ギブギブン

1ヶ月毎日ブログ書く企画ではじめたブログです。

Personality Insightsのインパクトに驚き、励まされる

為末大さんがツイートしていた。 (*1)

「Personality Insights」というIBM Watsonを使った性格推定プログラムが面白い。 (*2)

自分のTwitterアカウントをOAuth認証して全ツイートを読み込ませることで、ツイート量にもよるが、かなり精度高く性格を判定してくれるのだという(為末さん曰く)。

私も自分のTwitterを分析してみた。

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だそうな。

当たっているなと思って驚いた。 私のTwitterには、かなり私らしさが含まれていて、そこから構築される私像は、とても私に近い。 むしろ、私がこうでありたい、そう思っていてまだなかなかできていなところまでも、この分析は言い当てている。面白いもので、そう分析されるのであれば、そういうふうに振る舞おう、という意欲も高まってくる。これはとても良いことに思える。 実際の私はそこまで自信がない。でも、自信がないという演技をしてしまっていることで、うまくいく可能性ある物事をうまくいかなくしてしまっていることに最近気づいた。ここは変えていきたいと思っている。だから、これから時間がたってTwitterがそこまで変わらなくても、私の振る舞いが変わっていく可能性はあるんだと思う。

ちょっと分析が外れていることもあるけれど。もちろん。 衣服を買うときには品質よりも価格を優先しているし(笑)、ドラマ映画というのがヒューマンストーリーを指すならば、けっこうそういうのは好きだ(面白ければ好きなのである)。

ビッグファイブと呼ばれるパーソナリティ特性、欲求志向、価値についてはこうなっている。

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それぞれ、知的好奇心、好奇心、変化許容性が集団の中で相対的に高い(相当に)ということが分析結果として出てきている。これについて、納得。

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そもそもWatsonとは? ソフトバンクが紹介しているサイトより引用。

BM Watsonは、米IBM社が開発した認識、学習、そして経験によって人が世界を理解するような方法を手がかりにした、コグニティブ(認知)・コンピューティング能力を世界で初めて商用化したサービスです。

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IBM Watsonについては、正直いままで果たしてどんなものかよくわからんなと思っていた。だが、今日こんな手軽に自分のテキストからの性格分析ができてしまい、基本的によく当たっている、私自身で自分を分析するよりも的確だということを目の当たりにして、だいぶ考えが改められた。IBMさん、すいませんでした。

ソフトウェアを活用して、人が自分の認知を適切なものに寄せていったり、それを活かした仕事に就く、というのは、どんどん当たり前になるだろうし、そうあるべきだと思う。


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Personality Insights

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www.softbank.jp

「パフォーマンス・ブレークスルー」メソッドで違う自分を演じる

「壁を破る力: パフォーマンス・ブレークスルー 今そこにある限界がみるみる消える!驚異のメソッド」

何気なく手にとって読み始めた本だったが、衝撃を受けた。ここには、人の行動、そして人と人との関係を劇的に改善し、バリューを生み出すことを可能とする秘密が詰まっている。素直に沿う感じる。

著者キャリー・サットはPOAL、パフォーマンスオブアライフタイムの創立者。講演者、エグゼクティブコーチなども務める。本書では彼女の会社が実際に組織やそこで働く人々の「ふるまい」を変えて、困難に満ちた関係や状況を生産性が高い状況に至ることに繋がったケースが多々紹介されている。また、それを自分たちで取り組むときに重要になるポイントやTIPSも書いてある。

詳しくはぜひ本書を読んで欲しいのだが、ひとつ本書のタイトルにもなっている「パフォーマンス」ということばの二義的な意味にようやく今、気づいた。

私はてっきりパフォーマンスということばを、仕事の成果、という意味でのみとらえていた。でも、この本で言っているのは「演じることで自分を変える」こととしてのパフォーマンスであり、その絶大な威力のブレークスルーを伝えているわけだ。目次を読み返して今、理解した(笑)。

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P28-29の一節を引用して、本書の紹介は終わりたい。

人はおとなになっても成長し、能力を伸ばすことが可能である。つまり、子供のころにやっていた創造的な学習を再開し、発達過程の経験と能力を取り戻せばいい。そうすれば、新しいやり方で演技をし、新しいことを試せるようになり、人々や組織の足を引っ張っている使い古した台本から抜け出すことができる。自分で書いた台本を演技し、さらに他人の劇の舞台にも入り込む。仕事の場でも日常生活でも、演技者としてバラエティ豊かな手法でさまざまな舞台に変化をもたらすだろう。訓練すれば、人は自分の演技を変えられる能力を持っているのだ。
このアプローチを私たちはパフォーマンス・ブレークスルー『壁を破る能力』と呼んでいる。演劇と即興をミックスし、そこに人間開発を扱う科学の知見を組み込んだもので、これを活用すれば個人やチーム、企業が成長し、発達し、どうすればいいかわからなかったことも実行できるようになる。自分がなりたい人間になることもあれば、一生ありえなかったかもしれない生き方を発見することもあるだろう。

私が心の底で出会いたいと思っていたのは、こういった考え方と、その実践手法だったように思う。
たしかに幼少の頃におかれた環境や、20歳ごろまでにどれほど成長を積もうとしたかで、相当に人生は決まってくるだろう。そこは疑わない。しかし、25歳、30歳、40歳、60歳になっても、人は人に関わる方法を変えて、自らをそれまで見ることのなかった成長の楽しさの世界に連れて行くことはできるはずだ、できてほしいと思っていた。

私は、たいした「パフォーマンス」(成果のほう)を出せないまま、なんとなく年を重ねて、自らの可能性を縮めていくような、みじめさを感じはじめていた。でも、それは「パフォーマンス」(台本を新しく書き、劇を演じることに取り組む)の力で変えていける可能性がある。というか、できる。

ワクワクする。
これに課題感を持っている人と、価値を作りたい。


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壁を破る力: パフォーマンス・ブレークスルー 今そこにある限界がみるみる消える!驚異のメソッド(Amazon)

「発音」を真剣に学ぶと、飛躍的に英語を実用する力が上がる、かも

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英語の上達には何の能力を伸ばすのがよいのかというのはよくある議論。
4技能、すなわちReading、Writing、Speaking、Listeningに分解して考えるケースも多いと思われる。私もそういうふうに考えていた1人。
話すのが苦手なので、Speakingが弱いのかなと思っていた。

が、ぜんぜん違う方角から、苦手を克服する方法があることを知った。
それは、発音である。

かつて私もそうだったが、発音に関しては、このような思考段階を持っていた。

第一段階 > 発音がうまくできない。だからしゃべることに自信がない。
第二段階> 発音を気にしてしゃべるのに自信がないことが問題。そんなこと気にせずしゃべればいい。

問題は、この第二段階にくれば解決かというと、それが解決ではないことだ。実際問題、いくら気にしないつもりでしゃべろうにも、やはり通じないことがあると疲れてくるのだ。

というときに、竹村さん (*1) という英語の発音を専門的にトレーニングする方に出会って、レクチャーに参加してみて、ひとつわかったことがある。それは、そもそも英語と日本語は発音の方法が物理的に違うので、根性で「通じなくても喋り続けろ」というのも科学的に無理があった、ということだ。
かくして思考段階はここに至った。

第三段階> 英語と日本語の発音が違う以上、英語の発音の出し方を習得することで、4技能含めてベースの英語理解と運用力が高まる。

と。1年ほど前に、ここに来た。それは良かったのだが、なかなか発音を鍛える機会もないままであった。
この日はたまたま、竹村さんのセミナーを2年ぶりくらいにきくことができた。改めて、発音の科学的方法での習得のトレーニングは、必要だなと思った。
楽しんで続けるには、さて、どうするか?


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bizacademy.nikkei.co.jp

写真に人格がつくられる時代?

Instagramをようやく少し触ってみた。はじめてInstagramが出てから何年経つのだろう。もはやその間にFacebookに買収されて、完全にシナジーを発揮しているというのに。

Instagramの特長について、大して知らない。なぜ流行っているのかはよくわからない。
だが、Instagramが何を引き起こしたのかはなんとなく想像がつく。それは、写真と人格の統合だ。

かつてここまでスマートフォンが流行る前、多くの人がガラケーと呼ばれるものをつかっていたころ。写メールの普及によって、端末で撮った写真をそのまま人に送るということが増えた。ひとは、自分の活動を写真に撮って伝えることが当たり前になった。

その後、SNSが生まれ、並行してスマートフォンが普及していくことで、撮った写真をSNSに掲載することが、次の「当たり前」になった。

もはや今の当たり前は「写真を発信して、そこに作られるイメージこそが自分の人格」というレベルまで来ている、ような気がする。もちろんすべての人が、ではない。けど、少数でもそういう人がいるといっても、嘘ではなさそうに感じるのも私のなかでは真実。

それが健全か、不健全か、そんなことは分からない。だいたい健全とか不健全とかは、時代に応じて変わるだけの旧世代の常識も多い基準なんだろうし。といいつつも、写真に作り出した自分の占める割合が大きくなりすぎると、生き疲れしそうだとは、なんとなく思っている。

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情報のストックとフローはいつだって水と油かもしれないが。

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情報の即時共有と、蓄積からの活用にはいつだって矛盾がある。

何がしかのICTツールを使って、迅速な情報共有をすることの価値は今日ビジネスに関わっていれば誰でも感じることかもしれない。だが、迅速に共有できるものであればあるほど、情報がまた迅速に流れて埋もれていき、あとで掘り返すときの困難さを抱えることも、頻発している事象であり悩みなのではないか。
すなわち「情報のフローとしての利便性」と「情報の効果的ストックづくり」の並立を1ツールでやることは難しいのだ。

具体的には、チャットツール、Slack、HipChat、ChatWorkなどを活用すれば、かつてメールで「〜さん 〜です」と社内、おなじ組織内なのにいちいちヘッダーをでっかくつけていて、細かい文法調整までしていたオーバーヘッドがなくなり、はるかに気楽に、またリアルタイムにも情報共有と議論ができる。実際に会ったりしなくても、チャットだけで仕事が済んでしまうことが増える実感を持つひとは多くなっているのではないか。
とにかく便利なのだが、これをストックとして活用しようとすると、そこで急に困難さがでてくる。「あれ、あの話どこだっけ」みたいなことが頻発するのだ。

かといって、チャットに慣れて、1stオプションがチャットになっているときに、わざわざメールを社内で送るインセンティブがないままでは、誰も乗り換えてくれないだろう。

情報のフローとストックの問題は古くて新しい問題であり、たぶんどこまでいっても完璧な解決はないかなと思う。 ひとつありうるのは、ふだんはチャットのようにフローで処理し続けるだけで、AIが学習して、重要なストックにあたると判断するものをストックとして貯めて掲示してくれる、使うことをサジェストしてくれる。そういったツールが開発され、うまく機能するようになれば、大きなブレークスルーが起こるかもしれない。

そんな日を待ちつつも、基本的には、自分の関わっているチームのなかでのツール運用の最適化と調整をはかりつづけるしかないのだろうとは思う。

「立ちすくむ国家」からのディスカッション

「満員御礼!”経済産業省若手職員とともに考える未来のかたち” Repaint vol.4「立ちすくむ国家」から考える次の時代の社会のあり方」というイベントに参加した。過ぎたる、7月23日。

140万ダウンロードを記録した経産省の「不安な個人、立ちすくむ国家」(*1) という資料を題材に、それを作成した経産省メンバーのIさんという官僚の方と、Fさんという地方の活性化に取り組む企業の方が中心となって企画されたイベント。

前半は情報共有ということで、Iさんがその資料のポイントを解説。そのあとで感想と質疑応答タイムを挟み、後半はテーマごとに分かれて座談会形式で話した。

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このイベント、一言でいうと、熱い人が多かった。19歳から50代くらいまで、年齢幅も性別もいろいろな人がきた。ファシリテーションも見事だなと思ったのは「政治批判のような他人事ではなくて、自分事、自分の行動としてどうしていきますか?」という参加者のアクションにフォーカスされていたことだ。
政治、国家をテーマにするとイベントとして、とかく一番いけないのは「朝まで生テレビ」方式である。つまり、みんなが他人事として他者批判をあげつらい、何も生産的で行動につながる建設議論はない。ただ尺を稼いで無責任に面白くしようという(実際それがまるで面白くないのは置いておくとして)発想。そうなっては台無しだ。その点、今回の企画者の方々は、実にうまくやっていたと思う。

イベントの半分は設計とファシリテーションだが、半分は参加者のリアクションとそれからのアクションの先に、未来から評価されるものだ。

私のいた卓では教育問題が議論となった。6人で参加していたが、すごいとおもったのは皆、傾聴ができ、耳を傾けて対話する、という基本が年齢に関わらず当たり前にできる人たちだったことだ。
あとは教育問題というのが、広すぎる問題だということを議論はじめてすぐにみんな悟った上で、しぼりをつけて、個人のアクションを考える時間にしていこう、とできたこと。
イベント運営者も見事だが参加者も質を保てる人たちであり、そこも含めて、熱さが保たれた良いイベントだったと思う。

ふだん自分のコミュニティでイベントを開催することが多いのだが、ほかのイベントにいき、コミュニティの作り方を見るととても学びが多い。


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不安な個人、立ちすくむ国家〜モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか〜

負債なき毎日をつくる

毎日ブログを書く企画を、9日間とめていた。とんでもないサボりである。

なぜサボる事になったかの説明から入りたい。
14日から16日まで、イベントの参加のために北海道夕張市に出かけた。イベント、そしてそこに生まれたコミュニティのつながりはとてもエキサイティングだった。しかしながら、ブログを書くのは完全に忘れていた。いや、忘れていたわけではないのだが、自分の行動の中に入ってこなかった。

17日から19日までは札幌にいた。ここでは多少は時間はあった。しかしながら、3日間ブログを書かないでいたら、自分のなかに「まあいいだろう」という言い訳の余地が生まれた。そしてそいつは肥大化した。なんなら、ブログを書かないといけないという意識さえも侵食し、ぼくの意識世界の中からそれを押し流していった。

北海道から東京に戻ってきて、さすがに書かねばならないと思った。しかしこのときになると、負債の大きさが行動開始をブロックしてしまうことに気づいた。つまり、もうすでに6日分の負債があるので、14日のぶんのブログを書き始めても、今日に追いつくのがとても遠いことがハッキリしてしまうのだ。こうなると、人は行動できない。「やっても終わらない」という無力感の想像が、行動を阻んでしまうのだ。
かようにして、20日から22日までも時間は過ぎていった。ブログは、メモ程度には書き綴ったが、とても公開までにたどり着かなかった。

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なんらかの理由で、一度負債に追われるサイクルにはいると、人は行動できない。人は。少なくとも、私に関しては。ここを痛感させられた。

思えば、中高生の頃の夏休みの宿題もそんな感じだった。日にちに分割しての達成計画、とはとても言えないが、なんとなくスケジュールの青写真はイメージするが、まるで行動は伴わず、本来やるべきだった日の分の負債がたまり続ける。本当に40日間に分割できれば楽勝にタノシイ夏休みが送れるはずが、そんなことをできたためしは一度もなく。8月25日頃から絶望感に浸りながら宿題に手を付ける。ああ、今思い出してもどんよりした気持ちが蘇る。

負債をためたら、詰む。
しかし、理想の計画を当初に引くだけでは、負債なき実行を続けるのは難しい。

僕の中で、これに対する答えのアイデアは。
死ぬまでを生きる。その生き方の中で、それを日々やることの本義を「引き受け」る。そこにたどり着くように、自分で演じ続ける。それを楽しむ。

それをやるんだ。

ブログを毎日書かなくてもいいけど、毎日なにをやるかは、それが人生を決める。なにより、それが人生だよねって。
そう囁く自分を存在させる。