ビデオゲームに飽きることを予測できるひと。

今日、私が尊敬するビジネスプロフェッショナルのYさんと、起業家の何名かが集まって、いろんなことをざっくばらんに話すという機会があって、参加させてもらった。
そこで出てきた話は実に興味深いものが多く、人間とは、社会とは、ということを、うんうん唸って参加者が考えていた。

盛り上がった話題の1つに「飽きること」というものがあった。
具体的に、ビデオゲームを飽きるまでやってしまうことは、果たしてなぜ起こるかという話があった。
今日の文脈では、「ビデオゲームに人を夢中にさせる仕組みがあって、それを解き明かそう」ということではなかった。
「どうして夢中になって時間を著しく削ることが分かっているビデオゲームをやれてしまうのか」という、行動分析のところがメインだった。

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実はそれに対して明確な答えはなかったのだが、起業家のTさんの考え方がとても面白かった。「いずれ飽きるのが分かっているし、どうせ制限しようとしても、ついついやってしまうのだから、諦めて、夢中になってやってしまう」という趣旨だった。

この考えは、私にとって衝撃的なことが2つあった。
1つは、自分の思考と感情の予測がかなり正確に立てられているので、飽きることを見越していること。
もう1つは、その飽きが予測できているのにもかかわらず、夢中になってやれること。

私自身、この3年くらいほとんどまともにビデオゲームをプレイしていない。なぜそうなったかと考えるのだが、理由はよくわからない。
ちなみに、5年くらい前までは、年間10本くらい新しいゲームをプレイしていたので、世の中の平均よりはだいぶ多く遊んでいたとは思う。

「ゲームよりも現実のほうがおもしろいから」というのは、分かりやすい答えのように聞こえるが、実は当てはまるケースは少ないように思う。
まずそもそも、起業家という最も忙しそうで、時に事業成長の困難や、キャッシュフローの悩みといった大変な現実に向き合っている人たちも、ゲームを結構やっている。最近だとPokemon GOが出た時には、私の身の回りの経営者やビジネスプロフェッショナルたちも随分とプレイしていた。いまだと、スーパーマリオランをプレイしている人も多そうだ。

また私はどうかというと、この3年ばかり現実を楽しんでいたかと言われると、別にそういうわけでもないと感じている。ただ単に、なぜかゲームをしなくなったのだ。
ゲームと現実、という比較はあまり説得力がないし、「成長」という広範すぎる概念で説明をつけるのも納得感が薄い。

そう思って、ひとつ仮説を立てたのは、Tさんがゲームをする理由は、きっと飽きることを見越しているから、安心して没頭できるのだろうということだ。いわく、せいぜい年間で1〜2本だという。その程度であれば、むしろ飽きるまでやってしまうほうが引き摺らないのかもしれない。
逆に私がゲームをしなくなってしまったのは、「飽きるかどうか予測つくほど自分のことを分かっていない」ので、ハマってしまうのが怖くて、手を出さないという可能性もある。
5年くらい前までせっせとゲームをやっていたのは、過去の体験の再現を心理として求めていたから??つまり、どういうことかというと、ゲームをしている自分に安心するのだ。

かように考えていくと、20代の頃の私はゲーム好きだったのではなくて、ゲームをしている自分が好きというか安心を覚える、だっただけかもしれない。

そして、夢中になれる人は、飽きがくるという近未来の自己心理予測をもっているのかいないのか。この辺も気になる。