ギブギブン

1ヶ月毎日ブログ書く企画ではじめたブログです。

フルーツポンチでは動けない 〜東京電力社員の方に訊く、震災の物語 前編〜

先日。縁があって、東日本大震災が起きた時に東京電力に勤めておられた方(今も引き続き勤めておられます)のお二人から、震災当時に何が起きて、どう対応したかを聞かせていただいた。
この話は、ぜひ記録しておきたいし、記憶しておきたいのでここに書いておく。
なお、オンラインで公開OKな内容であることは確認済み(すべて既に公表されている話ということなので)。

お一人目は野本さん。震災が起きたまさにそのとき、福島第一原発にいた。そして、津波によって全電源喪失という未曾有の危険事態に突入した原発を冷やすべく、仕事をされた。
既に明らかになっているように、東京電力社員の方々は線量の高いプラントにチーム交代で向かい、原発の状態を調べ、いかにして冷やすかを検討し、実行し続けた。
その過程で野本さんの外部被曝量は基準を超えて、これ以上の作業を続けることがNGというところにいき、原発の現場業務から離れることになる。
放射線を遮るために身につける装備は実に重く、暑いのだという。私達も、X線検査の時に、検査部位以外に重い鉛の装備をつけるけれど、あのような局所的なものではなく、全身を覆う装備だ。それをつけなくては作業が許されない。しかし、身につける装備によって体力もまた奪われる。
消防士の装備であれば、燃え盛る火から身を守る必要があることが、その高熱によって実感できる。しかし放射線は見ることもできなければ何も感じない。しかし、量によっては生物の身体に致命的ダメージを与える。見えない恐怖と戦うことはどれだけ勇気がいるのだろう。

f:id:startselect:20180616084025j:plain

野本さんが過酷な原発での冷却業務の日々から学んだことをいくつか挙げてくださった。
・電気がないと何もできない
・食事が大事
・装備が足りない。装備がないと現場にいけない。

電力を生み出す電力会社なのに、いざプラントに危機が発生すると電力がなくては何もできない。
この強烈な矛盾。
東京電力やその他電力関係で仕事をされていた方が、このときに感じた矛盾は、想像に余りある。
燃料が尽きたら炉が止まる火力発電と違って、一度制御を失った原子炉は暴走を続ける。そのコントロールには電力が必要。
この構造の矛盾の重みは、なんともいえないものがある。

次に、食事。野本さんは聴き手の我々が実感しやすい工夫として、実際に原発の現場で、どんな非常食があって、どのようにそれらが消費されていったかをわかりやすく教えてくださった。
水を入れると熱くなって調理される食品、焼き鳥などの缶詰、ビスケット/クラッカー、フルーツポンチの缶詰、などがあったという。そして、今書いた順番に、消費され尽くしてなくなっていった。最後に残ったフルーツポンチでは、とても力が出ないし、頭がまわらないと感じたそうだ。そして、食事の重要さを痛切に思ったそうである。
震災当時、一般家庭や企業での食品備蓄の必要性の話は取り沙汰されたが、まさか原発がそうだったとは知らなかった。
あの時、日本で、いや世界で最も人類の未来を左右する仕事をしていた人たちの食事が充分でなかった、パフォーマンス発揮のボトルネックになっていた(可能性が高い)というのは、考えると恐ろしい。

そして、装備。つまり、装備も放射線で汚染されると使えなくなってしまうし、その数が充分でなく、現場に充分に人を送り込めないことがあったそうだ。これもまた、もっとも大事な仕事をするチームが物的ボトルネックで動けなかった可能性が高いというのも、備えの不十分さといえる。

野本さんに質問させていただいた。
「非常用ディーゼル発電機はなんのため?」と。
答えは
「炉を海水で冷やすため」なのだが、なぜその恐ろしく重要な設備が、海沿いの地域で、津波で破壊されるような状態が放置されていたのか、が問題である。
そこについて、50年前に原発を作った人たちはそれで良いと思っていたのだろうか、と訊いてみた。
答えは、イチエフ(福島第一原発)はアメリカの設計思想そのままに造られてしまった、ということ。アメリカでは沿岸部にはおかず、川や湖といった内陸の水源を冷却に使うのだそうだ。であれば当然、津波のリスクは想定不要。しかし、その前提の機構が太平洋に面する日本沿岸部でそのまま設置されてしまったことは、考えてみると不思議でならない。
野本さんも新入社員のときにその状況を見て「これでいいのか?」と思ったそうだが、それで良いということになっていて、点検もされているし、その疑問は封じて仕事をするようになったのだそうだ。しかし、地震は起き、津波が生じ、非常用電源は破壊された。

「もし」に意味があるか、という議論はあるけれど。
もし福島の沿岸部に原発を造るときに「津波が非常用電源を破壊して炉が制御不能になる危険はないのか?」と考えて提案して計画変更させることができるプロジェクトチーム&組織だったなら。
もし完成後の保守点検のプロセスに関わる組織が、「現状のこの状態で非常用電源が破壊されたらどうなるのか」という疑義を呈する人がいて、それに基いて対策を試みる組織であったなら。

と、こういう書き方をすると東京電力を批判したいように見えてしまうかもしれないが、そういう意図はまったくない。

二度とこの事故を起こさないようにするのは、私は東京電力の問題でも、日本国政府の問題でもなく。
日本国に生きてきた人すべてが当事者の問題なのではないか。
なぜなら、原発が抱えている危険を知ることなく、原発で生み出された電力が届き続ける生活を当たり前だと思っていたわけで。

原発を再稼働するかしないかに関わらず、たとえどんな未来があるとしても、「事故を起こさないためにやるべきことはなんなのか」を考える、対話することが必要だと思う。

後編はこちら

give.hatenadiary.com