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札幌の合理性、東京の不合理性

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札幌市に始めて来た。正確には子供の頃に一度旅行で来たらしいのだが、まったく覚えていない。

友人が市内を案内してくれたのだが、もっとも驚いたのは、格子状の町並みだ。東西南北に格子状の道が整然と走り、すべての住所は、東西と南北の掛け合わせの場所で表される。「北3西4」といった具合に。

最初は地理感覚がよくわからなかったけれど、慣れてくるとこの合理性にしっくりくるようになった。
次の日は自転車で札幌市内をいろいろ巡ってみたのだが、そのときもこの格子状の構造が分かりやすくて、ほとんど迷うことなく目的地にたどりつけた。

なぜこのようなわかりやすい町の構造になっているか、調べてみると歴史は1869年に遡るようだ。

明治2(1869)年、札幌本府の建設を命じられた島判官は、円山の高台に立ってはるか東方を見渡し、街づくりの構想を練ったといわれています。京都の街づくりを参考にしたその構想は、札幌の広野を現在の南1条通りで南北に、また、すでに堀削されていた太友堀(創成川)で東西に分けるところから始まりました。この島判官の構想を生かしながら岩村判官は、60間四方の格子割による街区構成を利用し街の中央には58間幅の大通りを設定。

(*1) 札幌市HPより

それまで、高台に立って、未来を見据えて0からの都市設計をしたのだ、ということ。計画して、たしかに実現させた明治期の人々の偉業は素晴らしいと思う。

ただ、仮に計画実行力が高い人々がいても、すでに街が出来上がっていたら、これを壊して人を動かして0から作り上げるというのは大変な困難を伴う、というか実質無理だったことだろう。何もない土地だったからこそ、150年後にあっても便利でわかりやすい、都市計画がたてられた。

もうひとつ、今回友人がいっていたのは「札幌には、歴史ある寺社などがほとんどない」ということ。確かに札幌市内をうろうろしても、歴史ある遺跡のようなものはほとんど見当たらない。これもまた、それまでに人がほとんど住んでいなかったことの証である。

この札幌に対比して考えてみると、私が住んでいる東京は極めて計画性がない都市である。道はぐねぐねしており、地名の合理性はほとんど存在しない。不合理、きわまりない。
「まっすぐ道を行ってください」と東京で言われること。それは、方角的に直進せよ、ではなくて、多少のグネグネも承諾して道なりに進め、ということを意味している。
きっと札幌に生まれ育った人が東京都心に来たら、あまりの不合理に最初は愕然とするのだろう。

人が住み続けていく街。そこの始点に都市計画というものがなく、時間が重なっていくと、それは後戻りが極めて困難な「都市のありよう」が生まれる。もちろん、それは文化と極めて密接、というか文化そのものでもある。
仮に日本のすべての都市が、0から都市計画で合理性のもとに作られたとしたら、そこには文化的多様性、違いが少なくて面白くない、となってしまうだろう。
しかしながら、東京の人口、経済の一極集中が起こり、そこに交通の問題や住居、保育園といった公共性高い施設をつくる困難が生まれている現状を見ると。もはや都市の小さな部分改善を行おうとする労力を割くよりも、0からの都市計画を立てて、これからの150年のあり方を想定して街をつくるほうが、これから皆幸せなのではないかとも夢想してしまう。


*1

道路建設の歴史/札幌市