ギブギブン

1ヶ月毎日ブログ書く企画ではじめたブログです。

世界を変える化する世界

「世界を変える」という言葉がある。

日常的に使うことは多くない。 世界を変える起業家、であるとか、世界を変えるテクノロジー、であるとかの文脈で使われることがある。

世界を変える、が出てくる最も有名なセリフはこれかもしれない。

「このまま一生、砂糖水を売りつづけるのか、それとも世界を変えるチャンスをつかみたいか」
(Do you want to sell sugar water for the rest of your life, or do you want to come with me and change the world?)

(*1)

ご存知の方も多いだろう。

1980年代前半、アップルコンピュータの創業者スティーブ・ジョブズが、CEO候補として探し出したジョン・スカリーを自社に引き抜くために、スカリーに語ったとされる。
当時、スカリーは、ペプシコーラを率いて、炭酸飲料のマーケットで不動の王座にあったコカ・コーラを追い抜く快挙を達成していた。誰もが不可能と思うビジネス上の成果を挙げた、圧倒的な成功者だった。

そんな彼のビジネスの成果を「砂糖水を売りたいのか」との一言で縮小化し、「それよりも世界を変えよう」と口説いたジョブズ
改めて、とんでもないことを言う人だと思わされる。

果たして本心でどう思っていたかは分からないが、この言葉からすると、コーラを売ることは、世界を変えることではない。
対して、アップルが作り出すコンピュータを売ることは、世界を変えることなのだ。

これは、コーラを売る仕事の人に限らず、反論が出てくる言葉には思われる。
どうして、同じ市場経済の中で、売り物が違うことが、世界を変えるか変えないかの違いになるのか、と。
自分のプロダクトに対する、傲慢とも言えるほどの、革新性への自信。敵を作る言葉であるが、だからこその強い魅力も感じる。実際、口説かれたジョン・スカリーは、アップルコンピュータのCEOに就任した。


2016年の今、世界を変えるプロダクトやサービスとはなんだろうか?
この質問に答えるのは簡単ではない。
「世界を変える」かどうかは、どこまで言っても主観の問題だ。しかし、すべて主観にすぎないと分かった上で、それを考えてみる遊びはけっこう楽しいものだ。

f:id:startselect:20161207053331j:plain

たとえば2007年からAppleが作り続けている iPhone。これを売ることは、今からの世界を変えることか?
NOだ。

2007年当時、 iPhone は革命的なプロダクトだった。一番の証拠は「こんなものは売れない」と言っていた人が大勢いたことである。

iPhoneがそこそこの市場シェアを獲得する可能性はゼロだ。あり得ない」

(Microsoft CEO スティーブ・バルマー)

iPhoneは、弊社が提携先第一号にならなくてよいと思う製品だ」

(Verizon 社長兼最高実務責任者 デニー・ストリングル)

(*2)

彼らが在籍していた会社を考えれば、当然ポジショントークだが、それにしても、あまりに iPhone の売れ行きを低く予想している。
iPhone が斬新すぎて、競合や提携という概念すら持ち得ないほどだった。そう考えるのが自然だろうか。逆に、iPhone を作り出したチーム、この時点で世界で売り出そうとしていたチームにとっては、まさに iPhone で世界を変えることを目指していたといえる。

2016年現在、iPhone は世界のあらゆる国に届いている。後発の Android と併せて、スマートフォンは世界にほぼ普及し終わった。
確かに、iPhone の性能は世代を重ねてどんどんアップして便利になっている。しかし今、iPhone を売ることが、世界を変えるかと言われれば何か違う。

「斬新すぎて、直感的に多くの人から否定されるプロダクト/サービス」であること。
こういう状態にあることこそが、世界を変える、と感じさせるための必要条件なのではないだろうか。

VR(バーチャル・リアリティ)に関するプロダクトやサービスは、今でいうとその条件に当てはまるかもしれない。

何万円もするVR専用機器と、コンピュータを購入して、たとえば初音ミクとの戯れにいそしむ。酔狂だ。
(*3)

たとえVRという技術やそれを使ったサービスに興味がある人からしても、高額を払ってそれを買う、遊ぶなんてことは、あまり理解されないものだろう。VR産業に関わる人たちは、否定的な言葉を浴びて疲れている人も多いかもしれない。

しかし、そのフェーズだからこそ「世界を変える」条件を満たすのだ。
もし10年後、VRが世界で普及しきっていたら、もうVRは世界を変えるものではない。世界を変えたもの、という過去形で扱われる。

世界を変えるワクワク感が生まれるためには、常に多数派が否定してくれることが必要だ。奇妙に、持ちつ持たれつの関係で、世界は変わっていくのかもしれない。


(*1) 学校の勉強ってどうして必要なの?(砂糖水編)

(*2) web.archive.org

(*3) www.itmedia.co.jp