ギブギブン

1ヶ月毎日ブログ書く企画ではじめたブログです。

恋愛はイシューからはじめよ

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最近ある人が語ってくれたことば。

1番理屈じゃいかないのが人間関係で、生まれた時からある家族関係以外に、自分個人の意思で他人と深く繋がろうとするのが恋愛

頷いた。

理屈じゃいかないのが人間関係

あらゆることを科学の目線で切り出すのが好きなのだけど、科学的に考えて、人間関係に理屈は通らない。
コミュニケーションの方法や、好かれるための行動は科学できると思うんだけど、科学と、理屈というのは実は別だと思っている。

理屈は、自分の出来上がった思考のフレームワークに対する後付の説明、というのが近い。人の好悪を、理屈で説明つけようとすると矛盾だらけになってしまう。素直に好き嫌いの感覚に従うのは、淘汰の中で獲得したメカニズムを使う意味では科学的といえるかもしれない。

生まれた時からある家族関係

この言葉は端的に、私たちの「選べないもの」をえぐり出してる。親は、選べないんだ。親のみならず、きょうだいや祖父母も含めて。
どんなに機会の平等をつくるために、政治やアントレプレナーたちが努力しても、「選べない出生時点の家族の違い」は永久になくならないだろう。
むしろ、そこをなくそうとすると、とかく人間の無差別を求めるということになり、どこか社会主義ディストピアの香りが濃厚になってくる。

話を戻すと、子は親を選べない以上、親は子に期待を押し付けないことがフェアネスなのかなと思う。
ケーキを2人で2等分するときに、ナイフを持って切る人と、選ぶ人を分ければフェアになる、というエピソードがあるけれど、それと通じる何かがある。親はナイフを持ってケーキを切り分けることができる立場にあるけれど、選ぶ権利はすっぱりと、子どもに手渡すといいんじゃないですかね、と。
別に、年間300万円かかるトップクラスの学校に入れることが親の務めではないはずなんだよな。

話が逸れてしまったが、動かせない関係だからこそ、選ぶことへの本質的な配慮があってよくて、それがつまり愛なんじゃないのかとも思う。

自分個人の意思で他人と深く繋がろうとするのが恋愛

恋愛は基本的に意思が実現する可能性の例といえる。
相手が自分の思いを受け入れてくれるかどうかはともかくとして、好きになって行動したら、その意思の先に何かが作られるものだ。と、言われる。

深く繋がるというのを考え出すと、そもそも私たちはどうして繋がりたいのかという話になる。たぶんだけど、進化の中で仕組みとして、理解されることを幸せに思う何かが組み込まれたんだろう。
私たちは、べらべらしゃべってばかりの人よりも、うんうんと頷いて聞いてくれる人のほうが好き。これはつまり、基本原則としては、理解しようとするのはエネルギーがかかるしすぐリターンが見込まれるものではない。一方でしゃべって理解されると感ずることは、たぶん脳の報酬系にヒットする。

それでも尚、理解したいと願うのは、ひとつこれは恋と呼べるのかもしれない。
何を届ければ、気持ちが伝わって、振り向いてくれるのかを考えると、心臓の鼓動が早まってくる。
その気持ちに、素直であることが、踏み出す一歩なのかもしれないが、そこへの勇気が出ない人もいる。ザ・私。

どうしたら、恋を行動に落とし込めるのかと思い悩むのは、実はイシューの立て方がスジワルだったりして!? (*1)
因果が逆で、行動を重ねることが恋を感じるのに必要なのかも?
そのへん、良いイシューを立てて実行してみたい。

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*1

ほぼ日刊イトイ新聞 - 『イシューからはじめよ』のまわりで考える。

共創と協奏を楽しむブログ企画にしよう

ブログ書くぜ企画 2017 が始動した!

今回のルールはとてもシンプルで、参加メンバー各人が、月初に宣言したペースで、その月に"ほぼ毎日"ブログを書こうというものだ。詳しくは、参加者の河原塚さんのMedium の記事 (*1) に書いてあるのでここでは省く。

さて私の2017年1月の達成基準は「20本」に設定!

根拠は特にないけど、さすがに12月、毎日書くのは辛かった(苦笑)。それを踏まえて、3日で2本くらいなら、書けるかなと思った次第でもある。

あと実際、既に1月4日と5日は書くのを失敗している。
1月1日から3日までは書けたのだが、やはり企画始動前だったことが大きくて、モチベーションの糸が切れてしまった。
この「参加者どうしで続ける」というゲームの形をとることが大事なんだと改めて気付かされた。

モチベーションということに関して、ひとつ思い出したのは、アメリカのライター/作家、ダニエル・ピンクが著書で書いた「モチベーションを人間を動かすOS(オペレーション・ソフト)とみなす」考え方だ。
Amazonにのっている情報から引用する。

コンピューター同様、社会にも人を動かすための基本ソフト(OS)がある。“モチベーション1.0”は、生存を目的とする人類最初のOS。“モチベーション2.0”は、アメとムチ=信賞必罰に基づく、与えられた動機づけによるOS。そしていま、自分の内面から湧き出る「やる気!」に基づくOS“モチベーション3.0”にアップグレードする時がきた!

(*2)

この本はとてもおもしろくて、数年前に読んだ時に、自分の仕事のモチベーションは、どのレベルにあるかと考えたものだった。 しかし今日気づいたのは、今回のブログ書く企画2017については、このモチベーション1.0、2.0、3.0のどれでも捉えきれないということだった。

参加メンバーみんなで、"キョウソウ"を楽しむのが企画のコアだと考えている。
キョウソウの1つ目は、「共創」だ。お互いのブログの投稿を読み合い、日々のフィードバックから刺激を受けることで、自分のインプットとアウトプットが変化していく。
キョウソウの2つ目は、「協奏」になる。オーケストラというほどに指揮されているものではないが、しかし一定のレギュレーションの中で各人が綴るものには、リズムがあって、それが参加者どうしで合わさることで、1人では出せないアウトプットの総体になる。

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12月の企画はどっちかというと「競争」と「競走」に軸を置いていた。ダニエル・ピンクの言うモチベーションでは、2.0の「書かないと罰する」と3.0の「書きたいことを書く」の両軸だったかと思う。
今回は、ペナルティもないので、ひたすらに自分の立てる目標の遂行に励みつつも、無理をすることなく個々人のリズムを刻むこと、余力をもって互いのコンテクストへの踏み込みを活性化することができるのではないかと期待している。そこから「共創」と「協奏」を楽しむモチベーション4.0の扉が開かれるのではないかと、ふと思っている。

たかがブログ、されどブログ。
楽しもう!


*1

medium.com

*2 モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか (講談社+α文庫)

新海誠さんは、新宿と空を愛し続けながら、巨大装置とモヤモヤからシフトしていった?

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新海誠監督の映像作品をぶっ続けで何本か観ていた。

ほしのこえ(2002)
雲のむこう、約束の場所(2004)
秒速5センチメートル(2007)
言の葉の庭(2013)
(*1)

ぜんぶ初見。「君の名は。」で2016年秋に初めて新海作品を観た私は、新海指数0.1くらいの付き合いの浅さであることは先に告白しておこう。

それらを観終わって、思ったことは以下の5つである。

1.新海監督は新宿が好きらしい。

なぜかどの作品でも、新宿が重要な場所や起点として出てくる。君の名は。でもそうだった。かなり思い入れがあるんだろうなあ。

2.新海監督は雲、空、天気、宇宙が好きらしい。

雲、空、天気が重要なものとして描かれるが、加えて宇宙もだいぶ好きな気がする。最初のほうの作品はまんま宇宙だったが、日常場面が中心の作品でも、なぜかちょいちょい宇宙なネタが写り込んでくる。物理的な高さ、そして人智の届かぬ領域がもつ魅力を描くのが好きなのかもしれない。

3.新海監督は年を重ねるにつれ、巨大な舞台装置に飽きたんじゃないだろうか。

初期作品は、ロボットとかオーバーテクノロジーとかが満載の戦争みたいな、国家スケールでの巨大な舞台装置を使うことが、作品を描く上で切っても切り離せなかった。だが、秒速あたりから、国家スケールをまとう舞台装置がほとんど出てこない。単純にこの人は飽きちゃったのではないかと思った。飽きない作家もたくさんいる、というかそのほうが多い。

4.新海監督は、モヤモヤより明示的な感情を描きたくなったんじゃないだろうか。

上にも繋がるけど、初期作品は、観ている私を完全に置き去りにするような意味のわからないモヤモヤがあふれているが、言の葉の庭では、だいたい分かりやすい感情しか描かれない。それを描きたくなった、というのは作家性の変化?

5.君の名は。が分かりやすい話になったのは必然だった。

私が君の中は。を観てしまっているので、ただの後付バイアスといっても間違いはないが、そのうえで書く。上述1-4の新海監督の特徴について、変わらないもの(1 新宿 と 2 雲、空、宇宙)と、変わってきたもの(3 舞台装置の撤収 と4 明確な感情)の、そのまま延長線上に君の中は。は作られたんだなと思って、勝手に納得した。

シン・ゴジラと並べて「東日本大震災後の作品」ということを強調する論評 (*2) もあるし、私もそういう部分はあるのかと思いこんでいた。が、新海作品群を観たうえで、個人的にはあまり震災は関係ない気がした。ゴジラは日本の経済と政治の根底をゆさぶる災厄として描かれたが、君の中は。の彗星は、言ったらアレだが、影響は1つの町を破壊する程度であって、国家の危機でもなんでもない。

君の中は。は、新海流の物語手法が、変化のプロセスにある中で生み出された、わかりやすい恋の物語なんだとおもう。そして、秒速では叶うことのなかった恋が、おそらく叶うような可能性を観客に見せて終わるのは、それ以外にちょうどよい物語の収め方がないから、というだけのような気もした。

脳内の現場からは、以上です。

個人的には、秒速の山崎まさよしの曲が流れるエンディングが好き。 (*3)


*1

Other voices-遠い声- » プロフィール

*2

machidaneko1.hateblo.jp

*3

秒速5センチメートル 山崎まさよし 「One more time,One more chance」 by ななななみななみ - ニコニコ動画

マインドフルネスって、そういうことか。

マインドフルネス、ということばを何度か、オンラインメディアの記事で目にしていた。そして、それが禅の知恵を取り入れた「集中法」のようなものなのかと、漠然と思っていた。といっても、本質が何かさっぱり分からず、実践には至らなかった。

それがさっき、ひとつのきっかけで、電撃が走るように理解できた。きっかけとは、NHK BS1で再放送していたNHKスペシャル「キラーストレス」の回を見たことだ。 (*1)

人間が生命進化のプロセスの中で手にしてしまった「危機反応システム」がとりわけ仕事や家庭など社会的な場面で発動してしまい、それが複数重なってしまうことが人命を奪うキラーストレスになりうることが研究から分かった、という。
また、人間が過去や未来に思いを巡らせてしまう「マインド・ワンダリング」が問題だという。これは、過去の記憶に引き摺られて、未来への懸念がアタマの中にあふれてしまうと、現在に対する集中を削いでしまうことにもなっている、という話だ。

逆にいうと、現在の行為に集中する時間こそが極めて大事になる。そして、それを可能にする考え方と取り組みのカギになるのがマインドフルネスである、ということだ。

あれ、現在への集中というのは、まさに心理学者ミハイ・チクセントミハイが言うフロー体験そのものではないか、と気づいたのだった。 (*2)
迂闊だった。いや別に迂闊ではないけど...。

フロー体験をどう作り出すか? というのは何回か考えたことがあったのだが、それが何に役立つかというのは考えたことがなかった。そもそもチクセントミハイの書籍のタイトルも「喜びの現象学」 (*3)であり、あくまでフロー体験を現象学の視点から解き明かす試み、という認識でいた。

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Google トレンドでみると、マインドフルネスはこの1年以内で急激にTipping Pointを越えてきているみたいだ。それに比べると、フロー体験はまるでトレンドに乗っていないようだが。

時代がマインドフルネス真っ盛りであるというなら、40年くらい前からフロー体験を提唱していたチクセントミハイにもうちょっとスポットライトが当たっていいんじゃないかとも思った。とはいえ私もまだ、マインドフルネスの概念と手法について知識ベースでつるっと押さえるところも済んでないので、なにも言えそうにない。

よし、明日マインドフルネスの本を読んでみよう。


*1

www.nhk.or.jp

*2

blogs.itmedia.co.jp

*3

フロー体験 喜びの現象学 Amazon

2017年の目標は立てません。

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元日だ。
とりあえず、2017年の目標というのを立てようと思って、数日前にTwitterにメモで書いた気がするのだが、すっかり忘れてしまった。
それを引っ張り出そうか、あるいは改めてちゃんと考え直そうかと思った。
と、そのときふと、この「2017年の目標」っていう発想が、私にあまり合っていないような気がした。

先日、ストレングス・ファインダー(性格上の強みの資質を見つける統計的な心理テスト)を受けて思ったことは、私は「着想生命体」とでもいうべき特質を持っているようだ、ということ。別のことばを使うと、朝令暮改の名手ということである。

考えてみると自分自身の人生で、長い時間を計画的にかけて、やりたいと思ったことは1つもなかったし、今もない。
幼いころは、それを「夢がない」ということだと解釈していて、将来の夢を聞かれるたびに答えに窮していて、イヤだった。
だが現代は、「ライフシフト」 (*1) で指摘されるように、社会の変化が早くなり働き方も多様化して、むしろひとつの価値感に閉ざしてしまうことのほうが、よほどリスクになる時代だ。
この説得力あるリアル・ミライを理解できたいま、自分の進んできた方向性も、さして間違ってなかったのではないか、と自己満足している。

さてそうなってくると、無理に計画的な、ウォーターフォールな行動指針を立てなくてもいいんじゃないかと思ってしまう。

一方しかし、私にライフシフトをはじめ、時代の潮流を楽しむための知恵を学ぶ機会を作ってくれた方々は、「振り返り」を大切にしている。
ここについて、どう考えたらいいのだろう。
計画はないまま行動に移しても振り返りはできるのか?

結論、たぶんできる。というか、計画しないけど振り返りを大切にする、それがアジャイルの本質なのではないか。
短期間のスプリントを回してみて、チームでKPT (*2) を出して振り返る。実際のソフトウェア開発プロセスであれば、Problemを次のスプリントで改善するような打ち手を、チームで組みこんでいくわけだが、個人の意識と行動というファジーなものであれば、無理して「組み込もう」としなくても、効果はあるのだと思う。

今気づいたのだが、振り返りというのはたぶん、行動経済学でカーネマンらが提唱するシステム2(熟慮の思考と決断)を活性化させるのにとても有効なのだ。というか、そうでもしないと熟慮の思考を呼び出すのは難しい。 (*3)
振り返りをして、行動を反芻する。それを愚直に繰り返す。その先に、システム1(瞬発無意識の思考と行動)を少しずつ、こうでありたいという動作感に寄せていけるのではないだろうか。結果的に、いつか自分の行動特性が変わっている。それに、自力でなのか、人からのメッセージなのかはともかく、気づくときがくるのだ。

という自己満足な、納得いく結論を得た。

改めて考えると、「とりあえず目標を立てる」って思考停止だ。あと、目的と目標と手段がごっちゃになりそう。危ないこれ。思い付きで目標立てちゃいかんなぁ。
そもそも、アタマが混乱しそうな難しいこと、考えるの苦手なんです...。

2017年の目標は立てません。


*1

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

*2

kuranuki.sonicgarden.jp

*3

d.hatena.ne.jp

戦争のイノベーションを超えるには?

4日前、ハワイを米国のオバマ大統領と日本の安倍首相が訪れた。そして、安倍首相は、真珠湾攻撃のアメリカ側の戦没者を弔うスピーチをおこなった。ゆっくりと心をこめて、日本語で語られた不戦への思い。誠実な語り口は、アメリカの人々からも共感を得るところであったように感じる。 (*1)

先日「この世界の片隅に」を観た。太平洋戦争の最中の、広島で生きていたごくふつうの人々の日常のよろこびと、それをあっさりと奪われるかなしみを紡いだ物語である。 (*2)

そして今、アニメ「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争」を観ている。宇宙に住むことが当たり前の時代になっても尚、戦争を続けてしまう人類の宿命を描いた作品である。本作「ポケ戦」では、秘密作戦に関わることになった少年アルの経験を通して、戦争の残酷さを浮き彫りにしている。 (*3)

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政治家も、アニメーション作家も、ほとんどの人たちも、戦争が起こらない世界を望んでいる。不戦の意志をスピーチで伝えるのも、戦争の悲しみを描くのも、それを支持するのも、その意志の現れだ。人はそれぞれの立場で、戦争のない未来を望むメッセージを発している。

けれど見方を変えると、不戦のスピーチがニュースになったり、戦争の悲惨さを描く作品が観る人の心を打つということは、「戦争のない世界がすぐには実現しそうにないから」だとも言える。

戦争のない世界の実現のためには、様々な立場の人たちが、強く、はっきりとそれを目指すことを声に出さないといけない。という世界の共通理解が、この70年間で少しずつ生まれてきたのだとは思う。
だが、その未来に対する現実の歩みは、遅々としている。
哲学者バートランド·ラッセルと科学者アルバート·アインシュタインらによる、世界戦争の危機に対する強い警告から60年が経ったが、科学技術は今なお、平和のためのみに使われる気配はない。 (*4)

技術的イノベーションが起こす、個人の想像を超えていく集合体としての人類の"進歩"を私たちは目の当たりにし続けている。そして、そこから大きな恩恵を受け続けている。世界をマクロに見れば、間違いなく、数百年前の先祖たちよりも、衛生的で、命が奪われる確率が低い社会を築きつつある。
だが一方では、宗教的闘争心、ほかの民族に対する敵愾心、利権追求と独占欲、などなどの破壊や奪取を志向する感情に、新技術や強力なシステムが結びつき「武力行使に対する生産性の飛躍的向上」、すなわち戦争のイノベーションが起き続けていることもまた真理である。
結局のところ、技術的イノベーションとは、ヒトそれ自体を変えるものではなく、ヒトの意志や欲望の強化を加速しているものだ。それが良いとも悪いとも思ってはいない。そこは感情論を持ち込むのではなく、実態に即して、どうすれば望ましい方向にイノベーションのパワーを誘導できるか考えるべきだと思っている。

私は人類の未来に対して、楽観的でもあるし、悲観的でもある。どこに楽観的かというと、このブログでも再三述べてきたように「助け合うことの価値」を最大化するような仕組みが、まちがいなく人類には埋め込まれていると確信するところだ。私たちは、助け、助けられることを愛し、徹底できる。その愛の向かう範囲を、これまでにないなんらかの方法で広げることができれば、差別や排除、敵意の連鎖も断ち切れるのではないかと思う。戦争のイノベーションを回避するのは、やはりイノベーションがもたらす愛の拡張だ。
対して、どこに悲観的かというと、その実現の方法が見えてこないというところである。

といっても、楽観も悲観も、私という器の中の主観の問題なのだ。
いずれにせよイノベーションの連鎖の先に、すなわち個人の予測を超越したところに、未来が訪れる。だから、楽観視しすぎても、悲観視しすぎても、目の前の行動への踏み出しを止めてしまうだけ。まず行動することから、自分の未来は始まっていく。

助けてくれる人に、感謝の心と敬意をもつ。感動に素直になる。新しいことに挑戦して、失敗して、学ぶ。なによりもそれを楽しむ。
その思いで、また明日から、生きよう。


*1 平成28年12月27日 米国訪問 日米両首脳によるステートメント | 平成28年 | 総理の演説・記者会見など | 記者会見 | 首相官邸ホームページ

*2 全国拡大上映中! 劇場用長編アニメ「この世界の片隅に」公式サイト

*3 機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争

*4 ラッセル=アインシュタイン宣言

2012年からの5年間の読書数を振りかえる

何か数字を使って、自分の行動の振り返りをしてみたい。
そのとき、ふと読書を思い出した。

ブクログというサービスを使って記録している自分の読書データを材料にしてみよう。 (*1)

ブクログは2011年の夏頃から使い始めた。せっかく読んだ本を記録しておきたい、なるべく手軽に、という私のニーズにかなりピッタリ合っている。本を読み終わったときに、スマホのアプリを起動して、本の裏側のバーコードを読み取るだけで、自動で記録されていくスグレモノだ。 (*2)

読んだ本が月、年で何冊だったのか、簡単に整理できるので、これが振り返りにも役立つのではないか?
と思い、2012年から2016年までの5年間のデータを出して、以下にグラフ化してみる。

*本の数には、雑誌や漫画は含まない。
 小説は読んだ数が少ないこともあり、区別なくカウントしている。
 最後まで読み終わったもののみをカウントしている。

まずは表形式で、月の読書数を記す。

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つづいて、各年ごとの1-12月の読書数が分かるよう、線グラフに。

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さいごに、年間の読書数を棒グラフに。

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ではでは、振り返りを。
2016年に読んだ84冊というのは過去5年間でみると冊数としては下から2番めであるが、2015年よりは20冊ほど増えた。 月間のほうでデータを見ると、2016年は、3月が2冊、11月が3冊しか読んでいないなど、あまり本を読めていなかった月がある。

過去も含めて振り返るとき、私自身のキャリアの変遷と、時間の使い方を照らし合わせると、読書数の推移の傾向はおおよそ説明がつく。

2012年は大企業のサラリーマンとして、定時出社と帰宅の日々だった。人づきあいも少なく、ありあまる時間を読書に投入していた。
2013年は夏に小さな会社に転職し、住環境も変化した。仕事に慣れることにエネルギーを注いだのが、後半の読書数減少かと思われる。
2014年は社外の人と会う時間が少しずつ増えてきて、そこに時間とエネルギーを投じることが増えたことが、読書の減少に繋がっているのではないだろうか。
2015年は、会社の形態が変わって、仕事の中身も変わり、労働時間が長くなった。また、社外活動や、プログラミングスクールでの勉強など、コミュニケーション&アウトプット型の時間の使い方が増えたことも、読書数を気づかないうちに減らしていたのだろう。
2016年は、色々なコミュニティで出会った人から刺激を受けて、そこでおすすめされた本を読んだりする機会が増えたように思う。

この5年間、少なくとも毎月最低1冊は読んでいたことがわかったのは、純粋に面白かった。

ということで、2017年の読書の方針。
特に目標数などは設けないが、尊敬する人、刺激的な人がおすすめする本に飛びついて読む習慣をつくる。
新しい考え方、異なる生き方をする人たちの視野と体験を学ぶことを、楽しみたい。

"成長"を果たすのに大事なことは、「本から得られる知識、知恵を行動に落とし込むこと」と「行動の結果、人からもらったフィードバックを咀嚼して、アウトプットで可視化すること」のつみかさね、なんだと思う。私にとっては。


*1 http://booklog.jp/

*2 http://booklog.jp/iphone