ギブギブン

1ヶ月毎日ブログ書く企画ではじめたブログです。

写真に人格がつくられる時代?

Instagramをようやく少し触ってみた。はじめてInstagramが出てから何年経つのだろう。もはやその間にFacebookに買収されて、完全にシナジーを発揮しているというのに。

Instagramの特長について、大して知らない。なぜ流行っているのかはよくわからない。
だが、Instagramが何を引き起こしたのかはなんとなく想像がつく。それは、写真と人格の統合だ。

かつてここまでスマートフォンが流行る前、多くの人がガラケーと呼ばれるものをつかっていたころ。写メールの普及によって、端末で撮った写真をそのまま人に送るということが増えた。ひとは、自分の活動を写真に撮って伝えることが当たり前になった。

その後、SNSが生まれ、並行してスマートフォンが普及していくことで、撮った写真をSNSに掲載することが、次の「当たり前」になった。

もはや今の当たり前は「写真を発信して、そこに作られるイメージこそが自分の人格」というレベルまで来ている、ような気がする。もちろんすべての人が、ではない。けど、少数でもそういう人がいるといっても、嘘ではなさそうに感じるのも私のなかでは真実。

それが健全か、不健全か、そんなことは分からない。だいたい健全とか不健全とかは、時代に応じて変わるだけの旧世代の常識も多い基準なんだろうし。といいつつも、写真に作り出した自分の占める割合が大きくなりすぎると、生き疲れしそうだとは、なんとなく思っている。

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情報のストックとフローはいつだって水と油かもしれないが。

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情報の即時共有と、蓄積からの活用にはいつだって矛盾がある。

何がしかのICTツールを使って、迅速な情報共有をすることの価値は今日ビジネスに関わっていれば誰でも感じることかもしれない。だが、迅速に共有できるものであればあるほど、情報がまた迅速に流れて埋もれていき、あとで掘り返すときの困難さを抱えることも、頻発している事象であり悩みなのではないか。
すなわち「情報のフローとしての利便性」と「情報の効果的ストックづくり」の並立を1ツールでやることは難しいのだ。

具体的には、チャットツール、Slack、HipChat、ChatWorkなどを活用すれば、かつてメールで「〜さん 〜です」と社内、おなじ組織内なのにいちいちヘッダーをでっかくつけていて、細かい文法調整までしていたオーバーヘッドがなくなり、はるかに気楽に、またリアルタイムにも情報共有と議論ができる。実際に会ったりしなくても、チャットだけで仕事が済んでしまうことが増える実感を持つひとは多くなっているのではないか。
とにかく便利なのだが、これをストックとして活用しようとすると、そこで急に困難さがでてくる。「あれ、あの話どこだっけ」みたいなことが頻発するのだ。

かといって、チャットに慣れて、1stオプションがチャットになっているときに、わざわざメールを社内で送るインセンティブがないままでは、誰も乗り換えてくれないだろう。

情報のフローとストックの問題は古くて新しい問題であり、たぶんどこまでいっても完璧な解決はないかなと思う。 ひとつありうるのは、ふだんはチャットのようにフローで処理し続けるだけで、AIが学習して、重要なストックにあたると判断するものをストックとして貯めて掲示してくれる、使うことをサジェストしてくれる。そういったツールが開発され、うまく機能するようになれば、大きなブレークスルーが起こるかもしれない。

そんな日を待ちつつも、基本的には、自分の関わっているチームのなかでのツール運用の最適化と調整をはかりつづけるしかないのだろうとは思う。

「立ちすくむ国家」からのディスカッション

「満員御礼!”経済産業省若手職員とともに考える未来のかたち” Repaint vol.4「立ちすくむ国家」から考える次の時代の社会のあり方」というイベントに参加した。過ぎたる、7月23日。

140万ダウンロードを記録した経産省の「不安な個人、立ちすくむ国家」(*1) という資料を題材に、それを作成した経産省メンバーのIさんという官僚の方と、Fさんという地方の活性化に取り組む企業の方が中心となって企画されたイベント。

前半は情報共有ということで、Iさんがその資料のポイントを解説。そのあとで感想と質疑応答タイムを挟み、後半はテーマごとに分かれて座談会形式で話した。

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このイベント、一言でいうと、熱い人が多かった。19歳から50代くらいまで、年齢幅も性別もいろいろな人がきた。ファシリテーションも見事だなと思ったのは「政治批判のような他人事ではなくて、自分事、自分の行動としてどうしていきますか?」という参加者のアクションにフォーカスされていたことだ。
政治、国家をテーマにするとイベントとして、とかく一番いけないのは「朝まで生テレビ」方式である。つまり、みんなが他人事として他者批判をあげつらい、何も生産的で行動につながる建設議論はない。ただ尺を稼いで無責任に面白くしようという(実際それがまるで面白くないのは置いておくとして)発想。そうなっては台無しだ。その点、今回の企画者の方々は、実にうまくやっていたと思う。

イベントの半分は設計とファシリテーションだが、半分は参加者のリアクションとそれからのアクションの先に、未来から評価されるものだ。

私のいた卓では教育問題が議論となった。6人で参加していたが、すごいとおもったのは皆、傾聴ができ、耳を傾けて対話する、という基本が年齢に関わらず当たり前にできる人たちだったことだ。
あとは教育問題というのが、広すぎる問題だということを議論はじめてすぐにみんな悟った上で、しぼりをつけて、個人のアクションを考える時間にしていこう、とできたこと。
イベント運営者も見事だが参加者も質を保てる人たちであり、そこも含めて、熱さが保たれた良いイベントだったと思う。

ふだん自分のコミュニティでイベントを開催することが多いのだが、ほかのイベントにいき、コミュニティの作り方を見るととても学びが多い。


*1

不安な個人、立ちすくむ国家〜モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか〜

負債なき毎日をつくる

毎日ブログを書く企画を、9日間とめていた。とんでもないサボりである。

なぜサボる事になったかの説明から入りたい。
14日から16日まで、イベントの参加のために北海道夕張市に出かけた。イベント、そしてそこに生まれたコミュニティのつながりはとてもエキサイティングだった。しかしながら、ブログを書くのは完全に忘れていた。いや、忘れていたわけではないのだが、自分の行動の中に入ってこなかった。

17日から19日までは札幌にいた。ここでは多少は時間はあった。しかしながら、3日間ブログを書かないでいたら、自分のなかに「まあいいだろう」という言い訳の余地が生まれた。そしてそいつは肥大化した。なんなら、ブログを書かないといけないという意識さえも侵食し、ぼくの意識世界の中からそれを押し流していった。

北海道から東京に戻ってきて、さすがに書かねばならないと思った。しかしこのときになると、負債の大きさが行動開始をブロックしてしまうことに気づいた。つまり、もうすでに6日分の負債があるので、14日のぶんのブログを書き始めても、今日に追いつくのがとても遠いことがハッキリしてしまうのだ。こうなると、人は行動できない。「やっても終わらない」という無力感の想像が、行動を阻んでしまうのだ。
かようにして、20日から22日までも時間は過ぎていった。ブログは、メモ程度には書き綴ったが、とても公開までにたどり着かなかった。

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なんらかの理由で、一度負債に追われるサイクルにはいると、人は行動できない。人は。少なくとも、私に関しては。ここを痛感させられた。

思えば、中高生の頃の夏休みの宿題もそんな感じだった。日にちに分割しての達成計画、とはとても言えないが、なんとなくスケジュールの青写真はイメージするが、まるで行動は伴わず、本来やるべきだった日の分の負債がたまり続ける。本当に40日間に分割できれば楽勝にタノシイ夏休みが送れるはずが、そんなことをできたためしは一度もなく。8月25日頃から絶望感に浸りながら宿題に手を付ける。ああ、今思い出してもどんよりした気持ちが蘇る。

負債をためたら、詰む。
しかし、理想の計画を当初に引くだけでは、負債なき実行を続けるのは難しい。

僕の中で、これに対する答えのアイデアは。
死ぬまでを生きる。その生き方の中で、それを日々やることの本義を「引き受け」る。そこにたどり着くように、自分で演じ続ける。それを楽しむ。

それをやるんだ。

ブログを毎日書かなくてもいいけど、毎日なにをやるかは、それが人生を決める。なにより、それが人生だよねって。
そう囁く自分を存在させる。

ポジティブ心理学から考える、料理の効能。ありがとう、クリストファー・ピーターソン。

「幸福だけが人生か?: ポジティブ心理学55の科学的省察」 (*1)
という本を読んだ。

ポジティブ心理学の研究者・教育者であり、またユニークなブログ・エッセイの書き手でもあるクリストファー・ピーターソンの著書。もともと原著は、ブログから100のストーリーを選び出して書籍にしており、邦訳版はそこからさらに55編に絞って編集している。

本書を読み始める前に、まず訳者あとがきに目を通してみたのだが、そこで衝撃を受けた。著者のクリストファー・ピーターソンは亡くなっていたのだった。
2012年に原書 「Pursuing the Good Life: 100 Reflections on Positive Psychology」(*2) は刊行されているが、ちょうどその年に彼は、自宅で不慮の死を遂げたのだという。死因については調べてみたがよくわからなかった。いずれにせよ、62歳で彼は、探求と教育の道半ばでこの世を去った。

本の話に戻ろう。読んでいて本当に面白く、飽きのこない、なめらかな知的刺激の塊のような一冊であった。ポジティブ心理学という学問は何であり、何ではないのか。本当に学問に対して真摯であり、安易なメッセージングに流れることを良しとせず、しかしてユニークな語り口は、読み手に微笑みと刺激を与えてくれるものだった。

そのなかのひとつのエッセイに、それはワインの値段を知ることと、飲んだ人の味についての評価に関する研究の知見が含まれているものがある。
これに刺激を受けて、思いついた仮説がある。
「料理をつくることが大事な理由は、つくるプロセスが材料や手間の金銭価値計算を曖昧にすることで、料理を楽しむことに人がフォーカスしやすくなるからではないか」
ということだ。

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極めて分かりにくいことを書いた。具体的に説明したい。

たとえば弁当屋で、500円の弁当を買って帰ると「この弁当は500円だ」という認識のもとで、食べることになる。すると「500円相当だから、こんなものであろう」となりやすい。いや私は500円の弁当だからといって、味をそれなりと決めつけたりはしない、という人もいるかもしれない。しかし、仮にそれを自分が食べるのではなく、人に出すとしたらどうだろう。500円の弁当、仮に値札をはがしたところで、それは500円だという認識が自分にも、相手にも伝わってしまい、その程度だよね、となりねうに思う。

しかし、これが材料を買った上での料理であれば、ひとりあたりの細かい材料原価などというものはよくわからなくなる。さらに水道光熱費も乗ってくるし、もちろん家庭料理に労働費は含めないとしても手間がかかることでなんらかのコストが乗ってくることも理解される。このように、価格・手間などに関するファクターが自動的に諸々加算されると「これって結局いくらなのか?」と考える事がアホらしくなるし、そんなことは普通は突き詰めようとしない。
すると何がいいかというと、その食事を味わうことにフォーカスできるし、何よりも人に出すとするなら、食べる人から作ってくれた人への感謝という感情のファクターが多くを占めるようになるので、金銭に対する思考はますます薄れ、幸福感が増すのではないか?買う場合に比べて。

ということを思いついたのだ。
もちろん、料理がマズかったら、残念ながら素直な感謝を示すことが難しいケースは多くなりそうなので、別の要因で幸福感は下がってしまうだろう。
無論、まずい美味いも絶対値があるのではなく、食べる人と素材や料理の味つけの相対関係で決まってくることではあるけども。

このへんは、私は本書の著者とは違って、ちゃんと研究を調べているわけではないので、だいたい世迷い言ではあるので、深くは突っ込まないでほしいが(笑)。

今日書きたかったのは、この著者クリストファー・ピーターソンへの敬意と、彼があまりに早く世を去ってしまったことを惜しむ、その気持ちである。


*1

幸福だけが人生か?: ポジティブ心理学55の科学的省察(amazon.co.jp)

*2

www.amazon.com

歯のメンテナンス行動を続ける鍵は、死への見積もり?

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4ヶ月ぶりに歯科に行った。
こう書くと、歯科通いをサボっている人みたいだけど、予防メインの定期チェックとクリーニングではある。
幸い、虫歯は発見されなかったが、歯科衛生士の方に、いろいろとご指摘はいただいてしまった。

・歯間ブラシを通しましょう!歯磨きより大事です。
デンタルフロスをしましょう。今はまだ若いけど歯周病は忍び寄ります。
・マウスピースをして寝ましょう。歯ぎしりで歯がボロボロになります。
(注、無論これらは私に当てはまる指導であって、すべての人にそうだというものでない)

すべてごもっともなのだけど、ちっともできていないワタシ。
頭では歯のメンテナンスとして科学的、合理的な手法をとるべきと理解しているつもりが、日々の行動には落とし込まれていない。
反省しつつ、これは反省するだけ案件を繰り返しかねない。それは一番意味がない。

なぜ問題は繰り返されるのか、もう一段深く考えてみることにした。

私は頭では予防的歯科衛生の取り組みを理解したつもり、ではあるが、それが感情レベルでの刷り込みになっていないのだ。

思考実験。
たとえば、横断歩道の赤信号で右も左も見ずにわたる人がいるだろうか?(子供ではなく、成人であり、アルコールの影響などはないと仮定する)
多分、そんな人はいない。右左をみて、車がいないことを確認して信号無視はするかもしれないが、それは逆にいうと、信号が赤でも、車さえいなければそこを渡る、という行為が安全に遂行されることを無意識レベルでよく理解して、行動に組み込まれていることになる。
それはなぜか? 車にはねられたら、死ぬからだ。

はねられて死んだ人間は生きていないので、結果死ぬことなく生きている人が標準となる。それはつまり、きちんと車が来ないときに渡る人ということになる。ではなぜはねられたことがなくても、はねられないようにちゃんと車を警戒するかというのは、「はねられたら死んでしまう」というリアルな恐怖が感情にしっかり組み込まれているからだろう。
もちろん、現行人類の種の誕生時点では車は存在しないので(バカバカしいことを書いているが)人間の赤ちゃんが生まれた瞬間には、車を死の恐怖をもたらすものという認識は持っていないはずだ。
親や、まわりの人間の教えであるとか、自分の目でみて、車の破壊力を推測したり、あるいは車による事故の映像やニュースの情報を繰り返し取り込む中で「車にはねられたら死ぬ、怖い、避けないとやばい」が定着すると考えられる。

だいぶ話が踊ってしまった。予防歯科の話に戻ろう。
いま、歯のメンテナンスを毎日きっちりやらなくても、私は死なない。リアルな恐怖を持つことができない。
でも、このままで歯の日々のメンテナンスをやらないでいると、10年後か20年後かに、悲惨なことになっているのだろう。そして、それは後戻りが効かない。
再生医療が進歩している可能性があるとしても、それもあくまで可能性でしかないし、医療保険が適用されて私が使える額、使えるキャパシティがあるものか。それは分からない。甘い期待はしないほうがいいだろう。

放置すると未来に高い確率の悲劇を予防するための今の日々の取り組みをするには、未来の悲劇をリアルに今、恐怖することが必要なのではと思う。

ではどうするか。
VR機器などを活用した体験で恐怖を作ることもひとつかもしれないし、演劇などの様々な手法で恐怖を作ることもできるのかもしれない。しかしそれも、なかなか確立された手法があるとは聞いていない。
今思いつく中で一番良さそうな方法は…死の意識をもつこと、かもしれない。これは上述の話と矛盾するようだが、実はそうではない。
自分が不慮の死ではなく、ある程度納得の行く死の姿を迎えること。良き死をむかえるためには、良き生が必要であり、それには歯の健康問題で煩わされていない自分、をリアルに描くことである。すなわち死への適切な見積もり。

その自分を達成するには、いま歯をメンテナンスすることがその唯一無二の道だ、という「強い」自覚が生まれたら、何かに背中押されるように毎日、ちゃんと歯を手入れするはずだ。

と信じたい。
そうなりたい。

最後に歯のメンテ方法について話をもどすと、歯間ブラシもただ使えばいいものではないようなので、念のため。(*1)


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【医師監修】使いすぎには注意!歯間ブラシの選び方と使い方 | ヘルスケア大学

読書しよう!

最近、本を全然読んでいない。という実感がある。
データで確認してみることにした。

ぼくはbooklogという読書記録サービスを使っており、読み終わったらそれに登録することにしている。
2016年の1-6月と、2017年の1-6月を比較するとこのようになる。

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2016年上半期が44冊。今年の同期間は、21冊。かなり、減っている…。そして、ほぼすべての月で昨年を下回っている。
直感がデータで明らかになった。

量が多ければ良いのかというとそうではないが、しかし冊数は明確の指標であるとも思う。

本を読む時、なるべく自分の知らないこと、知らない話の書いてある本を読むことにしている。
新しい本を読むということは、新しいチャレンジをする、ということでもある。あまりお金をかけずにでき、学びや刺激を得られるチャレンジ。

今年後半は、50冊は読みたい。となると、月平均8冊以上読む必要がある。
あとは月1-2回はレビューも書くようにしたい。これをすると本の内容の記憶への定着が全然違う。ということをむかし感じたので、今できていないのでそこをやりたい。

目標達成に向けて、楽しくやっていきたい。

そうだ!秘密兵器、Kindle Paperwhite (*1) を買ったのだった!というか、この瞬間まで買ったことを完全に忘れていた。このまま眠らせていてはもったいない。使おう。

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Kindle Paperwhite