ギブギブン

1ヶ月毎日ブログ書く企画ではじめたブログです。

エスカレーター歩行問題に現実的決着をつける 【前編: 歩くと速いのか?】

駅や商業ビルなど、大都市部での垂直移動において欠かせないインフラ、それがエスカレーター。

ただ「エスカレーターは歩行していいものなのか?」という謎がつきまとっている。
と、少なくとも私は感じていた。

そもそも歩く人と、止まって乗る人があんな狭いところで交錯しうるのって、危なくないか?
でも、片側を開けて、歩くことは、僕が物心ついたころ(1990年代)には既に不動の常識だった気もする。記憶は曖昧だが。

調べてみると、日本では1970年代くらいから推奨され始めたとこのこと。 (*1)

すごいな、50年も歴史あったんだこの慣習。

実際、どんな考えを持っている人がいるのか。
ゼゼヒヒという投票サイトを眺めてみる。 (*2)

「片側歩行していい」
「歩行なんてダメに決まってる。でも都市部では習慣的に片側開けるような『悪習』が生まれているので、本来早くこれをやめさせるべき」
「場合によって分ければいいのでは?駅なら歩行OK、商業施設ならNGとか。時間帯で分けるとか。」
などなど色々な意見がある。

業界団体としてはどう考えているのか?

一般社団法人 日本エレベーター協会は、歩行禁止を呼びかけている。(*3)
同協会は鉄道会社と組んで2009年頃から「みんなで手すりにつかまろう」という呼びかけを続けている。

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このポスター、見たことある方も多いと思う。

しかしながら、実効性を発揮しているだろうか...?
私は正直なところ、東京都内の駅で、両側にしっかり手すりにつかまって歩かず乗っている光景を見たことはない。

この「問題」の研究者の意見も拾ってみよう。

江戸川大学の斗鬼 正一教授は、歩行容認は、強者の論理が最優先された時期の産物にすぎないとして、多様性を重視すべき現代において、歩行に否定的な意見を述べている。しかし、実際問題、歩行前提になっている今の状況を「すべて禁止にせよ」というのもまた、一方的であるという意見も示しており、一律の「廃止/存続」の二元論ではない解決法探しを提案している。(*4)


さて。
私自身は、今回いろいろと調べてみるまでは
「歩行禁止らしいんだけど、みんなやってるし、自分も急いでるとしてるから、なんともいえないな〜」
という曖昧さの固まりのような意見であった。

せっかくなので、この問題に対して何か創造的なアプローチを取ってみたい、と思う。

そこでまず、自分でデータをとって調べてみることにした。

調べたいこと。それは。

本当に、エスカレーターを歩くのは「速さの面で合理的なのか?」 である。

私が思っている仮説。
それは
「実はエスカレーターを歩いても大して時間節約になっていないのに、習慣で歩いてしまっているだけ」 ではないか
ということだ。

今回、実験により、歩くのは大して効果がないと分かれば、世の中に「歩くのはやめましょう」という材料ができるかもしれないと考えた。

ということで。
勤め先の近くにある大型商業施設兼オフィスビルにやってきた。

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ここの1Fと2Fの吹き抜けゾーンをつなぐエスカレーターで、実測してみることにした。
なお、このエスカレーターは幅がせまく、一人用の幅になっているが、むしろ実験を安全に行う上では好都合なので、採用した。
見たところ、エスカレーターの上昇、下降速度が著しく速い、遅いということもないようだ。
サンプルとしては問題ないだろう。

というわけで実験開始。

なお、今回の実験では、エスカレーターの手すりが始まるところで(= 弧を描いて下から出てくるところ)ストップウォッチのスタートを押し、到着して手すりがまた弧を描くところをゴールとして、そこに到達したらストップを押している。

まず、静止して、エスカレーターに乗ってみた時のタイムを測定した。

▲上り
28秒74

▼下り
29秒20

次、歩いて乗ってみた。なお、歩く速度は一般に駅のエスカレーターを歩行する際のくらいになるよう心がけた。

▲上り
15秒04

▼下り
15秒42

結論

エスカレーターは、歩行するとすげー速い

なんと、止まって乗っているときの半分の時間で着いてしまう。
いや、これはね、急いでたら歩きますわ。

てかさ、まあ、そりゃそうだよね…。
ひょっとしてこんなん調べたの、ぼくだけなのでは…。

ということで、移動速度の合理性の観点から、歩行の有用性を否定する見解を組み立てるのは不可能でした。
終了。

ってこれで終了したらオチがなさすぎる。
試しに階段だとどれくらいのタイムになるのか計測してみた。

残念ながら、エスカレーターの横にまったく同じ長さでの階段がある建物ではなかったので、同じビルの吹き抜けを繋いでる、踊り場がある階段にやってきた。

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ここでタイム測定すると踊り場で折り返すために、1-2秒程度タイムが伸びてしまうことが想定されるが、それを承知で計測してみた。
なお、歩行速度は、エスカレーター歩行したときと同程度になるように意識した。

▲上り
23秒52

▼下り
25秒01

エスカレーターに静止して乗っているよりも、少し速かった。 とはいえ、エスカレーター+歩行というコンボに比べると、とても速度では勝てなかった。当たり前か...。

だが、一個可能性に思い当たった。 階段を1段ずつ上っているから、この時間がかかるのではないだろうか。

人類の足には、1段飛ばしくらいで上るだけの可能性はある。

これをやって、エスカレーター上で歩行するより、階段を使ったほうが速いというケースを証明できれば、そちらを選ぶようになるひとも増えるのではないか?

それは、速度合理性でも、安全性への配慮でも、エスカレーター歩行を上回る結果だ。
そして、「健康へのプラス」も得られることが大きい。

先日亡くなった聖路加国際病院日野原重明先生のことを思い出した。
100歳を超えてなお現役医師であった。
そして、階段上りで健康維持を実践していたことは有名だ。 (*5)

そのためには、実験だ!
階段上りの速さを証明して、エスカレーター歩行を減らせば、みんなハッピーになる(かもしれない)!!


*1

news.nifty.com

*2

エスカレーターの歩行禁止、どう思う? | ゼゼヒヒ - インターネット国民投票

*3

www.n-elekyo.or.jp

*4

business.nikkeibp.co.jp

*5

news.ameba.jp

オプションB:喪失が物語となり、私達が立ち直るとき

Facebook社COO(最高執行責任者) シェリル・サンドバーグと、組織心理学者アダム・グラントの共著 「OPTION B(オプションB)」 が、静かな話題となっている(2017年7月刊行)。

2015年5月1日、休暇旅行先のメキシコで、シェリル・サンドバーグは夫デイブ・ゴールドバーグを失った。享年47歳。エクササイズ中に倒れての急死だった。
その瞬間から彼女は、深い喪失の旅に引きずり込まれた。

押し寄せる悲しみは、時間と場所を選ばず彼女を責め立てる。世界一利用者の多いSNS企業のCOOであり、各界から尊敬を集めているリーダーは、集中して仕事もできないほどに不安定で、辛さを抱えこんだ精神状態になっていた。

その彼女が、いかにして喪失に向き合い、それを受け容れ、回復していったか。その経緯に起きた出来事、そこで感じた思いを余すことなく綴った、極めて個人的な物語。それが本書の概要である。

この物語の大事なところは、一言で要約できるようなものではないので、関心ある方は一読、と言わず、三読くらいをオススメしたい。既に読まれた方も、読み返すたびに発見があるのではと思う。

私自身は、彼女の前著 「LEAN IN」 (2013年刊行)も読んだことがあり、本書が周りで話題なので、さらっと読んでみようと思い、パラパラと気楽に読み始めた。
だが、読み進めるうちにテクストの重力に引き寄せられ、心がページに張り付いたようになってしまい、とても気楽には、読み切ることができなかった。何日かに分けて、深海から水面に上がって息継ぎをするようにして、ようやく読み終えることができた。

紙の単行本については、見た目は全然分厚くない。それに、文章に専門用語を使っているわけでもない。なのに、読み進めるのに使うエネルギーが非常にたくさん必要な本だった。
でも、それだけの深み、そして温かみのあるインサイトを、受け取ることができた。
濃い、読書体験だった。

本書のタイトル「オプションB」とは、最善ではなく次善の選択肢を意味する。もう最善が選べないなら、次善を「使い倒そう」。これが、本書のコア・メッセージの1つである。
読み終えた今、このタイトルにも、そのメッセージにも、大いに頷いている。

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ただし「悪いことが起こるのを予期して、選択肢を備えておきましょう」という読解をしてしまうと、それは多分、著者の意図とは違うかな、とは感じる。

夫を失う前の彼女に、たとえ彼女から信頼され尊敬される人であろうとも「夫を失ったときにはどうしますか?」という問いを彼女に投げかけたところで、彼女は変わるだろうか? おそらく何も変わらなかっただろうし、場合によっては「なぜそんな質問をするのか」という不快感さえ持ってしまったかもしれない。
行動経済学の観点からは、これは「保有効果」で説明がつく部分もあるだろう。最高の夫を持っていて、それが失われる状態というのは極めて精神的なショックが大きい。それを想像せよといわれたら、聡明で楽観的な人であっても、いやそうだからこそ、難しいものではないだろうか。楽観的だからこそ、今を大切にして、普段の「最高」を相手との関係の中で、たくさん感じられる、とも言えるわけで。

というわけで、大事なのは、喪失が起こった後である。

本書で印象に残ったポイントは、彼女が夫を失ってまだ悲嘆の中にいたときに知ったという、以下の考え方である。

苦難からの回復を妨げる3つのPを知ること。それは自責化(Personalization:自分が悪いのだと思うこと)、普遍化(Pervasiveness:あるできごとが人生のすべての側面に影響すると思うこと)、そして永続化(Permanence:あるできごとの余波がいつまでも続くと思うこと)である。

この知見は、心理学者マーティン・セリグマンの研究結果から来ているそうだ。

自分が3つのPに囚われていないか、というメタ的な視点を持つことで、確かにそうなっている自分を見つけ出し、そこから出ていく方法にトライすることが選択肢に上った。彼女はそれを選択して、成功した。その先に、回復の道は開かれていたのだった。
この視点こそが、オプションBのカギだ、と私は思う。

「最悪」とは字義としては「一番悪い」ということを指す。だが、この「一番」はどうやって決まるのか? 実はこれは、客観の目は何もなく、溢れる情動の結果、瞬間に生じる極めて主観の解釈なのではないだろうか?
悲しみに包まれたら、どんなに理知的な人であっても、理性と客観はどこかに消え去ってしまう。私達が祖先から受け継いだ、原初的な情動のパワーはそれほどに強い。
ここに関して、心理学者ジョナサン・ハイトは著書 『社会はなぜ左と右にわかれるのか』 の中で、象(感情)と乗り手(理性)という巧みな比喩を用いて説明した。つまり、感情という象が暴れてしまったら、理性たる乗り手がどうにかするのは、極めて難しいのだ。

しかしながら、悲劇に見舞われても、それですなわち、私達が24時間365日、暴れる象(コントロールできない情動)に飲まれてしまうわけではない。もし、そのような性質を人間が持っていたら、理で動く文明社会を築くことはできず、とっくの昔に絶滅していたであろう。
社会、コミュニティを作り、その中で言語による対話や、非言語的なぐさめ(抱擁や寄り添い)という方法を使うことで、情動を攻撃的なものや拒絶的なものから、時間をかけて他者志向に発揮させる方向にシフトできるようになってきた。そこに理性を上乗せして、モチベーションを「つくること」のために加速前進させた。
だからこそ、人間は文明を持ち、発展させることができた。と、私は思うのである。

彼女は、この物語を通して、人間に内在している、しかしながら事態が起こるまでは存在が見えてこない「最悪から立ち直る装置」を起動し、効果を発揮させていく経過を隠すことなく語った。
「最悪」を「最悪」でなくすことができることを示し、「最善」がなくなったとしても「次善」を心から受け容れることができるようになることを示した。
それに関する一連の「科学」が充分に存在し、プロセスにおいて最大限に役に立てられることを、身をもって伝えてくれた。

人は誰でも、立ち直る装置を使うことができる。大切な人を失うことを過度に怖がらなくてもいい。そして、悲劇が起きた時にも、世界が終焉したと決めつけなくてもいい。
失った時から始まる世界。たとえその時点では闇にしか見えなくても、必ず光の差す日はやってくる。

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ただし、辛いようではあるが、ただ喪失の発生点にずっとうずくまっていても、闇夜から抜け出すことは難しい。喪失から少し時間が立てば、人間が本来持つ回復力、すなわち「レジリエンス」のエンジンが再始動し、顔を上げることはできるようになる。
そのタイミングで一番大事なことは何か?
それは、自分の過去からのよき友人と、自分の痛みに共感を持つ新たな知人、これが手を差し伸べてくれること。それもまた本書に通底するメッセージだ。

どうしたら、そのような友人、知人を持つことができるのか?
これこそまさに、共著者アダム・グラントが自著 『GIVE & TAKE』 (2014年刊行)で示してきたことにほかならない。「与える人」(=Giver)であること。与える人は、窮地に陥った時、それまでに作ってきた「与え合い」の相手から助けがもらえるものだ。というよりも、与える人どうしの関係であれば、心底から苦しむGiverとしてよく知る友人を助けずにはいられないだろう。

彼女の場合、少女の頃からの深い繋がりを持つ仲間、また社会的な活動を通じて作ってきた知人や、また初めて出会う人との関係のなかで、レジリエンスを発揮し、自らの回復を成し遂げた。また、それとともに、その過程で出会った、喪失に苦しむひとに対しても、最初は接し方に迷いながらも徐々に「Give」していった。

それは彼女がFacebook COOという地位に居たからできたことなのだろうか?
彼女も認める通りで、それも関係はゼロではないかもしれない。だが、彼女がGiverであることは彼女がFacebook COOであることの前提であって、結果ではない。

夫のデイブ以外でだれよりも、彼女がGiveし続け、そして喪失のあとでの立ち直りを支え、Giveしてくれたのは誰か?
ふたりの子どもたちである。
父を急に亡くすという切実なる悲しみ。それに子どもたちが向き合いながら、母とともに「オプションB」を選び、受け容れ、前に進もうとする過程が本書では丹念に描かれている。

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本書で私が「いちばん」好きなエピソード。それは、喪失の後、彼女が子どもを励まそうとしたときの出来事だ。
伝えようとしたメッセージを、子どもの言葉と行動を通して、すっかりそのまま、子どもから自分が受け取るということが起きたのだ。
彼女とデイブが子どもたちに注ぎ続けた愛。驚くべきことに「子どもからの慈愛」として、それは形を変えて、時を超えて、彼女に贈られた。

親は子に一方的に与えているようで、実は子から大いに与えられ、救われている。
これもまた、本書の素晴らしいメッセージのひとつだ。

生き抜くこと、そして、ひとを愛することを大切にしたいと願う、すべての方に。おすすめの一冊。


以下、本記事で紹介した各書籍の紹介(Amazonへのリンク)

OPTION B(オプションB) 逆境、レジリエンス、そして喜び (単行本)

OPTION B(オプションB) 逆境、レジリエンス、そして喜び (Kindle版)

LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲 (ハードカバー)

社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学 (単行本)

GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代 (単行本)


5年遅いんだ、婚活が。

前回、婚活界に横たわる矛盾について述べた。

そこから思いついたこと。

「大都市で生活する大卒者の婚活は5年遅い(ケースが多そう)」

こう思った背景だが。
まず、統計的に示されている、婚姻に関するファクトを2つ挙げる。

・ 婚姻率(人口あたりの年間婚姻者数)は1971年から低下傾向をつづけている。
・ 初婚年齢は男女ともに、1950年代と比べて、2015年では5年ほど上がっている。
(*1)

次に、人口移動についてのファクト。

・ 大都市圏への人口移動が顕著。特に関東圏への集中が著しい。
(*2)

最後に、学歴と、世代の人数についてのファクト。

・ 90年代から大学進学率は伸長して今は50%を超す。
・ 若年層の数は第二次ベビーブーム生まれ(例 1974年、209万人)以降減っているのに、大学進学者数は増えている。
(*3)

これらのファクトを重ねて見えてくるのは、「大都市に移動して、大学進学する」生き方をする人の割合が増えているということだ。
その結果何が起きるか?
労働市場への参入年齢がかつてに比べて遅い人が増え、それに引っ張られて、結婚のようなライフイベントの設定時期が遅くなる。

また、これは推測ではあるが、大都市部での生活においては、地方の因習や早期結婚のプレッシャーを受けることなく、自分の仕事ややりたいことの追求に時間を投じる(あるいはなんとなく生きている)中で、婚姻の必要性に迫られることなく、年を重ねていく、ということが当たり前になっていく。

これは良いか、悪いか?
単純に善悪の問題ではない。それこそ人の生き方の尊重の問題でもある。
ちょっと話が逸れるが、生き方の尊重という点では、LGBTなどの性の多様性も重要だ。あるいは、外国人。日本に来て、定住して働いて生きていく人たちが感じる課題、社会の生き辛さも認識していくことも欠かせない。
「日本に生まれたら、結婚して子どもを持つのが社会の常識です」ということが、いまや特に大都市部では非常識になりつつある。マジョリティの解体だ。

確かに、「日本人の出生率」が上がらないと国家運営では未来に課題山積かもしれない。だが、そもそも出生率の上がりにくく、未来へのツケを生む環境を作ってきた責任は、国家だけでなく、今までの社会に関与していたすべてのひとにある、と思う。
それを、これから生きる人たち、とりわけ辛い目を見ているマイノリティに転嫁して負わせるような思想は、決して認められない。

と、脱線したけど、何が言いたいのかというと

「大都市に住んで、大学進学を選んだ時点で、日本社会が作ってきた『結婚というライフイベントを先送りするほうが得に見える/そもそもしなくてもよい』という環境に身を投じているのだということを、自覚する必要があるのではないか」

…ぼくが、単に状況を認識したかったから、言うんだけど(笑)。

そこに至り、
「5年遅い」
という冒頭の言葉が出てくる。

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5年というのは感覚値で言ってるわけではない。1950年代の初婚年齢の平均値と、今のギャップが5年だから、分かりやすい基準として、そう言っている。
個々の事例の差異を汲みとれていない言葉のは確かだが、1ワードに集約しようとした結果なので、ご理解いただきたい。

何が一番の苦しみかというと、この「5年遅い」に気づくのは、自分が5年遅い当事者になってからということだ。

どうしてもっと早くに行動しておかなかったのだろう?
あのときに付き合っていたひとを大切にしなかったのだろう?

とかとか。基本的にまず後悔から入る羽目になる。

そう。婚活の苦悩には、それが、当事者にならない限り共感されづらいものであることも、ひとつにはあるだろう。

ちょっと話が逸れる。
私は先日、福岡県のとある地方都市の大型商業施設で、休日、家族連れなど対象に、とある遊び体験してもらうスタッフの仕事をしていた。
そこで来る親子連れを見て感じたのは、「東京の親子連れに比べて、親子の年齢が近いケースが圧倒的に多い」ということだった。

たとえば、3歳のお子さんのいるご両親が、どう見ても、20代前半とか。
15歳くらいのお子さんのいるお父さんが、40歳未満にしか見えないとか。
そういうケースが多いことにびっくりした。

たとえばその方々に「東京では結婚したいのに結婚できないなど、色々な婚活にまつわる問題があります」と言って、共感されるだろうか?
「忙しいんですね」という理解はされるかもしれないが、「結婚したいなら、高校卒業してまもなく、20歳くらいで、そのとき付き合っている人と結婚すればいいのでは?ぼく/わたしみたいに」という返答が出てきそうだと思うのだ(予測だけど)。

同じ日本という尺で語ろうとしても、都市と地方など、バックグラウンドによる環境の差異が大きいので、単純化した全体論は成り立たないだろう。

さらに、同じ大都市の中でも、当然ながら個々の差異は大きい。
たとえば、大学から同年齢で付き合って、22歳で卒業して就職と同時に結婚、というタイミングでライフイベントを置くことに成功しているひとたちも大勢いれば、付き合っても結婚に至らず別れをくりかえすとか、気づいたら40歳を過ぎてしまったというひともたくさんいる。

1950年と、今の一番の差。それは、生き方の多様性が増え、かつ、それぞれが小さいクラスタに分割されることで、体験と共感が、断絶されていることなのかもしれない。

でも、これを「古き良き時代、シンプルなモデルだけに戻せ!」というのは狂気の沙汰。
そんなことはありえない。
そもそも、「古きが良き」であるというのは、ただの回顧主義。因習を当然とする環境の中で、ひどい目に遭った、人生を返してくれ、と思っているひとも大勢いることだろう。

現実の変化に向き合って、そして少し先を見つめながら、なしたいこと、を考え続けることが必要だと思う。ひとりひとりも、社会としても。
が、一方で、その行為の際に要求されるアタマと心の負荷は、変わらない現在と未来の連続を求めようとするマインドセットには、なかなかヘビーなものでもあるだろう。
ぼくも正直、想像するたびに、ウッとなる部分がある。変化を当然のものとして扱うのは、結構エネルギーが必要だ。

かように考えると、せめてできることとしては、結婚したいと思って行動しているひとたちは、守旧思想の方々の意見を取り入れないほうがいいと思う。たとえ同じ「結婚」だとしても、過去と今でそれが意味するものも違うし、個々の事情でも意味は大きく違う。余計な重荷でしかない「アドバイス」は頂戴しなくていい。

じぶんの現実に向き合うことへの助言や支援をしてくれる、未来志向のメンターや知己のいうことに耳を傾けつつ、彼らに自分の体験を率直に開示してフィードバックをもらいながら、じぶんの「受け容れて、前に進む力」を徐々に高めていく、変化を受け容れる、「変容のプロセス」を歩むのが、良いのではないだろうかと。

※傾聴なく、相手が悪いとか、キミが悪いとか言う人は、未来志向の対話相手ではないので、こういう人に相談するのも辞めた方がいいと思われる。そういう人は概して自分の価値観を押し付けたいだけなので、変容するプロセスの中では有害でしかない。うまく距離をとること。本当に自分のことを気にかけてくれる人は、まず傾聴から入って、対話をしてくれるはずだ。

そしてこれまで色々文句を言ってきた(笑)婚活サービスなども、その変容のプロセスの中で、目的と対象を適切に見極めて使うなら。うまく出会いの場として活用して、良い関係をつくるキッカケとなり、場合によってはその先に結婚することもできるのではないかと思う。ただぼくが気づいたのは、「見極め」と「使い所」が難しいので、ただそれに振り回されると疲弊しちゃうよっ、てことで。
あとは、結婚相談所を使うと、そこの人がプロの対話相手として、うまく噛み合うことで、変容プロセスを期間を圧縮して自分に起こすことも可能だと思うので、結果的に行動開始から短い期間で結婚できることもあると思う。興味がある人は検討してよいかと(誰にでも上手くいくとは言わない)。

もしそういった取り組みの検証サイクルをまわしても、結婚できなかったとしても。
もちろん、それをいつの時点で判断するかにはよるが。初婚のあと、離婚に至り、その後再婚することなく、という人もあるだろうし。

自らを責めることも、実らなかった相手を責めることも、親や家庭を責めることも、社会や企業を責めることも。
いずれも自分への辛さに帰ってくるので、一時的にはやむを得ないにせよ、長く何かを責め続けるのはよくないと思う。
結婚したから勝ちでもなければ、しなかったから負けでもない。

時間は巻き戻せない。が、人生の正解は、ない。
営みの価値を決めるのは、自分の内なるもの。
人生を決定論的に扱ってサジを投げるよりも、自分の認識を変えることで世界自体が変わっていくと思うほうが、自分を受け容れて、楽しく生きていけそう。

ということで、自分で送る、自分への言葉。

「5年遅い。でも、それを認めて、今から変容のプロセスを。人生で今が一番、若いのだから。」

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ということで、婚活ネタは、今日でいったん終わりにします。色々なフィードバックいただきありがとうございました。


*1

www.garbagenews.net

*2

http://www.soumu.go.jp/main_content/000452793.pdf

*3

1.出生数、出生率の推移|平成27年版 少子化社会対策白書(概要<HTML形式>) - 内閣府

www.nikkei.com

婚活パーティの衝撃【後編: 比翼連理なる矛盾の発見】

前回の記事 「婚活パーティの衝撃【前編: 部屋の構造的な意味で】」の続き。

婚活パーティに行ってみたら、そこが2ラウンドかけて参加した異性全員と話せるしくみで運営されていた。ぼくは1ラウンド目終わって7人中2人と「双方興味あり」のような状態になったところまで、前回に書いた。

2人の女性のプロフィールを簡単に書いておく。
Aさん、32歳。仕事は会社員。
Bさん、30歳。仕事は医療系国家資格。

2ラウンド目は、この2人とどう話そうかな〜、というのがメインな心理になることに気づいた。

逆に、ほかに最初の5分で興味を持ってもらえなかった人に、自分に関心を持ってもらおうというのは、結構難しい。
特に、1ラウンド目でまったく話の弾まなかった人(Gさん、28歳、会社員)との2ラウンド目などは、完全に罰ゲームといえよう。
という不毛さを、再度同席した瞬間、ぼくだけでなくGさんも、はっきりと感じていたような気がする。

「一応話します?」
「…あっ、はい」
「中野住まいなんでしたっけ?」
「…そう書いてますしね」
「そうですよね。…中野ってどんな感じですか?」
「街ですね、ふつうの」
「…そうですよね」

みたいな。
だが、不毛とはいえ、2ラウンドめの1回ごとのセッションは1ラウンド目より短いこともあり、実質3-4分だけ。なんともいえない居心地の悪さ、これはこれで面白い経験だとも思う。

お互いに興味ありだったAさんとの会話の2ラウンド目を思い出そうしているのだが、会話の中身が思い出せない。
好きな旅行先の話をしたような気もするのだが。びっくりするほどよく覚えていない。

そのあとのBさんとの会話についても、そんな感じ。
1ラウンド目で、仕事の話や趣味の話もある程度は触れた上で、「消去法の◯つけ」プロセスをしたことが、間違いなかったよね、という確認の感覚を抱いた。

この2ラウンド目で働く力学は「確認」と「選択」なのだと思われる。
ぼくの場合は、もう2ラウンド目始まった時点で、この日、この後カップリングが成立するならAさんかBさんかしか、ほぼありえないので、「どっちにしようかな」を決めることが必要になる。
文章で読むとイヤな感じかもしれないが(笑)男女ともに参加者全員がそうするわけであり、それが求められている場なので、当事者たちにとってはごく自然にできることだったりする。
いわば、環境とルールのパワーなのである。

これが、合コンみたいに、目的設定がブレやすく、ちょっとした行動のゆらぎで関係性自体がすぐ放散してしまうイベントでは、これは成り立たないと思った。
成し遂げたい目的があるならば、自分の意志やガッツに頼るよりも、環境とルールを味方につけたほうが、理にかなっていることも多い気がする。これは婚活にかぎらず。

環境やルールに頼らない!己のチカラで解決する!
という人は、素敵な異性を見つけて、熱心なアプローチをして、ゲットすべきだ。
皮肉でもなんでもなく、それができたら、どれだけいいだろうか。
ぼくには、今回みたいな方がしっくり来る。というか、できぬものは、できぬのです。

話がそれた。そんなこんなで2ラウンド目は流れるように終わった。

この段階で、男性の半数と女性の半数が席を立って移動して、同性どうしが隣になるように席を組み替えるプロセスが入る。
要するに、ピンク色のリクエストカードを書くときなので、それを異性に見られないようにする手順だ。いや、このあたりも、巧みなオペレーションに落とし込まれているなと、感心した。

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(これがリクエストカード)

ぼくは第1希望に、Bさんの番号を書き、第2希望にAさんの番号を書いた。
Bさんを第1希望に選んだ理由?
その場の直感。
なんとなく、Bさんのほうが無理なく話が続けられそうな気がした。けど、これは後付の理由づくりかもしれないので、やっぱり直感でしかないと思う。
相手の年齢は考えなかったかって? 考えないといったら、嘘になるかもしれない。

カードを司会が回収し、裏で集計する。その時間つぶしと、アップセル狙いで、「ライトな結婚相談所チックなサービス」の利用に興味あるかを尋ねるアンケートが配られた。
このサービスは登録料30,000円、月額10,000円程度から、幅広くリコメンデーションやマッチングを行ってくれるものだった。
ビジネスとしてはアリなのだと思うけれど、このタイミングというのはどうなのかなと思った。だって、今回収されたリクエストカードのマッチングが分かる前のドキドキしている段階で、次のことを考えるって、人間けっこう難しくない?(笑)

いよいよ最後にマッチングの発表。
司会のキマっている女性が、ここぞとばかりに、声を張り上げる。

「おめでとうございます!
 本日、2組のカップルが誕生いたしました!
 1組目は、男性●番、女性▲番。2組目は、男性■番、女性▼番です!
 皆様、盛大な拍手をお願い致します!」

何がおめでたいのか良く分からないし。コレ拍手したい人っているのかな。

あれ。
2組目ってぼくの番号じゃないすっか。で、相手の女性は、第1希望で選んだBさん。

うわあ。
いざそうなると、困る。
テンプレートどおりの司会の言葉になんの共感も湧いてこない一方、これ選ばれるとどうしたらいいんだろうか、という焦りが湧いた。

で、思わず立ち上がってしまった。

「まだ、立たないでください!お座りください」

即座に司会に怒られた。座った。

その後、カップルになれなかった男性たち、女性たちはそれぞれ性別ごとでまとめてタイミングを分けて、退出させられた。
タイミングを分けるのは、その後でありえる「男性が女性を追いかけて声をかける」ことの防止であろう。確かに、それをされてしまうと、女性の不快度が上がり、クレームの元になり、次に来なくなってしまう。

とにかく徹底的に女性のリピーターを大事にするのが、婚活パーティ・ビジネスの要諦なのだ。女性さえ確保できれば、単価の高い客である、男性を引き込めるのだから。

そして会場には、司会女性と、男女2人ずつだけが残された。
ようやく席を立つことを許され、ぼくはBさんの隣に座った。

Bさんと、会話する。といっても
「あ、どうもありがとうございます」
「こちらこそ」
くらいの朴訥たるものでしかない。

だって、そこで
「選んでくれてありがとうございます!」
「私もとっても嬉しいです!」
なんてテンションも出ないし。実質会話時間、まだ10分以下なので。

司会から、ここでようやく連絡先の交換を許された。
これもまた、婚活パーティ・ビジネスの要なんだと気づく。
容易に連絡先を交換させると、「ストーカー的な男」によって、女性参加者の満足度が低下するリスクがある。
双方選びあうプロセスを経て初めて、連絡先が交換できるのだ。
最初からメッセージ送信によって関係構築を図ろうとするネット出会いサービスとは全く対照的な順番になる。考えてみると面白い。

しかし、思う。

「リピーターが多い」のは安定するビジネスの肝だと思うけど。
婚活というテーマにおいて、リピーター率が高いという状況は、顧客の目的に合致しているのだろうか?
むしろ、リピート率を低く、目的達成できるのが最大の顧客満足ではないのだろうか?

だがそれを責めることもできまい。企業の力学とは、自然には、現状の延長線上に進むもの。
かくして、リピート率の高い、よくできた婚活がぼくたちの身の回りを埋めていく。

矛盾。

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さてぼくとBさんは会場を出て、下りのエスカレーターで話をしていた。

「あの、すいません、Bさん、ぼくは今日チャリで来ちゃったんですけど。」
「えっ。そうなんですか。」
「遅れそうだったんで…。ところで、この後ってお時間あります?」
「ありますよ」
「じゃあ軽く食事でもしましょうか」
「そうですね、私、いいお店知ってますよ」
「あ、じゃあぜひ…お願いします。」
という感じで、Bさんにお店を教えてもらうという、見事にイベント・アフターの準備不足ぶりを露呈したのだった。

かといって、会場近くのいいお店をカンペキに押さえておいてから婚活パーティに望んでも、カップリングされない可能性のほうが高いわけで、これもなんか不毛だなーって思ってしまう。
だって今回でいうと、男性8人(女性より多く、余っていた)のうちカップリングされたのって2人で、成立わずか25%だ…。
ぼくが今回カップリングされたのも、基本的にはただの偶然。

Bさんに連れられて入ったのは明るい雰囲気のカフェ/レストランだった。土日だが夕方ということもあり、そんなに混んでいなくてすぐに座れた。
ぼくは聞いてみた。

「何飲みますか?お酒って結構好きですか?」
「好きですよ」
「あ、頼んでください!ぼくは自転車なんで、ソフトドリンクでいいです」
「あ、じゃあ私も別にいらないです」
「すいません…」

という配慮不足の上塗りがあったことを、ここに告白する。
とりあえず婚活パーティに自転車で来るのはやめたほうがいいと思った。

とはいえその後は、普通に仕事の話や、家族の話などをしつつ、互いの価値観を見るような質問も入れつつ、お互いに「ありかもな」という感覚を深めたような気がする。
が、錯覚かもしれない。

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ふと感じる。

婚活パーティでカップリングできたとしても、そこがようやくスタート地点であって、そこから先に続くかどうかは分からない。というよりも、ほとんどがどこかで終わっていくのだろう。
お互いが自分の中に、相手と連絡し続け、会い続ける「とくべつな理由」を作ることができなければ。
何かの弾みか、面倒くさいかで、ひとつでもプロセスが停滞すると、基本的にはオシマイ。

想像してしまうと虚しい。
だがそれも自分が当事者としてやってしまっているのだと分かっていることが、虚しさをいっそう、複雑なものにする。

虚しさついでに、費用を計算してみよう。

トータル10人とカップリングできれば、将来そのうち1人と結婚できる「かもしれない」と仮定しよう。
婚活パーティに1回参加すると、今回同様に、確率25%でカップリングになれるとする。
10人とカップリングできるためには、少なくとも40回はコレに参加しないといけない。
週に1回参加するとして、およそ10ヶ月かけて、1人見つかる「かも」。
費用は約5,000円*40 = 約20万円。
結婚相談所が入会金10万円程度、月会費1万円程度だとすると、10ヶ月かかると同程度か。
成婚料というものが、結婚相談所にはあるけども(相場は約10万円)。

そして計算してみて感じるんだが、20万円かかることより、この手順を40回繰り返すことのほうがはるかに辛く思えてきた。探して、申し込んで、参加して、リクエストカードを出して、etc。

やっぱり本気で結婚したいならば、結婚相談所で、プロにリコメンデーションをまかせて、選り好みせずに向き合うというのは精神労力削減の意味でも良いのかもしれないと思った。
前々回書いたとおり、収入と定職の観点で、ぼくには結婚相談所を使う資格がないのですが。
使える状況にある方は、古いとか恋愛結婚がいいとか、食わず嫌いをせずに使ってもいいのかも。

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あれから2週間経ち、Bさんとは、いまも連絡は続いている。

だけど、「ただの良いお友達でした」で繋がりを自然消滅させるほうがラクな力学が、この世界を支配している。
相手もまた、次なにかの婚活の行動を取り続けているだろうし、ぼくもまた何かをするだろう。
するとそこにカネと労力とがかかり、比較検討プロセスが入り込み、集中と選択と決断を先送りにさせていく。
だが選択と決断のカギは自分の側にあるのではない。いつだってそれは相手の側にある。

可能性を広げる行動を取り続けなくてはいけない&それができることが、今あしもとにある可能性を狭めるという矛盾を引き起こす。

これが、矛盾その2。

分かっていても、矛盾を解消する方法はない。かくして、葛藤は続く。

閉塞感を抜け出したくて、また新たな婚活サービスを探し、それにお金と時間をつぎ込んでも。
事業構造の矛盾(リピート率の向上)と個人内面の矛盾(継続と選択と不一致)の比翼連理な強固な構造の中にいる限り、行き着く先は同じことだ。


この感覚と状況、婚活に苦しむ人達のある程度共通するものではないだろうか?

というのが、自分が今回参加してみて初めて、等身大に分かったことだった。
この衝撃は重く、まともに味わうと、立つ元気も出ない。

この手詰まりと閉塞を、どうやって克服すべきなのだろうか。
袋小路の脱出の成功例を知っている/自分は成功した、という人の話を聞いてみたい。

※ご感想、アイデアなど、よければコメント欄にください。

婚活パーティの衝撃【前編: 部屋の構造的な意味で】

前回のブログの続き。

意を決して、婚活パーティに行ってみた。

ネットには、不動産のプラットフォームよろしく、各社主催の婚活パーティ類をまとめて検索して申し込めるサイトがある。そこを使って、目的や条件、日にち、金額で検索して絞り込んで、参加する回を決めた。

男性の参加費用、ひとり4,000円也。
なお、女性は1,000円程度だった気がする。
価格差は…。
仕方ないね。
世の摂理なのだ(すべてではないにせよ)。

イベント当日は一応遅れないように会場に向かう。
つもりが、
電車に乗ったら間に合わないということが発覚して、自転車に乗ってダッシュで向かうのだった。
われながら、だらしねえな。

きれいなビルをエスカレータで上がると、その会場はあった。
受付にはキッチリとスーツを決めた女性が立っていて、訓練された感のある接客で受付をしてくれた。
歪みない感じだ。

身分証を確認される。申込した年齢の偽りがないかを見るのが主目的だ。

大きな荷物を預けて奥に行くと、そこには見たこともない構造が広がっていた。

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衝撃。

この空間は何なのだ。
よくみると、ブース10個ほどに分かれていて、それぞれのブースには椅子が2つ並び、テーブルがくっついている。男女が隣り合って座れる形だ。

到着の時点で、男性だけ座っているブース、女性だけのブース、両方いるブース、誰もいないブースなど様々。あとでわかったのは、別に意図があってそうなっているわけではなく、ただ単純に到着した人を番号で割り振っているだけのようだった。

僕が入ったブースは誰もいなかった。机の上には、これが置かれていた。

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プロフィール・カード。
(注: 企業名はぼかし加工した)

記入欄は、見て分かる通り率直に自分の情報を晒すことを求めてくる。

とはいえ、あとになって気づいたのだが、意外と空欄が多い人もいる(笑)。

【年収】は書きたくないから書かないのかもしれない。
【私と結婚したら◯◯約束します】は具体的すぎて言葉をイメージしづらいから書けないのかもしれない。

前回の記事で、ネットの出会いサービスはカタログスペックで弾かれるから悲惨だと書いた。
今回の婚活パーティについては、年収や学歴のスペックは関係なく参加はできるし、参加しても相手に伝えなくても成り立つは成り立つ。

これが発見である。

もちろん、結婚したいのならば、そこが秘密では関係は進まないので、隠さないほうが確率は上がるのは間違いないだろう。が、少なくても門前払いされないのは有り難みがある。
いくらネットやスマホが普及して情報が充分になっても、むしろ情報検索とフィルタリングが容易すぎるがゆえに起こる途絶がある。に対して、「とりあえず申し込んだら会える」ということの価値があるのは認めざるを得ない気がした。

話が脱線してしまった。

少し時間がたって、ぼくの隣にも女性が来た。
「こ、こんにちは〜」声が上ずって、ぎこちない挨拶が出た。
なんだかんだえらそうに言っといて、ぼくは雰囲気に飲まれているのであった。

そして先程のカッチリ決め決めな受付スタッフ女性が、時間の到来を告げてイベントの仕切りを始めた。
なるほど、受付兼司会をぜんぶ1人でこなすワンオペなのだとこの時点で気づいた。なかなか大変そうな気もするが、慣れたらなんでもないのかもしれない。

進行としてはかなりシンプルだ。

整理して書いてしまう。

まず参加者は上掲のプロフィールカードを全員書く。
そして、今隣同士で座っている男女でプロフィールカードを交換してそれを見ながら、5分ほど話をする。
時間が来ると司会が終了を案内する。会話が終わったら相手に見えないようにメモのカードに相手の印象を記入して、男性は席を立つ。となりのブースに移り、違う女性とまた話をする。

これを異性の人数だけ繰り返し(=参加した異性全員と話すことができる)、1ラウンド目が終わる。
そのあとで「誰ともう少し話してみたいか」という人の番号を第一印象カードで◯をつける。司会がそれをすべて集めて、「自分は誰から◯をつけてもらったか」というのを、そのカードに違う色のペンで◯をつける。それをそれぞれの参加者に返却する。

要するに「自分は誰に関心を持ったか」と「自分は誰から関心を持たれたか」の情報を重ねて見ることができる。
それをもって、2ラウンド目に入る、という次第だ。
2ラウンド目、やることは同じで、多少時間が短くなるが全員と話す。

最後、2ラウンド目が終わるとリクエストカードに第三希望までのお相手の希望を書き、それを司会が集めてマッチングさせ、「カップルの成立」した番号どうしを発表するのだ。

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(注: 画像はイメージです)

というわけで長くなってきたので、まず1ラウンド目の感想から書きたい。

意外と普通に楽しく話せた。
思ったのは「婚活相手を見極めよう」とか「自分を売り込もう」とか思わないほうがいいな、というか、そもそも5分足らずだとそんなことは不可能だと思った。
確かにプロフィールに学歴や年齢、年収や結婚に対する考え方は書いてある。
けど、初対面だと顔や服装といった物理的な印象から受けるものと、話す、聞く態度の印象が占める割合が圧倒的に高い。
これは非常に面白いなと思って、上述のようにカタログスペックが不足している人でも、必ずしも減点法にならず加点法で評価してもらえることがありえると思う。
ただし逆にいうと、最低限の清潔感とかがないと門前払いは確定だし、あとは顔の好みとして絶対ムリ、とか、服のセンスが常軌を逸している、とかの物理要素でシャットアウトされるとも思う。

話しまくる人、ひたすら聞いてばかりの人がいるとして、それは必ずしもマイナスではないなとも。
結局は相性なので、しゃべりまくる話が面白いならそれを聞いて楽しいという人もいるだろうから。

ぼくは1ラウンド目で確か7人と話した。
面白いことに、話が弾む人と、まったく弾まない人がいる。
お互いに話す姿勢、聞く姿勢が間違っているという感じではない。誠意を持っても、相性というものはある。

そう気づくと気楽で、人との出会いや関係を深めるというのには、自分の学びと努力で改善していくべき部分もたくさんあれば、相性というか「そういうもの」と割り切ったほうがよいこともあるんだという話かなと。

作ろうとする関係にもよる。
仮に、ビジネスパートナーとして最高の相性を発揮する人と、結婚したらいいのかというと、全然そういうものではないわけで。

この1時間半ほどの、ぐるぐる席を動いて初対面の人と、新しい関係構築のための会話を繰り返すというものは、なかなか興味深い。

なお、1ラウンド目が終わるときに、司会は「必ずひとり以上◯をつけてください、何人につけてもいいです」と強く説明した。
それはそうだ。ここで◯がつかないと2ラウンド目が弾まない。し、顧客満足度にも影響してくる。
あとは人間の心理として。関心持てる人かどうか、悩んでも、◯をつけてしまえば、自分はその人に関心を持っているのだという自己認識がかかってくるので、結果的にその人を選んだ自分を肯定するために、その人の良いところを探そうという脳の働き方になるはずなのだ。

このへんの運営のオペレーションというか、ナレッジの蓄積と仕組みづくり、運用は大したものだと感心した。ふつーの合コンでは決して実現できない仕組みの妙、といえるだろう。
お金をしっかり取って事業をしているだけのことはある。

ぼくも3人に◯をつけてみた。
そして帰ってきた第一印象カードを見たら、2人から別の色の◯がついていた。その2人は、僕が◯をつけた3人のなかと重複していた。

なるほど、少ないサンプルではあるけど、自分が関心を持ったというのと、相手が関心を持ったというのは重複するのは発見であった。
たかだか5分程度でも、最初の会話で興味を持ち合うことは可能なのだ。

ある程度の量を用意して、短時間でもそれに対面してこそ、質というか、合うものが出てくる。
これは、アイデアの作り方などにも似ているなと思った。

2ラウンド目、そして、そこから先どうなったか。 次の記事で書きたい。

→後編はこちら。
婚活パーティの衝撃【後編: 比翼連理なる矛盾の発見】

婚活初心者、詰む。

色々あって、結婚していただける相手を探さなくてはいけないなと思った。
真剣に。

結婚しない生き方も当たり前の世の中だけど、結婚しようと思って行動してみた先にわかることもたくさんあるのだろう。

しかし、ぼくは圧倒的に通常の結婚相手の見つけ方をするうえでは不利というか、スペックにも資質にも問題がある。
この現実から目を背けてはならない。

◆カタログスペックについて

・定職についてない
・年収300万くらい?
・年齢、すでに30歳を超えている

◆外見資質について

・ファッションがいけてない
・どうみても顔が(以下略)

◆内的資質について

・女性をおもてなすスキルがたりてない
・あきらめやすい

もうね、恋愛の先の結婚なんて、無理です。そんな豪腕プレーできないって。

ので、世の中の仕組み・サービスを使おうと思ったのだった。

探して、行動してみた

使おうと思ったものを列挙すると

(1)結婚相談所
(2)Web出会いサービス
(3)婚活・街コンなど対面出会い
(4)知人の紹介

このへんだ。

以下、個別に述べていきたい。

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(1)結婚相談所

残念ながら定職なしで年収が足りてないぼくは使えないのだよ。
オープニング却下。

以下、婚活情報メディアさんの記事を引用いたします。

IBJメンバーズをご利用いただいている男性会員のプロフィールを拝見しますと、20代なら350万円ほどが1つの目安になるようです。

女性の中には「最低でも400万円」「500万円は稼いでほしい」と希望する方もいらっしゃいますが、実際に20代で年収400~500万円以上稼いでいる男性は、ほとんどいらっしゃいません。30代男性なら、450万円前後の年収があれば十分です。

IBJメンバーズの女性会員の皆様には、そういった結婚相手を探す上で、目安となる男性の年収をしっかりとご説明しています。それでも高年収の男性を望まれる女性には「今の年収ではなく、これからの伸びしろも考慮に入れてください」「真面目にコツコツと働いている男性ですので、将来に不安はありませんよ」といったフォローをするように努めております。

結婚相談所に入会する目安になる年代別の年収は? https://ksc.ibj.net/ibjm_udagawa

はっはっは。
ぼくは伸びしろ、コツコツさ、どっちもないっすね!
お疲れ様でした!

(2)Web出会いサービス

いろいろサービスがある。Facebook連携のomiaiとかpairsとか。あとは海外発のmatch.comとか。

しかしこれらの問題は、会うまでのハードルが高すぎるのだ。
以前、色々とヒアリングをしたことがあるのだが、わかったことは、女性は色々男性を選べ、そしてそこで出会う男性の質も結構高いらしいのだが、それは裏を返すと、多くの男性は会えて居ないということを意味するはずだ。

なぜそんなことが言い切れるのか。
考えてみてほしい。女性で、男性を検索するときに、「年収」や「年齢」の条件が簡単なUIで入力できるなら、それは当然入れるではないか。ぼくが女性なら入れてしまうだろう。
「最低500万円くらいかな」「30歳までがいいな」 もうこのどっちかが入った瞬間、正直に入力している人たちの多くはフィルタされてしまう。残るのは、本当にハイスペックな人と、嘘のプロフィールを入れている人ということになる。
それでも、女性の側からすると充分な数が残る、というかそれくらいしないと絞れないと思う。ネットの世界はいつだって男が余っているのだ。

じゃあそのスペックに足りない男性は自分で検索して女性にメッセージ送ればいいではないか、と思うかもしれない。それも実は相当きつい。 Web出会いサービスを使ったことがある人はわかるかもしれないが、女性のプロフィールを見ると
「たくさんのメッセージをいただいており、読み切れていなくてごめんなさい」
という事を書いている女性が結構いる。

よく考えると、こういうことをわざわざ書くのは、誠実な方だなと思う。私にメッセージ送ってくれても、たぶん無駄になっちゃいますよ、と言ってくれているわけで。
そう、結局のところ、女性にはメッセージがたくさんきて、そこから選ぶにも、やはりスペックやら顔写真で判断する必要があるの妥当なことだ。それ以外、なにで選ぶというのか。

正直に言おう。じつは、match.com に登録して、正直なスペックを登録して、お金を払って有料会員になって、20通くらいメッセージ送ってみた。

けど、ただの1通も返事はきていない。

完全な文面のコピペとかしてないよ。半分くらいは毎回変えてるよ。
でもそもそも、既読かどうかが仕組みで表示されるんだけど、既読されたのも50%くらいっていう印象。 別に美人ばっかりに送ってるとかじゃないよ。顔写真ない人とかにも送ったし。

こうなると、これ以上正直なスペックで送ってなんになるのかというのと、でも嘘ついたところで会ったところで嘘が発覚したらもう信用0ですから、やっぱりそれはダメなんで。
かくして、ネット出会い系を使うのはもう詰んだ。

(3)婚活・街コンなど対面出会い

これは、少なくとも、金を払って参加すれば、会えないということはない。

しかし、ご想像がつくだろうか。
会うということと、そこから先に進展できるかには、とてつもない断絶があるのだということが。

だいたい以下に分かれる。
・街コン
・趣味コン
・恋活パーティー
・婚活パーティー

意味がわからない? 見たことない? そういうあなたはきっと幸せなのだ。
解説する。

・街コン
これは、飲食店などを借り切って、男女同数くらい集めて、飲んだり食べたりしながら話して自由にするという形が多い、らしい。
利点は、行きやすい。欠点は、コミュニケーションスキルと慣れが必要。

・趣味コン
フットサルをするとかもあるし、共通の趣味で集まるとか。
利点は特にスポーツとかだと連帯感も生まれやすい、らしい。
欠点は、不慣れだとちゃんと話したりする時間がない。

・恋活パーティー
恋人募集くらいのイメージで、男女ほぼ同数集めて、という。
利点は知らない。
欠点というか。個別に話すよりも、広いところで自由に話してくださいみたいな感じになると、美女に男性が群がり、お金もってそうなイケメンに女性が群がり、みたいな構図になって、見た目の良さや、ぐいぐいねじ込むトークテクニックみたいなもんを持っている人以外の脆弱な生物はご愁傷様になる。と、よく参加してるという女性がおっしゃっていた。

・婚活パーティー
恋活より結婚を目的としてる人が来る。
利点。イベント設計によるけどちゃんと個別に話せる時間がある、イベントもある。
欠点というか、スペック選別が厳しいケースが多い。特に年齢、年収、就め先あたり。って、これって結局Web出会いとか結婚相談所とかと同じハードルやん!

ということで、結論、どれを選んでも、辛いことに違いない。

要するにここで上げた手段は、だいたいどれも結局ラクじゃなんですよ。何かが足りてないと、結局こういう手段も満足に使うのは難しい。
使いこなすには、覚悟と、自己研鑽と、失敗からの学びと、お金が必要なのだった。
ってこれ、結局、恋人をつくって結婚していくプロセスで求められる資質やスペックと変わらないのではないだろうか...?

(4)知人の紹介

これはじつは例外かも。年収とか定職の有無とか、その知人がわかって話をしたうえで繋いでくれるのであれば、スペックの壁はクリアできるのだから。
といっても、これに関しては、まず、友人に「人間的に、自分の友人を紹介してもよい男性」だというふうに捉えてもらったうえで、積極的に相談を持ちかけないといけない。で、相談する相手が、未婚で結婚相手を探している女性が知り合いにいる必要があって、とかとか考えると掛け算で条件が色々きびしくなるような...。
これはこれで、(1)〜(3)とはまたちょっと別のハードルある。

というわけで結論。

詰んでる。

いや詰んでないのかもだけど、詰んでる感しかない。

それでも、言い訳だけしててもいけないなと思って、上記の(3)の婚活パーティに、先日行ってみた。

長くなったから、その顛末は、 次回

Hackathon!!

ハッカソンに参加した。
総勢140名もの参加者がいる相当に大規模なハッカソンであった。私は3日間くらいかかる参加型イベントの運営もよくやっているし、自ら参加もするのだけれど、考えてみるとハッカソンに参加したことはこれまで一度しかない。2日がかりとなると、全く初めてだ。

ハッカソンは実は始まる前から勝負が始まっている。これは今回学んだひとつの知見である。
会場に着いてから、さて何をつくろうかねと議論していてはとても時間が足りない。個人参加で、その場でチームを割り振るものならば、もちろんそこから0ベースで組むわけだが、今回のようにチーム参加であるなら、むしろどれだけ事前に作っておくかが鍵になってくる。
その点、今回私たちはしっかり準備ができていた。開催の3週間ほど前から、今回のハッカソンのテーマの中では、どんなことをやりたいか、課題と思うかを参加予定メンバーでappearinを駆使して詰めていけた。開催10日ほど前には、ほぼ作りたい骨子が固まり、それの実装に必要な事前作成を誰がどうする、というのがおおよそ決まり動き始めていた。
開催当日の時点では、データを取得してくるプログラムのコア部分をメンバーの1人のTさんがほぼ作り上げていた。Tさんの高い技術と集中力に拍手しかない。

ハッカソン開催してからは、画面の実装と、取得してきたデータを画面につなぐところがキモになった(私達が作ったのはWebアプリケーションの形なので)。
画面の実装は、ビジュアル表現の巧みなYさんがJavascript(今回は厳密にはTypescript)を使って、某国民的RPGの雰囲気をたっぷり醸し出すクールな画面をつくりあげた。
Webアプリのバックエンドの実装は、海外からリモート参戦のKさんが、実質1日目の夕方から翌朝までの不眠開発でつなぎ込みをした。
見事な分業で、目的を果たすアプリケーションのために必要な各機能やビジュアルが作り上げられていく過程は、正直すごくワクワクした。

こんなとき、私には自分が作る力がないことをもどかしく思うこともあるのだが、それを行ったら作る力もなしにハッカソンに出たいとか言うのはだいたい無茶なので、もはやそのもどかしさを突っ込んでもしょうがないと思うことにした。 私にできるのはすごいメンバーに感謝を伝え、あとはそれの成果を伝える部分で力を発揮することだと思って、作ろうとしているソリューションの解決したい課題とストーリーを具体化して、提出資料づくりをがんばった。

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ちなみに、これは夜通しでハックする参加者たちが休むための場。私達も、ここで少しだけ寝て、作り続けた。

そしていよいよ2日めの午後の発表の時間になった。資料の準備が整っていることを確認して、発表会場に向かう。 自分たちの発表の順番が後なこともあって、ずっと緊張が解けず、あまり他のチームの発表が頭に入らなかった。 もともと私はすごく上がりやすくて、人前に出ると緊張して何もしゃべれないような人なのだが、いつの頃からか、そんな別にビビらなくてもいいじゃないかと自己暗示を繰り返してきて、なんとか人前で話せるようになった。 自分が運営に関わるイベントに参加するときも、最近ではほとんど緊張を感じなくなっていた。 でもこの日は緊張がまったく収まらなくてアタフタしていた。 ただ、前にTEDトークで見たのだが、「人前で発表するときに緊張するのは、身体がそれに対して準備しようとしている証拠なので、むしろ当たり前。緊張しないようにするほうが良くない」という学術的知見があるそうな。それを知って以来、緊張は良いものとして捉えよう、と頭では思っている。

1分という限られた発表時間で、少し噛んでしまい頭が真っ白くなりながらもなんとか発表を終えて、ハッカソンで開発を続けていた部屋に戻る。そこから、展示の準備をして、審査員や来場者に体験してもらう準備をする。

実際に展示の時間が始まり、何人もの方が自分たちのブースを訪れてくれると、率直にうれしいなと思った。くり返しになるが、私はほとんど何も作ることには貢献できてない。でも、チームで生み出したプロダクトが見える形となって、目の前にいる人に驚きや好奇心を刺激しているという体験は、特別なものである。

展示が終わり、またセミナールームの方に戻り、お疲れ様の乾杯をした。ライバルとして2日間ヘロヘロになりながらも競い合った参加者どうしも、この瞬間には、もう同じ苦労のときを過ごした仲間として、グラスを(というか缶ビールのはいったプラコップを)手に、お互いの努力を称え合う。お世辞抜きに、みんな本当にすごかったと思う。そこにいた140人が、そんな感覚を持っていたような、通じるものがあった。

そしてもうしばらくの時間が流れ、結果発表になった。1チームずつ、審査結果として予選通過のチーム名が発表される。私達のチームはなかなか名前が出てこなくて、そわそわが増大していく。最後、8チーム目の名前が呼ばれた。しかし、そこに名前はなかった。このあとに、オーディエンス投票の多かった2チームも予選通過として発表されたが、そこにも名前はなかった。こうして、私達のハッカソンは、ここで幕を閉じたのだった。

正直、イケてるプロダクトだと感じていた。そりゃもちろん自分バイアスは多大にあるにしても。予選通過できるのではないかと思っていた。なので、結果を受け止めるのには少し時間がかかった。予選を通過したチームと、どんな差があったのかは、単純に私があまり他のチームのを見れていなかったこともあって、すぐ腑に落ちたものがあるわけでもなかった。 悔しかった。もう少し、私の伝え方が良かったら、違う結果になった可能性も多少あったのではないかと思うと、100%できることをやれなかった悔いもある。 こんなにすごいメンバーで、納得行くものを作れても、他者に伝わる、審査として評価されるものになるかは、また別の話。現実はこうなのだと。 そこをズシッとくる経験として、味わった。悔しいが、受け入れる。

あと、予選は通過しなかったからこそ、逆に、このプロダクトをビジネスとして形にできたら、それはそれでとてもおもしろいとも思っている。
ビジネスとして成立するか、それは顧客の課題を解決して、対価をもらっていくサイクルが回るかどうかにかかってくる。それはすべてではないが多くのケースではとても重要な点だ。

ビジネスの価値と未来を決めるのは審査員ではなく、顧客。それがリアル。
そこに踏み出すことは、前の自分であれば、怖いなと思って遠ざけるのが1stオプションだったのだけど、今は、それを楽しんでやれそうな感覚が内面にある。
感情が震えるような経験のフィードバックをどう捉えて、どう自分を変えたいかをひとと対話のなかで言葉にして、行動する。ひとつひとつは小さくても、それが重なると、実は自分のなかでの閾値を超えていることがある。

と、話はすごくそれたのだけど。

ハッカソンに出て、すごい仲間とオモシロイものを作って、それを伝える経験をできたことに、感謝をしたい。

そして運営の方々に感謝!