人を好きになるために、小さくはじめること。

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何か前提をつけると言い訳がましい。
誰かに失礼になることなく、自分に嘘のないよう、書く。

私はちゃんと人を好きになる、好きを形にするということが、肚落ちしたものとして、わかっていない。

それって、恋? 愛? はたまたもっと違う何か?
わからないし、ことばにならない。

そのままで良いとは思っていない。変えたいと思って、変える方法を探して、あがいている気がしている。

あがいてみて、まだ、好きになれたという感覚にたどり着けないのはどうしてかと考えてみたときに、ひとつ思いついたこと。
「高いパフォーマンスのギバー」のふるまいが私はまだ、できていない。

このブログで、たった1ヶ月の間で何度も述べてきたように、私は「ギバーのふるまい」がコミュニティを幸せにする上で、極めて大事だと思うようになった。主に、生物学的な視点と、歴史的な視点から。

ちょいと話が逸れるが、そういった科学や歴史に興味を持ってあれこれ読み漁った理由は、半分はただの好奇心からだけれど、残り半分は、自分の関係づくりの悩みを解決する手がかりを、人類が築いてきた知のストックに求めたかったのだと思う。

話を戻す。
ギバーとは見返りを求めなく、自分の持てるものを提供する行動のことだ、と私は解釈している。 (*1)

数多くの人に会う中で、ついていきたいなと、もっと一緒にいたいなと思う人は、振り返ってみると、ことごとくギバーだ。 自分の利益志向ではなく、他人の利益になることのためにナチュラルに行動している人。

もちろん最初会った時にはわからないのだけれど、同じプロジェクトやイベントの運営などの経験を実地で一緒におこなうと、その人の対人行動原理がギバー的なものかどうかが分かってくる。

だが、常に誰に対しても、なんでも尽くすというのは、パフォーマンスの低いギバーになってしまい、燃え尽きて倒れてしまう。
打算でなく、行き当たりばったりではなく、心から「それをすべき」と感じた上で、惜しみなくギブすること。
それが自分の幸せだと感じられる状態に到達し、それをキープすること。
その繰り返しで、パフォーマンスの高いギバーとなって、縁を育て、人とコミュニティ、そして社会に活力をもたらす。

言い換えると、ギバーのふるまいは、「人を選んでよい」のだ。その人を助けることが、自分の幸せだと信じられ、そして本当にそれが相手の助けになってはじめて「パフォーマンスの高いギバーのふるまい」が成立したことになる。
打算的なリターン先行の発想(マッチャー)との違いを作るのは、おそらく「(特定の)人を好き」という始まりに、リターンを求めることがないことだ。

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これまで述べてきた「赤ちゃんに対する親の愛」がまさに、そこに代表される。自分の子どもだから、無条件に愛おしいと感じる。慈愛をもって助け育てることが、絶対に必要だと、(システム1のオートパイロットの速さと強さで)信じられるから、親はパフォーマンスの高いギバーになる。

最初からパフォーマンスの高いギバーでなくても、経験と失敗、フィードバックと周囲からの支えとアドバイスをもらいながら、親としてだんだんとパフォーマンスが高くなっていくのではないだろうか。

人は、変われる。

そして、親と子の間だけにとどまらず、ギバー的精神を、ビジネスや、ローカル・コミュニティ、そしてときに対象を世界の人々にまで広げることのできた、すてきな人々がたくさんいる。彼らが出会い、大きなイノベーションが産み育てられ、これまでの人類社会の成長は成り立ってきた。

ということを、私は理解しているつもりであり、このように文章に書き表し、私のことを知っている人に読まれることに、恥ずかしさは何もない。
課題は、私自身のギバーのステータスを高める、その到達の道のりを「計画」だと解釈して、システム2の遅い思考の上に少しずつ手順を組み立てようとしてしまっている思考の縛りが強いことだ。

好きだと思えたら、行動すればいいのに。よく思う。
行動ができていないことをブレークダウンすると、小さなアクションが有機的につながってない、ということかなと捉えている。 小さなハードルを越えるトライとフィードバックと学びのサイクルを積んで来なかったから、相手の助けになるかどうかを考えようとするとシステム2を酷使して、それが疲れてしまって、行動に起こしてからも自動化(システム1)に頼ることができず、行動が連続しないのではないかと思っている。根拠はあまりないケド。

なんとかしたい。
何をすればいいだろうか?

ついていきたいなと思えた人(=ハイ・パフォーマンスのギバー)に対して、敬意の赴くままに、見返りなく、できるところからギバーをしてみるというのは良いかも。

赤ちゃん、子供を育てるお母さん、お父さんたちのギバー度合いに比べたら、安全圏での小さな歩みだけれども。そこを比較して、自分を卑下して止まっているのもカナしいので、歩み始める。

私の楽観的なところは、人は変われる、と思ってるところで、ようやく最近、その「人」の枠に、自分を入れて考えられるケースが増えてきた。

計画したがるアタマは、脇に置いて。
3秒息を吸って、2秒止めて、5秒で吐いて。
気持ちをカラダになじませて。

まずは小さく、他者と出来を比べずに、はじめよう。

失敗と、小さな自信の積み重ねの先に、人を好きになれますように。


*1

mirai.doda.jp