ギブギブン

1ヶ月毎日ブログ書く企画ではじめたブログです。

婚活パーティの衝撃【後編: 比翼連理なる矛盾の発見】

前回の記事 「婚活パーティの衝撃【前編: 部屋の構造的な意味で】」の続き。

婚活パーティに行ってみたら、そこが2ラウンドかけて参加した異性全員と話せるしくみで運営されていた。ぼくは1ラウンド目終わって7人中2人と「双方興味あり」のような状態になったところまで、前回に書いた。

2人の女性のプロフィールを簡単に書いておく。
Aさん、32歳。仕事は会社員。
Bさん、30歳。仕事は医療系国家資格。

2ラウンド目は、この2人とどう話そうかな〜、というのがメインな心理になることに気づいた。

逆に、ほかに最初の5分で興味を持ってもらえなかった人に、自分に関心を持ってもらおうというのは、結構難しい。
特に、1ラウンド目でまったく話の弾まなかった人(Gさん、28歳、会社員)との2ラウンド目などは、完全に罰ゲームといえよう。
という不毛さを、再度同席した瞬間、ぼくだけでなくGさんも、はっきりと感じていたような気がする。

「一応話します?」
「…あっ、はい」
「中野住まいなんでしたっけ?」
「…そう書いてますしね」
「そうですよね。…中野ってどんな感じですか?」
「街ですね、ふつうの」
「…そうですよね」

みたいな。
だが、不毛とはいえ、2ラウンドめの1回ごとのセッションは1ラウンド目より短いこともあり、実質3-4分だけ。なんともいえない居心地の悪さ、これはこれで面白い経験だとも思う。

お互いに興味ありだったAさんとの会話の2ラウンド目を思い出そうしているのだが、会話の中身が思い出せない。
好きな旅行先の話をしたような気もするのだが。びっくりするほどよく覚えていない。

そのあとのBさんとの会話についても、そんな感じ。
1ラウンド目で、仕事の話や趣味の話もある程度は触れた上で、「消去法の◯つけ」プロセスをしたことが、間違いなかったよね、という確認の感覚を抱いた。

この2ラウンド目で働く力学は「確認」と「選択」なのだと思われる。
ぼくの場合は、もう2ラウンド目始まった時点で、この日、この後カップリングが成立するならAさんかBさんかしか、ほぼありえないので、「どっちにしようかな」を決めることが必要になる。
文章で読むとイヤな感じかもしれないが(笑)男女ともに参加者全員がそうするわけであり、それが求められている場なので、当事者たちにとってはごく自然にできることだったりする。
いわば、環境とルールのパワーなのである。

これが、合コンみたいに、目的設定がブレやすく、ちょっとした行動のゆらぎで関係性自体がすぐ放散してしまうイベントでは、これは成り立たないと思った。
成し遂げたい目的があるならば、自分の意志やガッツに頼るよりも、環境とルールを味方につけたほうが、理にかなっていることも多い気がする。これは婚活にかぎらず。

環境やルールに頼らない!己のチカラで解決する!
という人は、素敵な異性を見つけて、熱心なアプローチをして、ゲットすべきだ。
皮肉でもなんでもなく、それができたら、どれだけいいだろうか。
ぼくには、今回みたいな方がしっくり来る。というか、できぬものは、できぬのです。

話がそれた。そんなこんなで2ラウンド目は流れるように終わった。

この段階で、男性の半数と女性の半数が席を立って移動して、同性どうしが隣になるように席を組み替えるプロセスが入る。
要するに、ピンク色のリクエストカードを書くときなので、それを異性に見られないようにする手順だ。いや、このあたりも、巧みなオペレーションに落とし込まれているなと、感心した。

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(これがリクエストカード)

ぼくは第1希望に、Bさんの番号を書き、第2希望にAさんの番号を書いた。
Bさんを第1希望に選んだ理由?
その場の直感。
なんとなく、Bさんのほうが無理なく話が続けられそうな気がした。けど、これは後付の理由づくりかもしれないので、やっぱり直感でしかないと思う。
相手の年齢は考えなかったかって? 考えないといったら、嘘になるかもしれない。

カードを司会が回収し、裏で集計する。その時間つぶしと、アップセル狙いで、「ライトな結婚相談所チックなサービス」の利用に興味あるかを尋ねるアンケートが配られた。
このサービスは登録料30,000円、月額10,000円程度から、幅広くリコメンデーションやマッチングを行ってくれるものだった。
ビジネスとしてはアリなのだと思うけれど、このタイミングというのはどうなのかなと思った。だって、今回収されたリクエストカードのマッチングが分かる前のドキドキしている段階で、次のことを考えるって、人間けっこう難しくない?(笑)

いよいよ最後にマッチングの発表。
司会のキマっている女性が、ここぞとばかりに、声を張り上げる。

「おめでとうございます!
 本日、2組のカップルが誕生いたしました!
 1組目は、男性●番、女性▲番。2組目は、男性■番、女性▼番です!
 皆様、盛大な拍手をお願い致します!」

何がおめでたいのか良く分からないし。コレ拍手したい人っているのかな。

あれ。
2組目ってぼくの番号じゃないすっか。で、相手の女性は、第1希望で選んだBさん。

うわあ。
いざそうなると、困る。
テンプレートどおりの司会の言葉になんの共感も湧いてこない一方、これ選ばれるとどうしたらいいんだろうか、という焦りが湧いた。

で、思わず立ち上がってしまった。

「まだ、立たないでください!お座りください」

即座に司会に怒られた。座った。

その後、カップルになれなかった男性たち、女性たちはそれぞれ性別ごとでまとめてタイミングを分けて、退出させられた。
タイミングを分けるのは、その後でありえる「男性が女性を追いかけて声をかける」ことの防止であろう。確かに、それをされてしまうと、女性の不快度が上がり、クレームの元になり、次に来なくなってしまう。

とにかく徹底的に女性のリピーターを大事にするのが、婚活パーティ・ビジネスの要諦なのだ。女性さえ確保できれば、単価の高い客である、男性を引き込めるのだから。

そして会場には、司会女性と、男女2人ずつだけが残された。
ようやく席を立つことを許され、ぼくはBさんの隣に座った。

Bさんと、会話する。といっても
「あ、どうもありがとうございます」
「こちらこそ」
くらいの朴訥たるものでしかない。

だって、そこで
「選んでくれてありがとうございます!」
「私もとっても嬉しいです!」
なんてテンションも出ないし。実質会話時間、まだ10分以下なので。

司会から、ここでようやく連絡先の交換を許された。
これもまた、婚活パーティ・ビジネスの要なんだと気づく。
容易に連絡先を交換させると、「ストーカー的な男」によって、女性参加者の満足度が低下するリスクがある。
双方選びあうプロセスを経て初めて、連絡先が交換できるのだ。
最初からメッセージ送信によって関係構築を図ろうとするネット出会いサービスとは全く対照的な順番になる。考えてみると面白い。

しかし、思う。

「リピーターが多い」のは安定するビジネスの肝だと思うけど。
婚活というテーマにおいて、リピーター率が高いという状況は、顧客の目的に合致しているのだろうか?
むしろ、リピート率を低く、目的達成できるのが最大の顧客満足ではないのだろうか?

だがそれを責めることもできまい。企業の力学とは、自然には、現状の延長線上に進むもの。
かくして、リピート率の高い、よくできた婚活がぼくたちの身の回りを埋めていく。

矛盾。

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さてぼくとBさんは会場を出て、下りのエスカレーターで話をしていた。

「あの、すいません、Bさん、ぼくは今日チャリで来ちゃったんですけど。」
「えっ。そうなんですか。」
「遅れそうだったんで…。ところで、この後ってお時間あります?」
「ありますよ」
「じゃあ軽く食事でもしましょうか」
「そうですね、私、いいお店知ってますよ」
「あ、じゃあぜひ…お願いします。」
という感じで、Bさんにお店を教えてもらうという、見事にイベント・アフターの準備不足ぶりを露呈したのだった。

かといって、会場近くのいいお店をカンペキに押さえておいてから婚活パーティに望んでも、カップリングされない可能性のほうが高いわけで、これもなんか不毛だなーって思ってしまう。
だって今回でいうと、男性8人(女性より多く、余っていた)のうちカップリングされたのって2人で、成立わずか25%だ…。
ぼくが今回カップリングされたのも、基本的にはただの偶然。

Bさんに連れられて入ったのは明るい雰囲気のカフェ/レストランだった。土日だが夕方ということもあり、そんなに混んでいなくてすぐに座れた。
ぼくは聞いてみた。

「何飲みますか?お酒って結構好きですか?」
「好きですよ」
「あ、頼んでください!ぼくは自転車なんで、ソフトドリンクでいいです」
「あ、じゃあ私も別にいらないです」
「すいません…」

という配慮不足の上塗りがあったことを、ここに告白する。
とりあえず婚活パーティに自転車で来るのはやめたほうがいいと思った。

とはいえその後は、普通に仕事の話や、家族の話などをしつつ、互いの価値観を見るような質問も入れつつ、お互いに「ありかもな」という感覚を深めたような気がする。
が、錯覚かもしれない。

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ふと感じる。

婚活パーティでカップリングできたとしても、そこがようやくスタート地点であって、そこから先に続くかどうかは分からない。というよりも、ほとんどがどこかで終わっていくのだろう。
お互いが自分の中に、相手と連絡し続け、会い続ける「とくべつな理由」を作ることができなければ。
何かの弾みか、面倒くさいかで、ひとつでもプロセスが停滞すると、基本的にはオシマイ。

想像してしまうと虚しい。
だがそれも自分が当事者としてやってしまっているのだと分かっていることが、虚しさをいっそう、複雑なものにする。

虚しさついでに、費用を計算してみよう。

トータル10人とカップリングできれば、将来そのうち1人と結婚できる「かもしれない」と仮定しよう。
婚活パーティに1回参加すると、今回同様に、確率25%でカップリングになれるとする。
10人とカップリングできるためには、少なくとも40回はコレに参加しないといけない。
週に1回参加するとして、およそ10ヶ月かけて、1人見つかる「かも」。
費用は約5,000円*40 = 約20万円。
結婚相談所が入会金10万円程度、月会費1万円程度だとすると、10ヶ月かかると同程度か。
成婚料というものが、結婚相談所にはあるけども(相場は約10万円)。

そして計算してみて感じるんだが、20万円かかることより、この手順を40回繰り返すことのほうがはるかに辛く思えてきた。探して、申し込んで、参加して、リクエストカードを出して、etc。

やっぱり本気で結婚したいならば、結婚相談所で、プロにリコメンデーションをまかせて、選り好みせずに向き合うというのは精神労力削減の意味でも良いのかもしれないと思った。
前々回書いたとおり、収入と定職の観点で、ぼくには結婚相談所を使う資格がないのですが。
使える状況にある方は、古いとか恋愛結婚がいいとか、食わず嫌いをせずに使ってもいいのかも。

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あれから2週間経ち、Bさんとは、いまも連絡は続いている。

だけど、「ただの良いお友達でした」で繋がりを自然消滅させるほうがラクな力学が、この世界を支配している。
相手もまた、次なにかの婚活の行動を取り続けているだろうし、ぼくもまた何かをするだろう。
するとそこにカネと労力とがかかり、比較検討プロセスが入り込み、集中と選択と決断を先送りにさせていく。
だが選択と決断のカギは自分の側にあるのではない。いつだってそれは相手の側にある。

可能性を広げる行動を取り続けなくてはいけない&それができることが、今あしもとにある可能性を狭めるという矛盾を引き起こす。

これが、矛盾その2。

分かっていても、矛盾を解消する方法はない。かくして、葛藤は続く。

閉塞感を抜け出したくて、また新たな婚活サービスを探し、それにお金と時間をつぎ込んでも。
事業構造の矛盾(リピート率の向上)と個人内面の矛盾(継続と選択と不一致)の比翼連理な強固な構造の中にいる限り、行き着く先は同じことだ。


この感覚と状況、婚活に苦しむ人達のある程度共通するものではないだろうか?

というのが、自分が今回参加してみて初めて、等身大に分かったことだった。
この衝撃は重く、まともに味わうと、立つ元気も出ない。

この手詰まりと閉塞を、どうやって克服すべきなのだろうか。
袋小路の脱出の成功例を知っている/自分は成功した、という人の話を聞いてみたい。

※ご感想、アイデアなど、よければコメント欄にください。

婚活パーティの衝撃【前編: 部屋の構造的な意味で】

前回のブログの続き。

意を決して、婚活パーティに行ってみた。

ネットには、不動産のプラットフォームよろしく、各社主催の婚活パーティ類をまとめて検索して申し込めるサイトがある。そこを使って、目的や条件、日にち、金額で検索して絞り込んで、参加する回を決めた。

男性の参加費用、ひとり4,000円也。
なお、女性は1,000円程度だった気がする。
価格差は…。
仕方ないね。
世の摂理なのだ(すべてではないにせよ)。

イベント当日は一応遅れないように会場に向かう。
つもりが、
電車に乗ったら間に合わないということが発覚して、自転車に乗ってダッシュで向かうのだった。
われながら、だらしねえな。

きれいなビルをエスカレータで上がると、その会場はあった。
受付にはキッチリとスーツを決めた女性が立っていて、訓練された感のある接客で受付をしてくれた。
歪みない感じだ。

身分証を確認される。申込した年齢の偽りがないかを見るのが主目的だ。

大きな荷物を預けて奥に行くと、そこには見たこともない構造が広がっていた。

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衝撃。

この空間は何なのだ。
よくみると、ブース10個ほどに分かれていて、それぞれのブースには椅子が2つ並び、テーブルがくっついている。男女が隣り合って座れる形だ。

到着の時点で、男性だけ座っているブース、女性だけのブース、両方いるブース、誰もいないブースなど様々。あとでわかったのは、別に意図があってそうなっているわけではなく、ただ単純に到着した人を番号で割り振っているだけのようだった。

僕が入ったブースは誰もいなかった。机の上には、これが置かれていた。

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プロフィール・カード。
(注: 企業名はぼかし加工した)

記入欄は、見て分かる通り率直に自分の情報を晒すことを求めてくる。

とはいえ、あとになって気づいたのだが、意外と空欄が多い人もいる(笑)。

【年収】は書きたくないから書かないのかもしれない。
【私と結婚したら◯◯約束します】は具体的すぎて言葉をイメージしづらいから書けないのかもしれない。

前回の記事で、ネットの出会いサービスはカタログスペックで弾かれるから悲惨だと書いた。
今回の婚活パーティについては、年収や学歴のスペックは関係なく参加はできるし、参加しても相手に伝えなくても成り立つは成り立つ。

これが発見である。

もちろん、結婚したいのならば、そこが秘密では関係は進まないので、隠さないほうが確率は上がるのは間違いないだろう。が、少なくても門前払いされないのは有り難みがある。
いくらネットやスマホが普及して情報が充分になっても、むしろ情報検索とフィルタリングが容易すぎるがゆえに起こる途絶がある。に対して、「とりあえず申し込んだら会える」ということの価値があるのは認めざるを得ない気がした。

話が脱線してしまった。

少し時間がたって、ぼくの隣にも女性が来た。
「こ、こんにちは〜」声が上ずって、ぎこちない挨拶が出た。
なんだかんだえらそうに言っといて、ぼくは雰囲気に飲まれているのであった。

そして先程のカッチリ決め決めな受付スタッフ女性が、時間の到来を告げてイベントの仕切りを始めた。
なるほど、受付兼司会をぜんぶ1人でこなすワンオペなのだとこの時点で気づいた。なかなか大変そうな気もするが、慣れたらなんでもないのかもしれない。

進行としてはかなりシンプルだ。

整理して書いてしまう。

まず参加者は上掲のプロフィールカードを全員書く。
そして、今隣同士で座っている男女でプロフィールカードを交換してそれを見ながら、5分ほど話をする。
時間が来ると司会が終了を案内する。会話が終わったら相手に見えないようにメモのカードに相手の印象を記入して、男性は席を立つ。となりのブースに移り、違う女性とまた話をする。

これを異性の人数だけ繰り返し(=参加した異性全員と話すことができる)、1ラウンド目が終わる。
そのあとで「誰ともう少し話してみたいか」という人の番号を第一印象カードで◯をつける。司会がそれをすべて集めて、「自分は誰から◯をつけてもらったか」というのを、そのカードに違う色のペンで◯をつける。それをそれぞれの参加者に返却する。

要するに「自分は誰に関心を持ったか」と「自分は誰から関心を持たれたか」の情報を重ねて見ることができる。
それをもって、2ラウンド目に入る、という次第だ。
2ラウンド目、やることは同じで、多少時間が短くなるが全員と話す。

最後、2ラウンド目が終わるとリクエストカードに第三希望までのお相手の希望を書き、それを司会が集めてマッチングさせ、「カップルの成立」した番号どうしを発表するのだ。

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(注: 画像はイメージです)

というわけで長くなってきたので、まず1ラウンド目の感想から書きたい。

意外と普通に楽しく話せた。
思ったのは「婚活相手を見極めよう」とか「自分を売り込もう」とか思わないほうがいいな、というか、そもそも5分足らずだとそんなことは不可能だと思った。
確かにプロフィールに学歴や年齢、年収や結婚に対する考え方は書いてある。
けど、初対面だと顔や服装といった物理的な印象から受けるものと、話す、聞く態度の印象が占める割合が圧倒的に高い。
これは非常に面白いなと思って、上述のようにカタログスペックが不足している人でも、必ずしも減点法にならず加点法で評価してもらえることがありえると思う。
ただし逆にいうと、最低限の清潔感とかがないと門前払いは確定だし、あとは顔の好みとして絶対ムリ、とか、服のセンスが常軌を逸している、とかの物理要素でシャットアウトされるとも思う。

話しまくる人、ひたすら聞いてばかりの人がいるとして、それは必ずしもマイナスではないなとも。
結局は相性なので、しゃべりまくる話が面白いならそれを聞いて楽しいという人もいるだろうから。

ぼくは1ラウンド目で確か7人と話した。
面白いことに、話が弾む人と、まったく弾まない人がいる。
お互いに話す姿勢、聞く姿勢が間違っているという感じではない。誠意を持っても、相性というものはある。

そう気づくと気楽で、人との出会いや関係を深めるというのには、自分の学びと努力で改善していくべき部分もたくさんあれば、相性というか「そういうもの」と割り切ったほうがよいこともあるんだという話かなと。

作ろうとする関係にもよる。
仮に、ビジネスパートナーとして最高の相性を発揮する人と、結婚したらいいのかというと、全然そういうものではないわけで。

この1時間半ほどの、ぐるぐる席を動いて初対面の人と、新しい関係構築のための会話を繰り返すというものは、なかなか興味深い。

なお、1ラウンド目が終わるときに、司会は「必ずひとり以上◯をつけてください、何人につけてもいいです」と強く説明した。
それはそうだ。ここで◯がつかないと2ラウンド目が弾まない。し、顧客満足度にも影響してくる。
あとは人間の心理として。関心持てる人かどうか、悩んでも、◯をつけてしまえば、自分はその人に関心を持っているのだという自己認識がかかってくるので、結果的にその人を選んだ自分を肯定するために、その人の良いところを探そうという脳の働き方になるはずなのだ。

このへんの運営のオペレーションというか、ナレッジの蓄積と仕組みづくり、運用は大したものだと感心した。ふつーの合コンでは決して実現できない仕組みの妙、といえるだろう。
お金をしっかり取って事業をしているだけのことはある。

ぼくも3人に◯をつけてみた。
そして帰ってきた第一印象カードを見たら、2人から別の色の◯がついていた。その2人は、僕が◯をつけた3人のなかと重複していた。

なるほど、少ないサンプルではあるけど、自分が関心を持ったというのと、相手が関心を持ったというのは重複するのは発見であった。
たかだか5分程度でも、最初の会話で興味を持ち合うことは可能なのだ。

ある程度の量を用意して、短時間でもそれに対面してこそ、質というか、合うものが出てくる。
これは、アイデアの作り方などにも似ているなと思った。

2ラウンド目、そして、そこから先どうなったか。 次の記事で書きたい。

→後編はこちら。
婚活パーティの衝撃【後編: 比翼連理なる矛盾の発見】

婚活初心者、詰む。

色々あって、結婚していただける相手を探さなくてはいけないなと思った。
真剣に。

結婚しない生き方も当たり前の世の中だけど、結婚しようと思って行動してみた先にわかることもたくさんあるのだろう。

しかし、ぼくは圧倒的に通常の結婚相手の見つけ方をするうえでは不利というか、スペックにも資質にも問題がある。
この現実から目を背けてはならない。

◆カタログスペックについて

・定職についてない
・年収300万くらい?
・年齢、すでに30歳を超えている

◆外見資質について

・ファッションがいけてない
・どうみても顔が(以下略)

◆内的資質について

・女性をおもてなすスキルがたりてない
・あきらめやすい

もうね、恋愛の先の結婚なんて、無理です。そんな豪腕プレーできないって。

ので、世の中の仕組み・サービスを使おうと思ったのだった。

探して、行動してみた

使おうと思ったものを列挙すると

(1)結婚相談所
(2)Web出会いサービス
(3)婚活・街コンなど対面出会い
(4)知人の紹介

このへんだ。

以下、個別に述べていきたい。

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(1)結婚相談所

残念ながら定職なしで年収が足りてないぼくは使えないのだよ。
オープニング却下。

以下、婚活情報メディアさんの記事を引用いたします。

IBJメンバーズをご利用いただいている男性会員のプロフィールを拝見しますと、20代なら350万円ほどが1つの目安になるようです。

女性の中には「最低でも400万円」「500万円は稼いでほしい」と希望する方もいらっしゃいますが、実際に20代で年収400~500万円以上稼いでいる男性は、ほとんどいらっしゃいません。30代男性なら、450万円前後の年収があれば十分です。

IBJメンバーズの女性会員の皆様には、そういった結婚相手を探す上で、目安となる男性の年収をしっかりとご説明しています。それでも高年収の男性を望まれる女性には「今の年収ではなく、これからの伸びしろも考慮に入れてください」「真面目にコツコツと働いている男性ですので、将来に不安はありませんよ」といったフォローをするように努めております。

結婚相談所に入会する目安になる年代別の年収は? https://ksc.ibj.net/ibjm_udagawa

はっはっは。
ぼくは伸びしろ、コツコツさ、どっちもないっすね!
お疲れ様でした!

(2)Web出会いサービス

いろいろサービスがある。Facebook連携のomiaiとかpairsとか。あとは海外発のmatch.comとか。

しかしこれらの問題は、会うまでのハードルが高すぎるのだ。
以前、色々とヒアリングをしたことがあるのだが、わかったことは、女性は色々男性を選べ、そしてそこで出会う男性の質も結構高いらしいのだが、それは裏を返すと、多くの男性は会えて居ないということを意味するはずだ。

なぜそんなことが言い切れるのか。
考えてみてほしい。女性で、男性を検索するときに、「年収」や「年齢」の条件が簡単なUIで入力できるなら、それは当然入れるではないか。ぼくが女性なら入れてしまうだろう。
「最低500万円くらいかな」「30歳までがいいな」 もうこのどっちかが入った瞬間、正直に入力している人たちの多くはフィルタされてしまう。残るのは、本当にハイスペックな人と、嘘のプロフィールを入れている人ということになる。
それでも、女性の側からすると充分な数が残る、というかそれくらいしないと絞れないと思う。ネットの世界はいつだって男が余っているのだ。

じゃあそのスペックに足りない男性は自分で検索して女性にメッセージ送ればいいではないか、と思うかもしれない。それも実は相当きつい。 Web出会いサービスを使ったことがある人はわかるかもしれないが、女性のプロフィールを見ると
「たくさんのメッセージをいただいており、読み切れていなくてごめんなさい」
という事を書いている女性が結構いる。

よく考えると、こういうことをわざわざ書くのは、誠実な方だなと思う。私にメッセージ送ってくれても、たぶん無駄になっちゃいますよ、と言ってくれているわけで。
そう、結局のところ、女性にはメッセージがたくさんきて、そこから選ぶにも、やはりスペックやら顔写真で判断する必要があるの妥当なことだ。それ以外、なにで選ぶというのか。

正直に言おう。じつは、match.com に登録して、正直なスペックを登録して、お金を払って有料会員になって、20通くらいメッセージ送ってみた。

けど、ただの1通も返事はきていない。

完全な文面のコピペとかしてないよ。半分くらいは毎回変えてるよ。
でもそもそも、既読かどうかが仕組みで表示されるんだけど、既読されたのも50%くらいっていう印象。 別に美人ばっかりに送ってるとかじゃないよ。顔写真ない人とかにも送ったし。

こうなると、これ以上正直なスペックで送ってなんになるのかというのと、でも嘘ついたところで会ったところで嘘が発覚したらもう信用0ですから、やっぱりそれはダメなんで。
かくして、ネット出会い系を使うのはもう詰んだ。

(3)婚活・街コンなど対面出会い

これは、少なくとも、金を払って参加すれば、会えないということはない。

しかし、ご想像がつくだろうか。
会うということと、そこから先に進展できるかには、とてつもない断絶があるのだということが。

だいたい以下に分かれる。
・街コン
・趣味コン
・恋活パーティー
・婚活パーティー

意味がわからない? 見たことない? そういうあなたはきっと幸せなのだ。
解説する。

・街コン
これは、飲食店などを借り切って、男女同数くらい集めて、飲んだり食べたりしながら話して自由にするという形が多い、らしい。
利点は、行きやすい。欠点は、コミュニケーションスキルと慣れが必要。

・趣味コン
フットサルをするとかもあるし、共通の趣味で集まるとか。
利点は特にスポーツとかだと連帯感も生まれやすい、らしい。
欠点は、不慣れだとちゃんと話したりする時間がない。

・恋活パーティー
恋人募集くらいのイメージで、男女ほぼ同数集めて、という。
利点は知らない。
欠点というか。個別に話すよりも、広いところで自由に話してくださいみたいな感じになると、美女に男性が群がり、お金もってそうなイケメンに女性が群がり、みたいな構図になって、見た目の良さや、ぐいぐいねじ込むトークテクニックみたいなもんを持っている人以外の脆弱な生物はご愁傷様になる。と、よく参加してるという女性がおっしゃっていた。

・婚活パーティー
恋活より結婚を目的としてる人が来る。
利点。イベント設計によるけどちゃんと個別に話せる時間がある、イベントもある。
欠点というか、スペック選別が厳しいケースが多い。特に年齢、年収、就め先あたり。って、これって結局Web出会いとか結婚相談所とかと同じハードルやん!

ということで、結論、どれを選んでも、辛いことに違いない。

要するにここで上げた手段は、だいたいどれも結局ラクじゃなんですよ。何かが足りてないと、結局こういう手段も満足に使うのは難しい。
使いこなすには、覚悟と、自己研鑽と、失敗からの学びと、お金が必要なのだった。
ってこれ、結局、恋人をつくって結婚していくプロセスで求められる資質やスペックと変わらないのではないだろうか...?

(4)知人の紹介

これはじつは例外かも。年収とか定職の有無とか、その知人がわかって話をしたうえで繋いでくれるのであれば、スペックの壁はクリアできるのだから。
といっても、これに関しては、まず、友人に「人間的に、自分の友人を紹介してもよい男性」だというふうに捉えてもらったうえで、積極的に相談を持ちかけないといけない。で、相談する相手が、未婚で結婚相手を探している女性が知り合いにいる必要があって、とかとか考えると掛け算で条件が色々きびしくなるような...。
これはこれで、(1)〜(3)とはまたちょっと別のハードルある。

というわけで結論。

詰んでる。

いや詰んでないのかもだけど、詰んでる感しかない。

それでも、言い訳だけしててもいけないなと思って、上記の(3)の婚活パーティに、先日行ってみた。

長くなったから、その顛末は、 次回

Hackathon!!

ハッカソンに参加した。
総勢140名もの参加者がいる相当に大規模なハッカソンであった。私は3日間くらいかかる参加型イベントの運営もよくやっているし、自ら参加もするのだけれど、考えてみるとハッカソンに参加したことはこれまで一度しかない。2日がかりとなると、全く初めてだ。

ハッカソンは実は始まる前から勝負が始まっている。これは今回学んだひとつの知見である。
会場に着いてから、さて何をつくろうかねと議論していてはとても時間が足りない。個人参加で、その場でチームを割り振るものならば、もちろんそこから0ベースで組むわけだが、今回のようにチーム参加であるなら、むしろどれだけ事前に作っておくかが鍵になってくる。
その点、今回私たちはしっかり準備ができていた。開催の3週間ほど前から、今回のハッカソンのテーマの中では、どんなことをやりたいか、課題と思うかを参加予定メンバーでappearinを駆使して詰めていけた。開催10日ほど前には、ほぼ作りたい骨子が固まり、それの実装に必要な事前作成を誰がどうする、というのがおおよそ決まり動き始めていた。
開催当日の時点では、データを取得してくるプログラムのコア部分をメンバーの1人のTさんがほぼ作り上げていた。Tさんの高い技術と集中力に拍手しかない。

ハッカソン開催してからは、画面の実装と、取得してきたデータを画面につなぐところがキモになった(私達が作ったのはWebアプリケーションの形なので)。
画面の実装は、ビジュアル表現の巧みなYさんがJavascript(今回は厳密にはTypescript)を使って、某国民的RPGの雰囲気をたっぷり醸し出すクールな画面をつくりあげた。
Webアプリのバックエンドの実装は、海外からリモート参戦のKさんが、実質1日目の夕方から翌朝までの不眠開発でつなぎ込みをした。
見事な分業で、目的を果たすアプリケーションのために必要な各機能やビジュアルが作り上げられていく過程は、正直すごくワクワクした。

こんなとき、私には自分が作る力がないことをもどかしく思うこともあるのだが、それを行ったら作る力もなしにハッカソンに出たいとか言うのはだいたい無茶なので、もはやそのもどかしさを突っ込んでもしょうがないと思うことにした。 私にできるのはすごいメンバーに感謝を伝え、あとはそれの成果を伝える部分で力を発揮することだと思って、作ろうとしているソリューションの解決したい課題とストーリーを具体化して、提出資料づくりをがんばった。

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ちなみに、これは夜通しでハックする参加者たちが休むための場。私達も、ここで少しだけ寝て、作り続けた。

そしていよいよ2日めの午後の発表の時間になった。資料の準備が整っていることを確認して、発表会場に向かう。 自分たちの発表の順番が後なこともあって、ずっと緊張が解けず、あまり他のチームの発表が頭に入らなかった。 もともと私はすごく上がりやすくて、人前に出ると緊張して何もしゃべれないような人なのだが、いつの頃からか、そんな別にビビらなくてもいいじゃないかと自己暗示を繰り返してきて、なんとか人前で話せるようになった。 自分が運営に関わるイベントに参加するときも、最近ではほとんど緊張を感じなくなっていた。 でもこの日は緊張がまったく収まらなくてアタフタしていた。 ただ、前にTEDトークで見たのだが、「人前で発表するときに緊張するのは、身体がそれに対して準備しようとしている証拠なので、むしろ当たり前。緊張しないようにするほうが良くない」という学術的知見があるそうな。それを知って以来、緊張は良いものとして捉えよう、と頭では思っている。

1分という限られた発表時間で、少し噛んでしまい頭が真っ白くなりながらもなんとか発表を終えて、ハッカソンで開発を続けていた部屋に戻る。そこから、展示の準備をして、審査員や来場者に体験してもらう準備をする。

実際に展示の時間が始まり、何人もの方が自分たちのブースを訪れてくれると、率直にうれしいなと思った。くり返しになるが、私はほとんど何も作ることには貢献できてない。でも、チームで生み出したプロダクトが見える形となって、目の前にいる人に驚きや好奇心を刺激しているという体験は、特別なものである。

展示が終わり、またセミナールームの方に戻り、お疲れ様の乾杯をした。ライバルとして2日間ヘロヘロになりながらも競い合った参加者どうしも、この瞬間には、もう同じ苦労のときを過ごした仲間として、グラスを(というか缶ビールのはいったプラコップを)手に、お互いの努力を称え合う。お世辞抜きに、みんな本当にすごかったと思う。そこにいた140人が、そんな感覚を持っていたような、通じるものがあった。

そしてもうしばらくの時間が流れ、結果発表になった。1チームずつ、審査結果として予選通過のチーム名が発表される。私達のチームはなかなか名前が出てこなくて、そわそわが増大していく。最後、8チーム目の名前が呼ばれた。しかし、そこに名前はなかった。このあとに、オーディエンス投票の多かった2チームも予選通過として発表されたが、そこにも名前はなかった。こうして、私達のハッカソンは、ここで幕を閉じたのだった。

正直、イケてるプロダクトだと感じていた。そりゃもちろん自分バイアスは多大にあるにしても。予選通過できるのではないかと思っていた。なので、結果を受け止めるのには少し時間がかかった。予選を通過したチームと、どんな差があったのかは、単純に私があまり他のチームのを見れていなかったこともあって、すぐ腑に落ちたものがあるわけでもなかった。 悔しかった。もう少し、私の伝え方が良かったら、違う結果になった可能性も多少あったのではないかと思うと、100%できることをやれなかった悔いもある。 こんなにすごいメンバーで、納得行くものを作れても、他者に伝わる、審査として評価されるものになるかは、また別の話。現実はこうなのだと。 そこをズシッとくる経験として、味わった。悔しいが、受け入れる。

あと、予選は通過しなかったからこそ、逆に、このプロダクトをビジネスとして形にできたら、それはそれでとてもおもしろいとも思っている。
ビジネスとして成立するか、それは顧客の課題を解決して、対価をもらっていくサイクルが回るかどうかにかかってくる。それはすべてではないが多くのケースではとても重要な点だ。

ビジネスの価値と未来を決めるのは審査員ではなく、顧客。それがリアル。
そこに踏み出すことは、前の自分であれば、怖いなと思って遠ざけるのが1stオプションだったのだけど、今は、それを楽しんでやれそうな感覚が内面にある。
感情が震えるような経験のフィードバックをどう捉えて、どう自分を変えたいかをひとと対話のなかで言葉にして、行動する。ひとつひとつは小さくても、それが重なると、実は自分のなかでの閾値を超えていることがある。

と、話はすごくそれたのだけど。

ハッカソンに出て、すごい仲間とオモシロイものを作って、それを伝える経験をできたことに、感謝をしたい。

そして運営の方々に感謝!

Personality Insightsのインパクトに驚き、励まされる

為末大さんがツイートしていた。 (*1)

「Personality Insights」というIBM Watsonを使った性格推定プログラムが面白い。 (*2)

自分のTwitterアカウントをOAuth認証して全ツイートを読み込ませることで、ツイート量にもよるが、かなり精度高く性格を判定してくれるのだという(為末さん曰く)。

私も自分のTwitterを分析してみた。

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だそうな。

当たっているなと思って驚いた。 私のTwitterには、かなり私らしさが含まれていて、そこから構築される私像は、とても私に近い。 むしろ、私がこうでありたい、そう思っていてまだなかなかできていなところまでも、この分析は言い当てている。面白いもので、そう分析されるのであれば、そういうふうに振る舞おう、という意欲も高まってくる。これはとても良いことに思える。 実際の私はそこまで自信がない。でも、自信がないという演技をしてしまっていることで、うまくいく可能性ある物事をうまくいかなくしてしまっていることに最近気づいた。ここは変えていきたいと思っている。だから、これから時間がたってTwitterがそこまで変わらなくても、私の振る舞いが変わっていく可能性はあるんだと思う。

ちょっと分析が外れていることもあるけれど。もちろん。 衣服を買うときには品質よりも価格を優先しているし(笑)、ドラマ映画というのがヒューマンストーリーを指すならば、けっこうそういうのは好きだ(面白ければ好きなのである)。

ビッグファイブと呼ばれるパーソナリティ特性、欲求志向、価値についてはこうなっている。

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それぞれ、知的好奇心、好奇心、変化許容性が集団の中で相対的に高い(相当に)ということが分析結果として出てきている。これについて、納得。

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そもそもWatsonとは? ソフトバンクが紹介しているサイトより引用。

BM Watsonは、米IBM社が開発した認識、学習、そして経験によって人が世界を理解するような方法を手がかりにした、コグニティブ(認知)・コンピューティング能力を世界で初めて商用化したサービスです。

(*4)

IBM Watsonについては、正直いままで果たしてどんなものかよくわからんなと思っていた。だが、今日こんな手軽に自分のテキストからの性格分析ができてしまい、基本的によく当たっている、私自身で自分を分析するよりも的確だということを目の当たりにして、だいぶ考えが改められた。IBMさん、すいませんでした。

ソフトウェアを活用して、人が自分の認知を適切なものに寄せていったり、それを活かした仕事に就く、というのは、どんどん当たり前になるだろうし、そうあるべきだと思う。


*1

*2

Personality Insights

*3

*4

www.softbank.jp

「パフォーマンス・ブレークスルー」メソッドで違う自分を演じる

「壁を破る力: パフォーマンス・ブレークスルー 今そこにある限界がみるみる消える!驚異のメソッド」

何気なく手にとって読み始めた本だったが、衝撃を受けた。ここには、人の行動、そして人と人との関係を劇的に改善し、バリューを生み出すことを可能とする秘密が詰まっている。素直に沿う感じる。

著者キャリー・サットはPOAL、パフォーマンスオブアライフタイムの創立者。講演者、エグゼクティブコーチなども務める。本書では彼女の会社が実際に組織やそこで働く人々の「ふるまい」を変えて、困難に満ちた関係や状況を生産性が高い状況に至ることに繋がったケースが多々紹介されている。また、それを自分たちで取り組むときに重要になるポイントやTIPSも書いてある。

詳しくはぜひ本書を読んで欲しいのだが、ひとつ本書のタイトルにもなっている「パフォーマンス」ということばの二義的な意味にようやく今、気づいた。

私はてっきりパフォーマンスということばを、仕事の成果、という意味でのみとらえていた。でも、この本で言っているのは「演じることで自分を変える」こととしてのパフォーマンスであり、その絶大な威力のブレークスルーを伝えているわけだ。目次を読み返して今、理解した(笑)。

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P28-29の一節を引用して、本書の紹介は終わりたい。

人はおとなになっても成長し、能力を伸ばすことが可能である。つまり、子供のころにやっていた創造的な学習を再開し、発達過程の経験と能力を取り戻せばいい。そうすれば、新しいやり方で演技をし、新しいことを試せるようになり、人々や組織の足を引っ張っている使い古した台本から抜け出すことができる。自分で書いた台本を演技し、さらに他人の劇の舞台にも入り込む。仕事の場でも日常生活でも、演技者としてバラエティ豊かな手法でさまざまな舞台に変化をもたらすだろう。訓練すれば、人は自分の演技を変えられる能力を持っているのだ。
このアプローチを私たちはパフォーマンス・ブレークスルー『壁を破る能力』と呼んでいる。演劇と即興をミックスし、そこに人間開発を扱う科学の知見を組み込んだもので、これを活用すれば個人やチーム、企業が成長し、発達し、どうすればいいかわからなかったことも実行できるようになる。自分がなりたい人間になることもあれば、一生ありえなかったかもしれない生き方を発見することもあるだろう。

私が心の底で出会いたいと思っていたのは、こういった考え方と、その実践手法だったように思う。
たしかに幼少の頃におかれた環境や、20歳ごろまでにどれほど成長を積もうとしたかで、相当に人生は決まってくるだろう。そこは疑わない。しかし、25歳、30歳、40歳、60歳になっても、人は人に関わる方法を変えて、自らをそれまで見ることのなかった成長の楽しさの世界に連れて行くことはできるはずだ、できてほしいと思っていた。

私は、たいした「パフォーマンス」(成果のほう)を出せないまま、なんとなく年を重ねて、自らの可能性を縮めていくような、みじめさを感じはじめていた。でも、それは「パフォーマンス」(台本を新しく書き、劇を演じることに取り組む)の力で変えていける可能性がある。というか、できる。

ワクワクする。
これに課題感を持っている人と、価値を作りたい。


*1

壁を破る力: パフォーマンス・ブレークスルー 今そこにある限界がみるみる消える!驚異のメソッド(Amazon)

「発音」を真剣に学ぶと、飛躍的に英語を実用する力が上がる、かも

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英語の上達には何の能力を伸ばすのがよいのかというのはよくある議論。
4技能、すなわちReading、Writing、Speaking、Listeningに分解して考えるケースも多いと思われる。私もそういうふうに考えていた1人。
話すのが苦手なので、Speakingが弱いのかなと思っていた。

が、ぜんぜん違う方角から、苦手を克服する方法があることを知った。
それは、発音である。

かつて私もそうだったが、発音に関しては、このような思考段階を持っていた。

第一段階 > 発音がうまくできない。だからしゃべることに自信がない。
第二段階> 発音を気にしてしゃべるのに自信がないことが問題。そんなこと気にせずしゃべればいい。

問題は、この第二段階にくれば解決かというと、それが解決ではないことだ。実際問題、いくら気にしないつもりでしゃべろうにも、やはり通じないことがあると疲れてくるのだ。

というときに、竹村さん (*1) という英語の発音を専門的にトレーニングする方に出会って、レクチャーに参加してみて、ひとつわかったことがある。それは、そもそも英語と日本語は発音の方法が物理的に違うので、根性で「通じなくても喋り続けろ」というのも科学的に無理があった、ということだ。
かくして思考段階はここに至った。

第三段階> 英語と日本語の発音が違う以上、英語の発音の出し方を習得することで、4技能含めてベースの英語理解と運用力が高まる。

と。1年ほど前に、ここに来た。それは良かったのだが、なかなか発音を鍛える機会もないままであった。
この日はたまたま、竹村さんのセミナーを2年ぶりくらいにきくことができた。改めて、発音の科学的方法での習得のトレーニングは、必要だなと思った。
楽しんで続けるには、さて、どうするか?


*1

bizacademy.nikkei.co.jp