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シン・ゴジラを1年間で23回観て分かった、飽きが来ない3つの理由

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タイトルどおりなんだが、今年の1/1から12/16までで、シン・ゴジラを23回観た。

2016年に劇場で2回観て楽しんだあと、2017年には結局観ることがなく。
2018年のお正月にレンタルビデオで借りて観てみたら、ここでドハマリした。
これはもうブルーレイディスクを買うしかないと思って即座に購入し、そこからすごいリピート率で観始めるようになるのだった。

通常、フィクションの映像作品というものは「ネタバレ」を忌避するカルチャーがある。
ストーリーの核心を事前に知ってしまうと興が削がれる、という共通理解がそれの前提にある。   しかしながら、好きで好きで何度も楽しむ作品についていうと、むしろネタバレどうこうではなく、詳細が頭に叩き込まれているからこそ、何度も観たくなるのだ。
お気に入りの映画やアニメというのは得てしてそういうもの。
話の筋を知っているのみならず、表現のディテールまでもが脳に焼き付けられているからこそ、いざ映像を再生したときの、ビジュアルと音の脳内イメージとの一致が快感を生む。

そうはいっても短期間で同じ映画を何度も観たらさすがにぼくは飽きるだろう。
と思っていたら、実際まるでそんなことがなくて自分自身をびっくりし続けさせたのがシン・ゴジラだ。

抽象度を上げてかんがえてみよう。
まず繰り返しに脳が飽きる状態を0から1の間で数値をつけてみるとしよう。1に近いほど飽きている。これをA値とする。
つぎに、知っているからこそ起きる一致の快感度合いも0から1で数値をつけてみよう。1に近いほど快感が高い。これをB値とする。
A値とB値を比べ、前者が後者を上回っていると脳が感じると、いよいよ飽きたという実感が脳を支配し、その作品を観る頻度が激減する。

ぼくの場合もたしかに今年1月は何回もシン・ゴジラを観ていたけど、さすがに2月くらいから目立って回数が落ち始めた。それでも驚くべきは、ぼくの記憶が正しければ、1度も本作を観ない月がないままに、12月16日のテレビ放映日を迎え、今年の鑑賞を終えたのだった。

では、どうしてそこまで飽きないのか。
理由は3つあると思うに至った。

  1. 絶対的な情報密度の濃さ
  2. 個人間感情と物語の疎結合
  3. 現実事象とのラグランジュポイントの変化

それぞれに説明を試みたい。

1. 絶対的な情報密度の濃さ

シン・ゴジラの登場人物たちはとてつもない早口だ。
Web記事より引用する (*1)。

今回はそのプリヴィズを、自身が代表を務める「スタジオ カラー」の手練れを率いて作成し、さらには声優に「早口で」台詞を読んでもらうことで、庵野は、通常であれば4時間分にあたる分量の脚本が、2時間以内に収まることを事前に証明してみせた。

4時間分のセリフを2時間映画に放り込んでいる。情報密度が高くなるのも必然だ。

2. 個人間感情と物語の疎結合

これは上記1とも関連している。
あまりに早口で、ストーリーラインを爆速で無駄なく駆け巡る展開であり、そこに登場人物たちの個人間感情がほとんど絡んでこない。

たとえば、映画でやりがちな、主役たちの恋愛情景や死をめぐる葛藤のようなものが何ひとつない。
それがすなわち個人間感情とストーリーラインの結合を薄くさせ、繰り返し何度観ても食傷を起こさない。
シン・ゴジラは、油の濃いとんこつラーメンではなく、流れるような旨味に彩られているものの毎日かっ喰らうことを前提とした蕎麦なのである。

3. 現実事象とのラグランジュポイントの変化

言うまでもなく、シン・ゴジラ東日本大震災原発事故をめぐる日本の対応を念頭に描かれたポリティカル・フィクションである。ゴジラの名を冠しているものの、過去のゴジラ作品との時間的関係性は一切なく、ゴジラなる生物があの世界に登場したのは初めてという設定だ。

過去のゴジラ作は、どこまでいってもゴジラという怪獣を中心に世界を作らないといけない怪獣映画。それは視聴者をファンタジー世界につれていく義務を背負っている。そうなると、最初の1回2回は良くても、繰り返しの中で視聴者もさすがに同じファンタジーを受け入れなくなる。
対してシン・ゴジラは、状況映画である。日本国が未曾有の災害に巻き込まれて政府が右往左往することを描くのが目的だ。そもそも作り手の意志として、ファンタジーに誘うつもりがない。
かくして、視聴者は状況の観察者として、世界に足を踏み入れることになる。そして、それぞれの角度で世界を眺め、2時間経つとまた元の世界にリリースされる。
世界に踏み入るたびに、現実が変化しており、また現実に対する自らの態度も変化している。

たとえばぼくは今年福島県沿岸部に震災後に初めて行き、被災地で苦闘を重ねた方々の話を聞いた。それにより、ぼくは初めて震災の影響ということを内的に捉える経験をした。そして、シン・ゴジラに対する印象もまた変わってきたのだ。
映画自体はおなじでも、視聴する主体の内面が変わっている。

ここで、無理くり感はあるが、ラグランジュポイントという概念を持ち出したい。ここでは、「多天体により重力が釣り合い0となり静止する地点」という意味で使っている。
視聴者は、現実と虚構の重力の引き合って釣り合う絶妙なるラグランジュポイントに静止しながらも、次にその世界にやって来るときには経験を踏まえ、鑑賞中には、前回とは異なるポイントに意識が置かれる。それがすなわち、飽きなさの正体である。

ということで、amazonアフィリエイトリンクを貼っておくので、シン・ゴジラを年末年始に観たくなった人はここから買ってほしい。ぼくに数十円入るのでw

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が、2018年12月現在はPrime Videoで普通に見れるので、Prime会員はそれで観たらOKだ。

シン・ゴジラ Prime Video

Prime Videoだと惜しい点は、日本語字幕がつけられない点だ。
シン・ゴジラの情報量の多さと情報の異質さを味わうには、本当は字幕つきがベスト。ぼくも今年の23回の鑑賞のほとんどは字幕付きである。最初はそのやり方に気づいてなかったが、あるとき字幕をつけたらさらに視聴が楽しくなったので、以後付けている。

「ですが、総理。アフィの利益のために読者に犠牲を強いるのは、覇道です。」
「我がブログでは人徳による王道を行くべき、という事か。」


*1

庵野秀明が『シン・ゴジラ』に埋め込んだ“革新”と“破壊”|映画(ムービー)|GQ JAPAN