ギブギブン

1ヶ月毎日ブログ書く企画ではじめたブログです。

ラーメン屋の前のカーネマン

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おくさんがでかけていたため、夜ご飯を1人で食べることになった。 ふと思い立って、久々に二郎系ラーメンを食べに行こうと思った。家から歩いて10分くらいのところに2年ほどまえにオープンした店舗をGoogleマップで見つけたのだ。 二郎系ラーメンは、かれこれ1年半以上行っていない。なんかこう少し楽しみな気持ちで、歩いて店舗に向かった。午後8時ごろの話である。9時閉店なので、まあ空いているだろう、と予想して。

だが、お店の前に到着してびっくりした。行列ができている!といっても別に大行列ではない。5人くらいである。店舗の客席数が仮に8だとして、5人ならば、二郎系ラーメンの1客あたりの回転時間(20分くらいかな)を考えれば、おそらく20分も待たずに入店できるだろう。ということが、だいたいその場で計算できた。

なのだが、このときぼくが取った行動は、行列を見た瞬間回れ右してお店から離れ始めてしまった。 論理的な時間計算よりも、「すいていることを勝手に予想して来たら予想と違ってしまい、1秒でも行列で待つことが耐えられない」という感情が先に出てしまい、もうなんか足が動いていた。

行動経済学の大家ダニエル・カーネマンは、システム1とシステム2という人間の思考モードに関する概念を提唱した。自動的で速い処理のシステム1と、意識的で遅い処理のシステム2が人間にはある、という説である。

今回の二郎系ラーメンを待てなかったぼくのケースがこれが当てはまるのかわからないが、当てはめはできそうな気はするのでちょっと無理くりだけど考えてみると。

ラーメン屋の行列を見たときに、システム2に適合するかは、わからないが、ロジカルな計算はたしかに発動したのだ。そして、20分も待ち時間はかからないだろう、それに他に特にお店の候補があるわけでもなかったので、そのままそこに入店するのが合理的であろう、という思考はたしかに頭をよぎったのだ。 だが驚くべきことに、感情が「並ぶんならもういいよ、帰る」と計算を上書きする強さで思考を包み込んでしまい、そのまま足が帰宅モードになってしまった。これはシステム1なのだろうか? 改めて言語化してみると、直感というよりは、もともとの予想に対する感情に引っ張られたことが大きかった気がする。

カーネマンのいうところのシステム1、2はちょっと今回のケースは違った気がする。

なんらかの判断を下すときに、直感にひっぱられるとあとあとで後悔するようなことになってしまうようなケース、とくに大きな意思決定では、システム2を引き出して、熟慮の末に決断することが重要だと考えられる。これに関してはまったくそう思う。 ただ、たとえばラーメンを食べるか、うどんを食べるか、くらいの軽い決定に関して、しかもすごいお目当ての店に行くわけではなくて家から歩いていけるくらいのところであれば、それは本当にどっちでもいいし、なんなら食べなくてもいいし、みたいな軽さになるわけで、そうなってくるとシステム1、2の思考判断以前に「もういいや」という予測を伴う感情が強く出てしまうということがありうるんだと感じた。

いやー、でもこれも、カーネマンの言ってたことを知っていたから、こういう思考の巡らせ方が楽しめるわけで。 ありがとうカーネマン。