夕張市、人口減少の先陣を切り続ける先に

かつて夕張市には、最盛期には12万人の人口がいた。
炭鉱の街として活気にあふれ、企業があり、労働者が集い、その家族や、そこに対して物を売る人々がたくさんいた。
いまや、人口は9,000人を割っている。最盛期の93%の人口がいなくなってしまったのだ。(*1)

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人口動態には、社会動態と、自然動態がある。
ある地域の人口動態を見たときに、生まれて増える、死んで減る、ということがあれば自然動態であり、自治体に入ってくる、出て行く、ということがあれば社会動態になる。

夕張の場合は、炭鉱の閉鎖、石炭産業の衰退とともに、多くの企業が撤退し、労働者と家族が街を去り、そこに商売をする人々もいなくなった、という社会減の占めるところが大きいはずだ。

具体的には、最盛期には小学校が22校あって、児童数だけで20,000人を越えていたという(1959年)。それがいまや、1校のみになり、児童数は216人である。 (2) (3)
60年弱のあいだに、児童数が100分の1になる街。これを小説で読んだとしても、荒唐無稽な設定を笑ってしまうが、事実なのだ。

もちろん日本全体が、終戦後のベビーブームで人が増え、出生率の低下に伴い児童が減った、というトレンドはある。しかしここまで如実な「人口減少」を起こした街は、世界を見回してもレアではないだろうか。
そして、高齢化率は50%を越えている。
市場経済の観点からすると、世界で最も絶望的な街といってもあながち外れていない気もする。
ただし、絶望的に見えるが、絶望だとは思わなかった。

というのは、私が会った街の人たちは、決して鬱々としているわけではなかったからである。いわゆる高齢者という範疇にはいる、65歳以上の方は、高齢化率50%というのは認識しつつも、老人だからもっとサービスを自治体に提供してほしい、というような雰囲気はまるで見られなかった。ただ、夕張が好きだから、何かこの街に活気が生まれるようなことが起きたらいいと思っているのだけど、自分が当事者としてそれを起こすのはなかなか大変と感じているそうだ。
ということは、当事者になりえる人のプラットフォームというべきものが生まれて、高齢者という枠に入っているが元気で未来への意志をもっている人々をエナジャイズして巻き込むことができれば、何かが起こる可能性はあるだろう、と私は思う。

もしかしたら合理性の観点からはコンパクトシティ化して、分散している人たちは今の拠点を放棄することに同意した方がいいかもしれないし、私はそれも全然アリだと正直思っている。しかし、最初からそこだけを見ているのも、理を見て、人を見ていない気がするので、ちょっと違う気もしている。

あと直接関係ないけど、人口動態と都市の発展という観点で、夕張市と好対照をなす街があるのだが、それについても日を改めてどこかで。


*1

http://soundscape-of-yubari.com/blog-old-201308.html

*2

www.unipro-note.net

*3

www.gaccom.jp