結局最後は赤ちゃんイノベーションに行き着いた

前回、「血縁関係に関わらず、ギバーとして接する相手としての赤ちゃん」が持つ力がある、という説を述べた。これを説明しつつ、今日の記事をもって、「赤ちゃんはすごい」シリーズを終えたい。

人が深く付き合うことのできる数は150人程度であるという学説がある。これは文化人類学者ロビン・ダンバーが、人間の大脳皮質の大きさをもとに推定した数字だが、歴史的に見ても、産業革命以前の集団は多くが150人程度が上限だったようである。 (*1)

この説に沿うとして、では150人の集団はどういう構成だったのか。
血縁関係にある者とそうでない者がおり、かつ年齢分布としては赤ちゃんから壮年くらいにまで渡っていたと思う。今の日本の年齢構成よりははるかに若年層比率は高かっただろう。かつては平均寿命がもっと短かった。
150人程度のグループは、過酷な環境に適応して生活を支え合うために、血縁関係にとどまらずに、かなり深く助け合って生き延びていたのではないかと思われる。

今回の赤ちゃんという切り口でまとめると、「赤ちゃんが身近にいて、それを皆で育てる」集団だったとも言える。
グループ構成員の視点からすると、その人の成長のどの段階でも、常に赤ちゃんがいるのだ。血縁関係の有無を問わずに。集団が生き延びるには、血縁関係を越えた深い助け合いが必要であり、その最も助けが必要な存在として赤ちゃんがいる。

だいたい何が言いたいか分かっていただけたと思う。その時代の人々は、成長プロセスを通じて、他人の赤ちゃんの世話を経験したことで、自然と見返りを求めないギバーの振る舞いが身についたのではないか?

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少し視点を変えて、子育てではなく、高齢者の介護のことを考えてみたい。

高齢者介護がどうして辛くなることが多いか、というのは、それが「自己犠牲のギバーのふるまい」になっていくからではないだろうか。
決してリターンがないから、ということではない。そもそも短期的リターンを求めるのはギバーではないからだ。 (*2)

介護においては、相手の助けになった、という実感と満足を得ることが、赤ちゃんの面倒を見ることに比べると難しい。
そもそも高齢者の介護とは、人類が進化して人間社会が発展するプロセスで、寿命が伸びたことで生じた社会課題であろう。かつては、健康を失えば、あとはまもなく死が待っていた。
そこが変わってしまったことの良し悪しを今述べるつもりはない。だが、根本的にそれを乗り切る仕組みを人間は内部に持ち合わせていないとは考えている。暴論を展開したいわけではない。しかし仕組みとして人類のマインドセットと社会構造的な難しさがあることは認めてはいいはず、とは思う。

いずれにせよ、介護もテイカーの精神では成り立たない。何も短期リターンはないからだ。テイカー精神で唯一成り立つのは、金銭報酬を得る仕事、という明確なリターンがあるとき、ということになる。だが、もし私が真のテイカーなら、苦労に見合う報酬をもらえるかどうかを重視するだろう。そう思った時に日本の介護産業の給与水準が低い以上、テイカーもやって来ない。
ギバーの精神を発揮するなら、人が少ない中で激務に追われ、自己犠牲で消耗していく。これが日本の家庭における介護、ならび介護業界に起きていることのひとつではと感じている。


さて赤ちゃんとギバーの話にもどす。
コミュニティの中で、自然と赤ちゃんの面倒を見続けて、元来持つギバーの素質が開花して、人はギバーになっていくとして、それこそまさに「イノベーションの源泉」なのだと思う。なぜか。

イノベーションは、短期的リターンを目指して起こせるものではないからだ。
現在の状態と不連続な飛躍を果たすことでイノベーションが達成される以上、ごく近い未来の時間でのリターンしか考えられないテイカー的発想では、長期的な変革の下地を育てることができないということになる。
見返りを求めないギバーが、コミュニティの内外で様々な人と繋がって、助けることで、社会全体に、長期的な変化の下地がじわじわと作られていく。
そして、科学的発見や、技術開発、市場への優れたプロダクトの投入、普及といったプロセスがその下地のうえに発生していくことが、イノベーションだと考えている。

例を出そう。
Webに代表される、20世紀後半から現在にいたる「情報の革新」は、多くのギバーに支えられている。テイカー的発想で作られた技術やプロダクトよりも、ギバーたちが生み出したもののほうがはるかに重要で、長く使われている。たとえばオープンソース開発で生み出されたLinuxApacheといったソフトは、何十年に渡り世界のエンジニアたちによって開発とメンテナンスが続けられている。そして商用非商用を問わず、世界で今なお使い続けられている。
エンジニアたちがテイカーだったら、オープンソースで、無償で作り続ける仕組みは成り立たなかった。
いま、テイカー型のマインドセットで仕事をしている人も、世界を動かすテクノロジーとプロダクトのコアは、多くのギバーに支えられていることを知るべきであろう。

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結論、何が言いたいか。
赤ちゃんをみんなで育てる文化を高く評価して、それが実現される社会を作るのがめちゃくちゃ大事で、それがイノベーションを生む土壌の原点にあるはずだ!

日本ではほとんどなくなってしまったけれど、ベトナムなどの発展途上国に行けば、おんぶ紐をつけて小さい弟妹の世話をしている子どもの姿も普通に見られます。人間の子育てでは、複数の手のかかる子どもたちをみんなが協力して育てるんです

(*3)

京都大学霊長類研究所松沢哲郎氏のこの言葉が重い。

たぶん、現代日本は、赤ちゃんとお母さんにとっては、150人の集団みんなで子育てをしてくれた時代よりも、「子育て」という意味では辛い時代なのではないか。
社会の「発展」が必ずしも、全局面、全員にとっての幸福度の上昇を達成しているとは思わない。

仮にそうだとして、「仕方ない」で済ませて良いのだろうか?
結局、そういう社会には、未来は来ない気がしている。

日本の出生率が下がってるから、子どもを持つのが推奨されるとか、そういう国策的発想は一切いらない。
もし自分が親になったのであれば、自己犠牲型ギバーにならないよう、コミュニティの力を借りて楽しく子育てできる方法を探していけばいい。
もし親になることなく生きていくとしても、赤ちゃんの面倒を見ることを引き受けるとか、そうはしなくても子育てする人への共感を持ってそういう態度をとるだけでも、ギバー精神を改めて自分の中に見出せるはず。

それこそが、回り回っての、自分の幸せ、みんなの幸せ、未来の幸せを作る。


(*1) techwave.jp

(*2) mirai.doda.jp

(*3) チンパンジー研究で分かった人間の子育ての本質〜松沢哲郎氏に聞く | eduview