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1ヶ月毎日ブログ書く企画ではじめたブログです。

極限での対話と交渉 〜東京電力社員の方に訊く、震災の物語 後編〜

前回 の続き。

お話された2人目は佐藤さん。
2003年に東京電力に入社されて、7年目の終わり際に東日本大震災が起きた。

佐藤さんは震災の年2011年の4月から新潟県・柏崎の「補償相談センター」の設置業務を命じられた。

その頃、福島県で被災し、放射線の拡散により住み慣れた地からの移動を余儀なくされた方々はバスに乗せられ、各地へ避難をすることになった。柏崎も避難先のひとつ。
強制的にバスに乗せられることになった方々は財布すら持っていない人も多く、着の身着のままという状態だった。避難先で物を買おうにも、お金すらない状態。
原発のあるエリアは福島県浜通りと呼ばれる沿岸部で、そこは雨や雪の少ない気候で、太陽が明るい土地だ。そこから、雪、風の強い、まったく見知らぬ新潟への避難。佐藤さんは「灰色」と表現した。

初めて避難所にいる被災者の方々のところに行く時。佐藤さんは、恐怖で手が震えたという。
自分たち東京電力は、この理不尽な避難の原因となっている会社。その会社の人間が、被災者と向き合う。
佐藤さんは、落ち着いた語り口だったけれど、その当時の心理を想像すると、胃袋のあたりが非常に重くなってくる。
どんな罵声を浴びせられるのか。冷たい目で見られるのか。
おおよそ平和に生きてきたら、まず晒されることのない状況。極限。

佐藤さんが避難所に足を踏み入れると、そこはダンボールの仕切りの高さしか遮るものがない、プライバシーもない場所だった。そして、そこに放置された。
苦しみ、怒り、憎しみ、悲しみ。そして「殺気」を体感したという。

東京電力の担当者は1人あたり、20人くらいの被災者の方と話をして、対応したのだという。上記のような感情のひと20人に囲まれること。また想像したら、胃が重くなってきた。

佐藤さんは最初怖かったのだという。だが、対話する中で
「東電は憎いがあなたを憎いわけではない」
「東電社員ががんばっていることは本当はわかってる」
「身体を大事にして」
といった言葉をかけてもらえるようになったそうだ。

そこで
「優しい心を持った方々が怒りに身を委ねるしかない」
という理不尽さに気づき、その方々に恐怖を感じていたことを恥じた。

そして佐藤さんは「自分は犯罪者だ」と意識して、涙を流すことを封じる決意をしたのだという。
なぜか。自分が泣いても何も変わらないから。犯罪者だと意識して、被害を受けた方から、目をそむけない。

ここを聞いて、私は本当に言葉がなかった。なぜ、苦しんでいる人の力になる仕事をする人(佐藤さん)が、自らを犯罪者だと自分に言い聞かせないといけなかったのか。

これは、単純でわかりやすい「悪の組織」をどこかに作って終わらせる話ではない。
そんなものは、いない。

人類が手にしてきた技術、政治、経済を活用してたどり着いたはずの「先進国」が、その中に生きる人達に理不尽を強いた。
これは前回書いた「日本に生きる全員の問題」という話と通じている。

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佐藤さんのお話のあとで、ひとつ質問をさせてもらった。
東京電力の社員の心のケア・プログラムのようなものはあったんでしょうか」と。
それに対する答えとしては、そういうものはなかったそうだ。
基本的には、そういった対応に慣れた社員が対応するのもあるし、そして辛い対応をするときにも、「スイッチが入った」状態にできたら、なんとかなるのだという。
ただ、子どもがいると辛いのだそうだ。「東電社員の子ども」と言われること。
また、社員の方の中には、震災を契機に離婚になった家庭も少なくなかったそうだ。結婚話が破談になったことも1つや2つではないという。

紛れもなく、東京電力の社員の方々は、被災者だった。
前代未聞の原発事故が残した傷跡は、知られていないところでも、深かった。
7年経って、ようやく知った。

野本さんと佐藤さんのお話のあと、聴講した参加者たちも一緒になり、「企業が福島復興のためにできること」というテーマでの、ワールドカフェのような対話の場を持った。
そこではそのテーマに沿った意見も活発に出た。
それ以外にも、私含めて、多くの参加者が「もっと多くの人がこの話を知るべきだし、伝わってほしい」という言葉を口にした。

7年経って、忘れられはじめていることもある。
けれど、7年経ったからこそ、ようやく語り始めることができることもある。
そして、情報の伝わり方は、日々変化していっている。

インターネット、そして様々なテクノロジー、サービスが普及する中で、かつてないほど、個人の発信力、のみならず双方向の対話のポテンシャルが高まっているのが今だと私は思っている。

とはいえ、相も変わらず、世の中の事象を単純化して、勧善懲悪を好んでしまうヒトの直情はアップデートされていない。それを気を付けないと結局テクノロジーやサービスがあっても、人の直情を増幅するだけになってしまう。

直情に流されず、オープンでフラットに、震災について思考し、対話すること。
この取り組み、私もできることを、やっていきたい。人を巻き込んでいきたい。
そう思う。

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この写真は、対話のあとの懇親会。
いろんな組織からの参加者がいた。この日に聞いた話から、衝撃を受けていた方が多かったが、同時に自分ごと、自分の組織でできること、というのを考えていたのが印象的だった。
ここから先に、つながりを活かす道は、なんだろうか?

なお佐藤さんから紹介いただいた東京電力原子力事故報告書はこちら。参考までに。

【120620】福島原子力事故調査報告書の公表について|TEPCOニュース|東京電力