「血液型性格診断」というフレームワークを使うことも心理の真理

私は、血液型性格診断の妥当性を1mmも信じていない。
理由は、反証可能な科学的手法で検証した結果として、有意に血液型の違いが性格の違いを生むということが、示されていないからである。 (*1)

なので、そこが科学的手法で「有意に差が出る」と証明される日までは一切、血液型性格診断に耳を貸すつもりはないのだけど、今日いいたいのは、「血液型性格診断を好む人」に対する私自身の受け止め方がだいぶ変化したなということだ。

前は、「〜〜さんはA型だから、◎◎な性格だよね」という話を誰かがしようものなら、それこそ誰であっても「うわー、この人とは深く話すことは無理そうだ」と思ってしまい、なんとかその話題が早く終わってくれないかなと感じていた。

しかし今日、あるところでたまたま血液型性格診断の話になって、同様な場面か出てきたときに、私が真っ先に思ったことは、過去自らによく起こった感情とは違っていた。
「なるほど、この人の中では、ある人間の行動特性を説明するのに血液型性格診断のフレームワークを使う確率が高いのだな」
という認識を持つに至った。
もはや感情の波がほとんど起こることもなく、状況に対する観察と、自分の発見の心の中のノートへのメモ取りである。

この認識の発生を自分で確認したとき、ああ、自分自身と付き合うのがだいぶ楽になってきたな、と自覚できた。

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もちろん、血液型性格診断は非科学的だという、認識する事実には何も違いはない。
しかし、その話をする相手の言うことを傾聴する、否定することなく対話を深めて、おもしろい刺激のしあい、知見にたどり着こうということを重要なマイ・トピックとして、瞬時に引き出して、それを「演じる」ことができた。
これは、大きな成長が起きたと感じている。

所詮、わたしの血液型が何であろうが、相手のそれが何であろうが、当然ながらそんな情報だけでは関係性は何も決まらない。
むしろ、相手がどういう感情状態にあって、思考のフレームワークを使うかを学び取って、それに応じたコミュニケーションを組み立てるべき、ただそれだけだ。
それによって、その相手との貴重な時間を不毛な感覚で過ごすのではなく、豊かな刺激に満ちた対話の場作りに活かせるのだ。

私自身の場合、行動特性の説明として、セロトニントランスポーター遺伝子のセットを主たる材料とすることが多い。(*2)
血液型性格診断が好きな人の中にも、私と同じような感覚で、性格特性を説明できると、科学的に解釈しているケースもあるだろう。そこを別に否定しに掛かることに意味はない。

非科学的である認識については、「空気を読んで合わせる」ことをしなくて良いと引き続き思っている。
ただ、人が自分や他人の行動に説明をつけたいと願うその心理それ自体が、人間に埋め込まれた「心の理論」の発現であるわけなので、そこは否定せず、受け入れていくほうが楽しいなといまは感じている。

皮肉でもなんでもなく「どうしてそう考えるのですか?」と知的好奇心で聞いてみたらいいのかなと思う。それが一番、不必要に誰かを傷つけることもなく、なにより自分の学びを深めることになるから。


*1

第5回 「男脳」「女脳」のウソはなぜ、どのように拡散するのか | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

*2

セロトニントランスポーター遺伝子は日本人気質を決めているか? - 神経科学者もやっている精神科医のblog