妙かは想像がつく。泣いている赤ちゃんを世話することから何のリターンを得ることができるのか?短期的利益は何もない。見返りを求めない無償の愛にもとづいて、世話をするのだ。テイカー的な精神で「リターンをよこせ」と考える事それ自体がまったく成立しない。
換言すると、子どもに対してはギバーの性質が強く出すことが、子育てを健全に楽しむ基本的原則だ。

気をつけたいのは、ギバー=自己犠牲で消耗する、ではないこと。自分が犠牲になっていると感じて消耗してしまうギバーは、損が大きくなり、そして疲れ切ってしまう。あくまで「相手の立場になって助けること」を楽しむのが、ギバーとしてうまくいくコツだ。
いつの日か成長したあなたの子どもが、あなたのことを助け、励ましてくれる日が来る。見返りを求めないギブの積み重ねが、いつか本当にすばらしいものを返してくれるのだ。

そして、赤ちゃんに対してギバーとして接することは、親(ならび血縁関係にある家族)だけに留まらないというのが、極めて大事な点である。
「血縁関係に関わらず、ギバーとして接する相手としての赤ちゃん」が持つパワーがある。

…ここを説明していきたいが、また長くなってしまったので、明日に。なんとか、次回でこのテーマはまとめたい。


(*1) booklog.jp

(*2) mirai.doda.jp