2017年の目標は立てません。

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元日だ。
とりあえず、2017年の目標というのを立てようと思って、数日前にTwitterにメモで書いた気がするのだが、すっかり忘れてしまった。
それを引っ張り出そうか、あるいは改めてちゃんと考え直そうかと思った。
と、そのときふと、この「2017年の目標」っていう発想が、私にあまり合っていないような気がした。

先日、ストレングス・ファインダー(性格上の強みの資質を見つける統計的な心理テスト)を受けて思ったことは、私は「着想生命体」とでもいうべき特質を持っているようだ、ということ。別のことばを使うと、朝令暮改の名手ということである。

考えてみると自分自身の人生で、長い時間を計画的にかけて、やりたいと思ったことは1つもなかったし、今もない。
幼いころは、それを「夢がない」ということだと解釈していて、将来の夢を聞かれるたびに答えに窮していて、イヤだった。
だが現代は、「ライフシフト」 (*1) で指摘されるように、社会の変化が早くなり働き方も多様化して、むしろひとつの価値感に閉ざしてしまうことのほうが、よほどリスクになる時代だ。
この説得力あるリアル・ミライを理解できたいま、自分の進んできた方向性も、さして間違ってなかったのではないか、と自己満足している。

さてそうなってくると、無理に計画的な、ウォーターフォールな行動指針を立てなくてもいいんじゃないかと思ってしまう。

一方しかし、私にライフシフトをはじめ、時代の潮流を楽しむための知恵を学ぶ機会を作ってくれた方々は、「振り返り」を大切にしている。
ここについて、どう考えたらいいのだろう。
計画はないまま行動に移しても振り返りはできるのか?

結論、たぶんできる。というか、計画しないけど振り返りを大切にする、それがアジャイルの本質なのではないか。
短期間のスプリントを回してみて、チームでKPT (*2) を出して振り返る。実際のソフトウェア開発プロセスであれば、Problemを次のスプリントで改善するような打ち手を、チームで組みこんでいくわけだが、個人の意識と行動というファジーなものであれば、無理して「組み込もう」としなくても、効果はあるのだと思う。

今気づいたのだが、振り返りというのはたぶん、行動経済学でカーネマンらが提唱するシステム2(熟慮の思考と決断)を活性化させるのにとても有効なのだ。というか、そうでもしないと熟慮の思考を呼び出すのは難しい。 (*3)
振り返りをして、行動を反芻する。それを愚直に繰り返す。その先に、システム1(瞬発無意識の思考と行動)を少しずつ、こうでありたいという動作感に寄せていけるのではないだろうか。結果的に、いつか自分の行動特性が変わっている。それに、自力でなのか、人からのメッセージなのかはともかく、気づくときがくるのだ。

という自己満足な、納得いく結論を得た。

改めて考えると、「とりあえず目標を立てる」って思考停止だ。あと、目的と目標と手段がごっちゃになりそう。危ないこれ。思い付きで目標立てちゃいかんなぁ。
そもそも、アタマが混乱しそうな難しいこと、考えるの苦手なんです...。

2017年の目標は立てません。


*1

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

*2

kuranuki.sonicgarden.jp

*3

d.hatena.ne.jp