ギブギブン

1ヶ月毎日ブログ書く企画ではじめたブログです。

怒りたくない、怒られたくない

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基本的に、怒りたくない。他者に対して。 なぜなら、自分が疲れるからだ。

怒ることで、自分がこうあってほしい、という行動変容が相手に起こるのか?というと、そもそも怒られることがいやだ、という外圧で行動変容が起きるとは自分で考えた場合に思いにくいし。いやそもそも、他人を行動変容させたいという気持ちがあまりない。 そもそも関わるのが面倒な相手なら関わりたくない。関わって楽しい相手は最初から楽しいし、そこに怒るという概念が入ってこない。

あと怒られるのもやっぱり疲れるので、あんまり怒られたくない。それは上述の裏返しで、怒られたところで自分の行動はポジティブに変わるとは思い難いからだ。

ぼくが会社員をやめてしまい、自分に上司もなく、また部下もない、ひとり会社の実質フリーランスをやっているもの、やはりその「怒りたくない」「怒られたくない」気持ちと相性がいいのかもしれない。

ぼくは仕事としてマネジメントをやったことがない。なので、正直肌感として部下をマネージすることがどういうことなのかはよくわからない。前に会社員をやっていたときに、バイトで入っていた方に指示をしたりすることはあったけれど、それはマネジメントではないような気もする。

兎にも角にも、怒ることも怒られることもなく人生を過ごしたいと思ってしまうのだが、別に怒ることが間違いだと思っているわけではない。怒ることによって、結果が多くの人にとって望ましい方向に変わる局面もたくさんあるだろうとは思う。だから、時と場合でうまく使えば、効果を大きく発揮する行為だろうとは思っている。思っているのだが、自分がそれをするのは難しいなぁと思っている。

ある意味では、関わる必要がないなと思う人にはもうそれ以上関わろうとしないでいる、ということの現れだと思う。継続的に、ある程度の強度で関われるということは相手に対して強い利害関係なり、感情的接着があるということだろう。ぼくはそこを持つこと自体を、面倒臭がっているんじゃないかと思う。