3本同時に映画をレビューしてみたら、このシン・セカイの名は。

アニメ映画「この世界の片隅に 」を観てきた。

本作がつくられた経緯としては、クラウドファンディングが大きな役割を果たしたとか、能年玲奈さんがのん、という芸名に変更して主人公すずの声優をしていたとか、そういう話だけは知っていたのだが、物語自体の知識はまったくゼロで鑑賞に臨んだ。そして観終えて思ったことは、いろいろある。

毎日ブログを書く企画という無茶ゲーをやっている最中の良い機会なので、「この世界の片隅に 」だけではなくて、今年映画館で観てきた「シン・ゴジラ」と「君の名は。」も、併せてレビューしたいと思う。

ネタバレ、の定義がよくわからないが、そんなにストーリーの核心に触れるつもりもないので、未見の人の楽しみを奪わないとは思う。

どうやって3本同時にレビューするかは何も考えていないので、以下ブログとして崩壊する可能性もあるが、まずはやってみよう。


シン・ゴジラ」は7月に公開されて、最初はまったく観るつもりもなかったのだが、自分が見てるSNSなどで知人が絶賛しているのを見かけて、観ないといけない気持ちになった。

そして、実は2回観た。1回目に観た時は、情報量に圧倒されて、雰囲気おもしろいなーと思ってすごく惹き込まれたんだけど、細部がいまいち分からなかった。怪獣映画のフリをして、政治家と公務員がワーワーがんばる話なので、専門用語と固有名詞の連発なのだ。後日、2回目を観たら、物語を把握していたおかげで、より細部の人間模様や交渉の進み具合を捉えることができ、深く没入できたので、1回目よりも更におもしろさがアップしたと感じた。

それから1ヶ月ほどして、やっぱりまた、SNSが盛り上がっている作品があって、それが「君の名は。」だった。なかなか観に行く機会がとれなかったが、ついに横浜の映画館で観た。なお、周囲はカップルだらけで、男ひとりだったわたしの居心地の悪さをここに記しておく。

これもまったくストーリー知らないまま観に行ったら、最初はただの男女入れ替わりものに思って、のんびりと鑑賞していた。でも、途中から話がタイムスリップSFとして爆速モードに入っていき、駆け抜ける物語の列車に揺られて、終点まであっという間にたどり着いたという感を持った。

そしてそこから2ヶ月ほどたった先日、またSNSが...もうこのくだりは省略しよう。ともかく、ついに今日「この世界の片隅に 」観てきた。ひとことで感想をいうと、重い作品だった。すっきりしなかった。第2次世界大戦の広島が舞台な時点で、何が大きなテーマとして扱われるかは、日本人なら想像がつくわけだが、必ずしも原爆だけが描きたかったわけではないなと思った。70年前、この国に確かに起こっていたことを、時間に沿って、家族の物語として丁寧に描ききったがゆえに、とても大事な「すっきりしない」感覚を刻んでくれたと思う。戦争って、いやなもんだなぁというのを、観ているときに何度も思わされる。


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さて、この2016年大ヒットの3タイトルの名前でググったところ、やっぱり3本同時に扱おうという無茶な人はいた。(*1)

東日本大震災と絡めて論じるのは、なるほどと思う。制作チームの表現者としてのメンタリティに東日本大震災の影響がなかったわけはないよね、というほうが実態に近いだろうか。

シン・ゴジラ」はゴジラという災厄が東京と神奈川を蹂躙する(注:神奈川も充分ひどい目に遭ったことを忘れないでほしい。私は本作を鑑賞したときは神奈川在住だった)。「君の名は。」では彗星が岐阜の山中の小さな町を直撃する。そして「この世界の片隅に 」は、戦時下の広島が舞台である。
生物災害か、天災か、戦災かはさておき、災厄であることは繋がっている。
そして時間軸は違えど、日本の実在の明確な都市を舞台としていて、「時間」と「場」と「社会」をとことんリアルに設定して描いていることが共通項だろうか。

要するに、これら3本は、徹底的に「ジャパン・ローカル・コンテクスト」のうえに生み出した作品だと言っていいかもしれない。

ローカル・コンテクストを使う強みは、それを知っている鑑賞者に対しては説明が省けることだ。したがって、人物と感情の描写に、時間を割くことができる。上映時間という尺が限られている中で、要素を盛り込みすぎて人物描写が浅くなると、そもそも映画としてツマラない。したがって、ローカル・コンテクストを使うのは理に適っている。

いっぽうで、ローカル・コンテクストありきというのは、海外展開含めて、違う文化圏に商業展開する際にはハードルになってしまうのかもしれない。そもそも日本国内でヒットしてから海外市場を、と考えるのが常々、日本の映像作品ではセオリーになっている。それは、この3本でも見られるように思う。(*2)

市場に対する考え方は、コンテンツ自体の良い悪いの問題ではない。わたしは日本人として、ローカル・コンテクスト前提の優れた作品が楽しめているから、コンテンツ・ファンとして、この瞬間において何の文句もない。むしろ、最初から海外ビジネスを見据えようとした結果、作品がツマラなくなるのは一番もったいないので、この状態はありがたいなと思ってはいる。

しかし、ジャパン・ローカル・コンテクストの前提で考えた時に、その視線の先には、市場縮小の未来しかないのだ。
折しも、ちょうど人口統計が発表され、史上初めて日本の1年間の出生数が100万人を切ったことが明らかになった。そして人口減少は10年連続で続いている。増え続ける世界人口に対して、日本に生まれる日本人というカテゴリの人は減り続けているという、純然たる事実がある。(*3)
つまるところ、ジャパン・ローカル・コンテクストに限定したコンテンツ産業には、数を基準にすると、基本的に未来の広がりはない。

ディズニー&ピクサーが世界中でヒットさせているアニメ・コンテンツというのは、ほとんどローカル・コンテクストが取り払った普遍的に受け入れられる物語である。(*4)

また、少し視点を変えて、80年代からの、任天堂ブランドを中心にした全世界での日本ゲームのヒットを考えてみる。世界でのメガヒット・コンテンツにはローカル・コンテクスト依存のものはほぼない。世界歴代ゲーム売り上げ本数ランキングなどを見ると、それはある程度裏付けられる。(*5)

コンテンツのプロデュースという視点で考えた時、それがアニメでもゲームでも良いが、本当に世界中でヒットするコンテンツを作りたいならば、引き換えに、ジャパン・ローカル・コンテクストには依存しない作り方が求められる。
だが、日本の中で、そのコンテクストから外れたコンテンツづくりというのは、簡単ではない。ローカルにいる人を想定される顧客としてコンテンツを作りたいと思うのは、感性として、ごく当たり前のことだから。

届ける顧客をローカルからグローバルに拡張した傑作を世に出し続けるのは、常識にとらわれず「プロデュース・イノベーション」を起こし続ける、クリエイティブなチームなのだ。かように考えると、1本の傑作をつくるより、それをつくるチームをつくり育てることへの注力こそが、はるかに難しくもあり、いっぽうで大きな果実も得られる戦略だといえる。

ディズニー&ピクサーって恐ろしい子任天堂ポケモンは凄まじい子、と改めて思った。

ってあれ、映画のレビューしてたはずなのに。この新世界はどこだ...。


*1

blog.monogatarukame.net

*2

www.makuake.com

*3

chibiblog.hatenablog.com

*4

ciatr.jp

*5

potatostudio.hatenablog.com