結婚について、考えが変わった。
数日前に出会ったある人が、結婚についてこのように表現していた。
「結婚とは、その相手が好きであるという自分を演じ続けることである」
生涯に聞いた「好きな人どうしが結婚する」ことの数々の描写の中で、突き抜けて納得感があるものだった。
私自身は、進化心理学が大好きだ。人間の行動原理、思考の進み方を説明するロジックとして、進化心理学の観点で筋が通った考え方に一番納得する。
そういう私にとって、たとえば「恋愛結婚」は信じがたいものというか、それを絶対視する思想は良くわからないもののひとつであった。
なぜなら、どんなに好きあった二人でも、強い恋愛感情というのは、長くても18ヶ月程度で消え去ってしまうことが研究によって明らかになっている。 (*1)
そこから先は、「愛着」と呼ばれる感情をうまく成立させていかないと、関係は長続きしないと言われている。
かように前提を置いたときに、「恋愛 から 結婚」を一直線に乗せることを神聖視するのは、おかしいだろうと思っていたのだ。だって、それだと幸せになれないじゃないかと。
せめて科学的に、「恋愛 から 愛着形成 を経て 長期的な関係」を構築して、それの成功のひとつを結婚とでも言ってみたらどうなのよ、くらいに思っていた。
という私が冒頭の考え方を聞いたときに、衝撃があった。
私がこれまで形成してきた見方もまた、一面的だったと気付かされたからだ。
つまり私が今回見つけた気づきというのは「相手を好きである自分を演じる」状態を継続することができれば、「恋愛 から 結婚」という私が、科学的に困難があるだろうと思った図式も成立しうることだ。
もう少しちゃんと説明すると
「強い恋愛で惹かれあう状態を、そのままその相手を好きで居続ける自分を演ずる、というあくまで自分ごとのテーマに、二人が落とし込むことができて、その演じる状態を続ける技法を体得して駆使し続ける」
これができることで、双方にとって「恋愛の強い状態で結婚して、お互いにそれが変わらない、もっと好きだ」ということを科学的にも筋が通るように、実現できるだろうということだ。
人間の「演じる」力はとてつもなく大きい。それが、きっと他の生き物と違って、人類に「変化の蓄積」を遺伝子以外にもたらしてきた大きな要因のひとつだろうと考えている。
さて冒頭の「結婚とは、その相手が好きであるという自分を演じ続けることである」という言葉に戻ると、恋愛結婚だろうがお見合い結婚だろうが、年の差婚でも同性婚でも、この定義というか行動原則は、当てはまると思う。
詳しくはまた日を改めて。
なにせ次の日の分も書かなくてはいけない。
*1