変化は、時間のかかるもの:スポーツと自己認知
25年くらい遡る。
特に球技が苦手すぎる幼少期を過ごしていた。
小学校低学年での男子のヒエラルキーを決めるのはドッジボールの上手さではないか。
間違いなく僕はクラスで一番ドッジボールが下手だった。サッカー、野球、だいたい何をやっても全くできなかった。
今振り返ると、多分「単純な視力の低さ」「動体視力の低さ」「ビビリ癖」「痛みを怖がる」このあたりの複合産物かなと思う。
一生このままかと思っていた頃、高校でバレーボールに出会う。
部員が5人しかいなかった男子バレー部。ここなら、なんとかなるかもしれないと思って入る。
だが、球技が苦手な人にとってはバレーボールというのは相性は最悪に近いスポーツだった。
何ヶ月経ってもまともにパスができるようにならなかった。アタックについては一生打てる気がしなかった。
時々やってくるOBからは無茶な練習を課され、キツかったが、同級生の仲間がいたのでなんとか辞めずに続けていた。
いつしか気づいた頃には、一応はバレーボールができるようになった。上手いとはお世辞にも言えないけれども。
それから15年以上が経ち、未だに年に何回か、バレーボールの試合(自治体のアマチュアリーグ)に出ている。
そしてバレーボールを通じて、新しい人と出会う機会にも恵まれている。
コンプレックスという表現はしっくり来ないのだけれど、それでもバレーボールをし続けたことで、僕は球技への苦手意識から解放された。
そして、新しいスポーツにも、気楽に取り組めるようになった。
最初の時点でどんなにそのスポーツ下手だとしても。基礎技術を知り、経験を積めば。少し時間はかかっても、必ず最低限に楽しめるレベルには到達できることを知っているからだ。
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先日、5年ぶりにバスケットボールをした。 とあるバスケコミュニティ運営者の方と知り合ったことをきっかけに、参加させてもらった。
そもそもバスケットボールは学校の部活などでやったことはない。
最初の会社に部活があった。そこに入って、月に1回くらい練習し、経験者の方々に基本的な技術をいくつか教えてもらった。そのとき、4年ほど、ゆるゆると続けていた。
それ以来、5年くらいまったくやっていなかったのだけど。
この日は、久々にもかかわらず、楽しくプレーすることができた。
経験者の人にちょっと褒めてもらって嬉しかった。
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先日、フィリピンにいたときに、思いつきでダイビングのライセンスを取ってみた。
正直海で泳ぐのはあまり得意ではなく、不安はあったけど、終わってみたらとても楽しかった。
全部英語でのレッスンはすごく新鮮。分からない部分があると命に関わるので必死で何度もインストラクターに聞き返して、理解した。
このゾクッとするような獲得体験は、なかなかに換えが効かない。
私にとって、スポーツとは、一言では語れなくて。
自己認知の変化と不可分なもの。
スポーツに取り組もうと思った時。最初に意図したこととは全く違う、というよりも、実は最初は何も考えていなかった。プロセスを進んでみると、自己認知が変わっていた。これこそ、醍醐味。
これからも、未知と既知の感覚の境目を歩きながら、認知を変化させていきたい。