「メタブログの逆襲」そもそもなんでブログ書くの?
31日間連続でブログを書くという企画に、またトライすることになった。
私自身としては3回めのチャレンジ。
要するに毎日ブログを書くだけなのだが、ひとりだと辛いからみんなで一緒にやろうというのがミソ。今回は6人のメンバーが参加している。
全員対面で会ったことがある方なので、苦労して毎晩(毎朝?)PCに向かっている姿が想像がつく。
と、今ここで私はさらっとウソを混ぜた。ウソというと表現が違うかな。私の想像の産物を前提にしているというべきか。
「PCに向かっている姿」
ここ。 要するに、PCに向かって、キーボードを叩く姿を勝手にイメージしているということ。
そんなわけ、ないよね。
いまやスマホの所持率は日本全体の平均で8割に近い (*1)。
特に、毎日ブログを書こうなんていう趣味の私たちは全員持っている。
そして、ここが重要なのだが、スマホのユーザエクスペリエンスが劇的に高まっている昨今、ブログに代表されるような長文の入力も全然苦労しないのだ。
いくつか、これが可能になっている理由はあると思う。
1. スマホの大画面化、高解像度が進み、画面に表示できるテキスト量が増え、推敲しながらの入力がPCに近いレベルで可能になった
2. スマホのCPUが高性能化し、OSや個々のソフトウェアの機能が向上したことで、安定してさくさく文章入力できるようになった
3. ユーザがスマホ体験に慣れたことでユーザのスキル自体がアップし、何より意識としても当たり前になった
こういったあたりが主だろうか。
数年前には、「スマホで大学の授業のレポートを書く学生」なんていう旧世代からの批判めいた言説も見た記憶があるが、いまや学生にかぎらずスマホで書くほうが楽だし早い、という人は相当な割合に上るだろう。なにより、場所を選ばず、通勤通学の電車内やちょっとした待ち時間にでも執筆できるメリットは強力だ。
今回私がやっているような「毎日ブログ書く」などという時間的縛りがかかる企画においては、なお相性が良いかもしれない。
さらにスマホを使うことでもっと効率良い執筆方法も存在する。
それは音声入力だ。
なぜ音声入力がすごいのか、についてはNaoki Shibataさんのnoteが詳しいので、こちらから引用する。(*2)
情報を出力する場合「話す」方が「書く(タイプする)」よりも4倍以上速いのです。
ここに尽きるだろう。
これも数年前の音声入力(をテキストに変換する)ソフトウェアの精度が低い時代には夢だった。いまやスマホの高性能化、言語認識ソフトウェアの精度向上によって、もはや夢でもなんでもなく、通常の実用技術となった。
であれば、使うしかない。
と思って、私も今回、ブログを書くために使ってみた。
結果。
ダメだった。
ダメだったので、今この文章はやむなく、ノートPCに向かってキーボードを叩いて書いている。
何故ダメだったのか?
音声入力の精度にはほとんど問題はなかった。
私の持つAndroidスマホにGoogle音声入力をインストールして、メモ帳アプリにしゃべれば、かなりの精度でテキストが書き出されていく。最後、それの句読点と誤変換を修正してレイアウトを調整すれば文章にはなった。
文章にはなったのだが、それは自分の評価基準からすると「他人に公開できる水準にはなかった」。
これが、ダメだった唯一にして最大の理由である。
Shibataさんも言及しているように、音声入力の強みは「どんどん入力する」ケースで発揮される。メモをとる、とか。しかし私にとってブログは、なんらかの意思と意図をこめた文章であり、「推敲&編集」を欠くことができない。
したがって、時間軸を戻ることなく音声入力によって生成されたテキストには、文体を通した自己認識が欠落しており、背筋がぞっとするような違和感が生じてしまうのだ。
たしかに音声入力は早い。たとえば字数を増やすことが第一目的なら、間違いなく音声入力を選ぶべきだ。 しかし、そこに推敲と編集を入れたいという気持ちがある限り、生成された文章の体裁、一貫性を整えようとする労を考えると、どうにも音声入力を使う気が湧いてこないのだった。
ただし。私が旧時代的な常識思考に鹵獲されているところもあるとは思う。
たとえば、すべて音声入力にするのではなくて、部分的には音声入力を使い、残りはタイピング(またはスマホのテキスト入力)を使うということも可能なはずだ。
少し話を飛躍させる。
これからAI(というとバズワードを使っているだけ感がするのだが、ソフトウェア全般という意味でここではご理解いただきたい)が発達することで、文章の生成それ自体もAIで行うことは増えるはずだ。
今だとまだ、ニュースなどで一部で使われるにとどまっている。 (*3)
だが研究開発が進むことで、違和感のない文章生成が可能になるケースもだんだんと増えていくだろう。
そうなったときには、AIが生成した文章を多少アレンジする程度で自分の書いた文章として発表しても、誰も見分けがつかないうことは起きうるはずだ。別にそれで問題がないことも多いのだろうと想像する。
さてそうなったとして、それはそのひとの書いたブログといえるのか? 考えてみるとなかなか難しい。
そもそも私はいまブログを書いているけれど、このブログなるものも、2000年代前半から流行り始めて、いまは既にトレンドのピークを過ぎたと感じる人も少なくはないだろう。それまでブログに書かれていた文章は、SNSに書かれるようになったのかもしれないし、noteのようなプラットフォームに書かれるようになったのかもしれない。あるいはYouTubeのような動画、Instagramのような写真での発信に置き換えられている部分もあるだろう。またはLINEやメッセンジャーでスタンプを送ることで解決されていることもあるのだろう。
文章を書きたいから書く、というよりも自分の思いを残したい、誰かに見てもらいたい、そういった動機が根底にあるのだとするなら、自分の思いをより反映させられると感じる媒体を選択するのはごく自然なことだ。
その選択の傾斜が加速するとき、書くこと自体は残るのか?
などなどと考えてみると、
なんのためにブログを書くのか?なんのために読むのか?
これは、当たり前のようでいて、意外と向き合ってみるとひとりひとりに違いが見える、面白い問いかもしれない。
って、考え始めるとキリがないので、今日はここで終わり。
20分で書くはずが、1時間半もかけてしまった。明日からは20分で書きたい。
ちなみに、この記事のタイトルは、「ブログをメタってる謎のメタブログ。うわ、響きがメタナイトっぽい。そうだ、逆襲だ!」という思いつきで極めて安直につけられている。
一昨日、東京駅のキャラクターストリート内に特設オープンされていたカービィのショップ(*4) の影響が大だと言わざるを得ない。
カービィについては日を改めて書きたい。
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https://irnote.com/n/nad1771b74997
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