マッハ新書「礼儀2.0」から読書観のアップデートへ
マッハ新書というムーブメントがある。そもそもマッハ新書とはなにか? クリエイター向けマーケットBOOTHの説明から引用する。(*1)
マッハ新書は、@GOROman氏が提唱する電子出版レーベル (というよりはむしろ電子出版のスタイル?)です。 時間をかけて執筆し、編集し、校正して、万全のものをリリースする従来の紙の出版のあり方に対し、即時リリースかつアップデート可能な電子書籍の特性を利用して、瞬間的に執筆して販売する、熱意ドリブン・情報鮮度第一の出版形態です。
VR界のトップランナーにして、最近ではVRにとどまらずテクノロジー全力投球時代のオピニオンリーダーという感があるGOROmanさん。マッハ新書として販売されている「礼儀2.0」を買って読んでみた。(*2)
余談だが、BOOTHからepubというファイル形式でダウンロードできるが、このままだとKindle PaperwhiteなどのReaderでは読めないので、Kindle PreviewerというAmazonのアプリを使えばKindle Paperwhite互換のmobiというファイル形式に変換できる(*3)。私はそうした。
読んだ。
この本から、私は「(日本的)礼儀のバージョンがアップデートされた時代が来た」ということを学んだ。たとえば電話や訪問に代表される「相手の時間を拘束する」ことはもはや今望まれる礼儀ではない。非同期で相手の時間を奪わないこと、そしてツールとしてはチャットなどがスタンダードであること。
↑本書のはじまりになったツイート。礼儀の定義が変わってきてる気がした
— GOGOman (@GOROman) 2018年4月13日
礼儀1.0
相手を重んじる。自分の時間を犠牲にし、時間を相手のために使う。直接会う。スーツなど服装をわきまえる。
礼儀2.0
相手の時間を奪わないようにする(電話しない、リモートで済むものはリモート)
一番私がうれしかったのは「ああ、これでいいんだ」という感覚を得たことである。
そして私はこの礼儀2.0という知識を自分のなかに「インストール」することができた気がしてる。なぜならそのメッセージが、感情的なうれしさを伴っていて、だから強く記憶に残る。それは意味記憶でもあるし、エピソード記憶でもある。自分の経験から生じる意見を言語化してもらえた、ということでもある。
私はこれを取り出せる知識として使える感覚がある。
以上は本の中身から学んだことだが、今回の体験を通じて、本と読書じたいについても大きな発見があったので書いておきたい。
本の中身は記憶して引き出せるかが、自分にとっての価値
長く時間をかけて書きしっかりと編集の目が入って校閲が入った本が読み手にとって必ず価値が大きくなると限るわけではない。12時間で書き上げられたマッハ新書は、それを私に強く印象づけた。
これには人間の記憶が多分に関係していると思っている。我々は、何らかの理由で特別に画像記憶のようなことができる、というような一部の人を除いては、鮮明な意味記憶から思考をすることができない。すなわち読んだものをそのまま自分の知識として巧みにアウトプットにつなげる、なんてことはできない。
そして記憶はアウトプットされる時に初めて思い出されるものという本質があることもまた事実。
これは何を意味するのか。いわば、取り出せるもののみが陳述的記憶とも言える(ちょっと強引だけど)。
本の「価値」は、文章量とか文献量とか編集された量の多さとかによらない。それらのパラメータはどこまでいっても自分(価値を感じる主体)から見れば、「知を使える感覚を得る」というタイプの価値の源泉にはなりえない。
正直にいうと、最近まで私は本はある程度の量がないと読んだとは言えないよなー、と思っていた。たぶん、そう思いたがっていた。量ある本を読んだ自分えらいよね、としたかった。その感情はその感情で、否定しなくていいと思っている。そのおかげで、手を付けることができた本も少なくない。
ただ一方で私のアウトプットはそれらの本に内蔵されている知識をどこまで使えているかということになったときに感覚としてそこが薄いことに居心地の悪さも感じていた。
今回GOROmanさんのマッハ新書を読んで、礼儀2.0の知を得たことは、同時に私にとっては「本と知識」にまつわる自分のもやっとしていた常識、いわば「読書観」をアップデートする機会にもなった。
感謝。
*1 booth.pm