ギブギブン

1ヶ月毎日ブログ書く企画ではじめたブログです。

今日もまた、現金。

どうして日本人は現金(キャッシュ)が大好きなんだろう。

経産省の「キャッシュレス化推進に向けた国内外の現状認識」なる資料(*1)によると、日本におけるキャッシュレス決済の比率(金額換算)は2016年で19.8%。
他国を見ると、韓国の96.4%を筆頭に、軒並み60〜40%台が並んでいる。
おそらく日本人の多くが「発展途上国」とみなしているインドでも35.1%となっており、日本よりずっと高い。
驚くべきはドイツ。EU随一の経済強者ドイツが15.6%と日本より低いのはかなり不思議だ。施策例には「現金志向が強い」と書いてあるだけ(笑)。

想像だけど、日本もドイツも、現金を取り扱っても安全だというのが社会的な理由として大きいのかもしれない。
現金をもっているとスリや強盗などの犯罪に遭う可能性に高い国では、たとえ多少の導入コストを払っても、国民としても国家としても、キャッシュレスを推し進めるほうが治安向上に効果が高く、満足度が上がることが想像される。
中国ではキャッシュレスの進展により、泥棒、スリ、偽札工場が減少して治安が改善したそうだ(*2)。

国家自体の変革推進のパワーの差異もそこに関係していると思っている。
たとえば中国は共産党の実質的一党独裁ということもあって、経済、政治を「ある方向に進ませる」ちからが日本よりずっと強い。 キャッシュレスにして、犯罪を減らそうとなったら、それを強力に後押しする。これは環境問題や公害減少にも生きていると思うが。

あとは国家の年齢構成もあるだろう。平均年齢45歳、そして高齢者比率が世界トップクラスに高い日本で、QRコードを読み取れるスマホを活用することが必須のモバイル決済がどれだけ浸透するかというと、仮に国が普及をすすめようとしても「わからない」「使えない」という強い反発が出ることが予想される。特に地方など。そこにかかるコスト、エネルギーを乗り越えてまで、キャッシュレスを進めたいかというと、政府、民間のリーダー層も、頭を抱える人が多そうだ。

別のサイトの記事で、ドイツ、アメリカの支払い手段の比率を見ると、デビットカードがともに27%程度あることに気づく(あれっ、これは最初に出した経産省の調査結果とドイツの現金決済比率が違う気がするけど…。デビットカードはキャッシュに含まれるの?よくわからない)。
デビットカードは預金口座と紐付けられた決済用カードであって、「借金」ができない仕組みなので、よく言われる「クレジットカードは使いすぎが怖い」問題にもある程度歯止めになることが予想される。そして、当たり前だが現金と違って使用権が本人に紐付いているのだから、盗難や紛失による治安の問題も避けられる。いいことづくめに見えるぞ。
しかし、日本ではほとんど使われていない。なぜなんだろう。歴史的経緯?

日本の都市部だとICカードSUICAとか)の決済は増えてきたけど、でもあれのチャージがだいたい駅の自動券売機での「現金」のチャージだったりするから、笑い話だ。
私自身はクレジットカードと紐付いたオートチャージSUICAにしているから、もうチャージとはおさらばした。はずなんだけど、残高が1000円を切った状態で自動改札を通らないとチャージされないため、タイミングによっては1100円くらいしかチャージされていないことがある。たとえばその状態で、1200円以上の買い物はできないわけで、不便…。結局クレジットカードを出すことになるが、すると4桁の暗証番号を入れてくださいと言われて、まためんどい。

というわけで、今日もやっぱりある程度現金を持ち歩いているのだった。はー。
いつこの国から現金はなくなるんだ。

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確かに、この写真みたいなシーンは、現金じゃないと絵にならないな(笑)。お札が降ってくるような映画のシーンはキャッシュレス社会になると観られない。30年後くらいに生まれる子どもには話が通じない絵になるかも。


*1

http://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/shoryu/credit_carddata/pdf/009_03_00.pdf

*2

【キャッシュレス社会のデメリット】第4回 キャッシュレス社会で消えゆく仕事とは? | GloTech Trends

*3

ドイツ人は現金主義?クレカ払いはたったの4%! | ドイツBizGuide

続・音声入力に再挑戦

前回の記事はこちら

give.hatenadiary.com

引き続き、音声入力について調べていたらとても助かる記事を発見した。ここで紹介されているSpeechkeys Smart Voice TypingとSpeechnotesというアプリは非常に便利だ。(*1)

Androidの通常の Google 音声入力だと曲の後に半角スペースが入ってしまうとか句読点を音声入力しながら出すことができないとか何秒か黙っていると音声入力が停止されてしまうといったような問題があった。
しかし今私がこの音声入力にリアルタイムに使っているスピーチノートというアプリは問題を全て解決していた。

まず謎の半角スペースが入らない(笑)。
次に音声入力の途中でキーボードを並行して使えるので句読点を入れたり、誤変換を修正したり、といったことがリアルタイムに行える。これはめちゃくちゃ便利だ。
そして黙っている時間があっても音声入力が止まらない。これまた助かる。
ひとつ課題はなぜかしゃべった音声が文字に変換されずどこかに消えていってしまうことがある(笑)。あれはどこに消えているんだろう。インターネッツのどこかにブラックホールがあって吸い込まれているのかもしれない。
とはいえそれを除けば非常に快適。変換精度も思った通りになっている。

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これはアプリの問題ではなく私の感覚的なものなんだけど音声を喋った後キーボードで修正して次の言葉をまた喋るという感覚が慣れないため違和感を覚えている。
考えてみれば当たり前で進化の中で獲得してきた音声言語は実際に人間に対して意図や意思を伝えるためのものなので途切れ途切れ発声することには違和感があるのである。
ここは自分の感覚のアップデートで対応できるのかどうか検証してみたい所である。

悲しむべき事態。今、このアプリでほとんど入力ができなくなってしまった(上述の、しゃべったことばがテキストにならず消えていく問題が多発しすぎて、もうだめ)。Speechnotes、せっかく期待して出だしがよかったのに悲しすぎるぞ。
わたしのアンドロイドのスペックが足りないのだろうか?(2016年発売Huawei のP9である)原因がまったくわからないが困ったものだ。とほほ。また元に戻ってしまった。


*1

mammothdrorin.com

起業と、情熱

日本は起業率の低い国と言われている。確かに、世界の起業率の調査結果をを見るとその通り。(*1)
ではどうしたら起業が増えるのかと言ったときに、政策や国情などのマクロな要因もあるけれど、今日は個人の内面というミクロのことについて考えてみたい。

起業するということは何か解決したい課題や実現したいことがあるときに自分で事業を起こすということである。
しかし考えてみればかなりの手間をかけてまで自分で事業を起こし、会社を登記し、運営するというのはなかなかのハードルである。

いやすでに起業して当たり前のように経営している人からすると、そんなことは大した問題ではないよ、と言うかもしれない。だが私のようにそれをしたことのない人間からは相当高いハードルに感じる。

起業したいのですか?と問われると。いや、やりたいことがないわけではないのだがそれが興味の域を出ていないと思っている。
興味と情熱は違う。興味は一瞬で沸く、だがしかし一瞬で消えることも多い。興味で起業したら、うまくいかないどころか心もお金も尽きて、倒れてしまうように思う。
対して、情熱は長きにわたり自分を動かすものである。起業して事業を軌道に乗せ、社会に価値を出していくには創業者の情熱は極めて大事になる。
情熱抜きでは、深くまで物事にダイブして、まだ見えていなかった真実を掘り出したり、新たなる市場を作り出していくような時間と労力のかかる、そして成功するかどうかわからない取り組みに挑みつづけるのは難しい。

ではどうすれば情熱を持つことができるのか?
逆説的ではあるが興味を持ったことを始めて、それを続けることが必要なものではないだろうか。

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領域は違うが、スポーツ界のトップアスリートに着目する。彼らにしても、最初は何か小さなきっかけ、TVを見たとか近所で教室をやっていたとか、小さな興味のレベルからスポーツを始め、夢中になって時間をかけているうちに技術・体力が高まって試合で活躍していき、一般アスリート・レベルを遥かに上回る、高みにたどり着いているように思う。

ちょっと逸れるが、スポーツの世界では当たり前のことが一般的に「仕事をする」を考える時には、無視されていることが多い気がしてきた。
確かに情熱だけをアピールして就職するようなやり方は違和感があるかもしれない。だが、情熱を測定するときに、そのひとの積み重ねた行動に着目したら、そのような違和感はないだろう。「私は◯◯に情熱があります」という発言と「私は◯◯をし続けている(その裏側には◯◯に対する強い情熱がある)」という見える事実は、まったく異なるもの。

内面の情熱を育て、外面への行動につながっていき、そこから得た学びを自分、他人に伝えていき成長するサイクルが、当たり前のような社会に、生きていたい。
情熱をもった人を応援するのはもちろんするが、それ以上に、まだ情熱を持てていないひと(自分含めて)が興味から前進できるようになるにはどういうやり方があるのか?考えてやっていきたい。


*1

日本は他国と比べて起業率が低い 日本経済の20年に及ぶ不振が影響? - ライブドアニュース

音声入力に再挑戦

GOROmanさんのマッハ新書「礼儀2.0」の中にこのような一節があった。(*1)

12時間ぶっ通しだと流石に指が痛いです。 (抜粋::“礼儀2.0v0.11BETA”iBooks)

マッハ新書、じぶんも書いてみたいと思いつつ腱鞘炎にはなりたくないなぁ...。
と、そう思った時に、思い出したのが音声入力のこと。

音声入力であれば腱鞘炎になることもない。以前このブログで紹介したShibataNaokiさんのノートにあるように入力速度は劇的に早くなる。

たしかに、その時、僕はブログを書く目的では、思考を整理して編集することができないから音声入力はあまり自分には合っていないと思うと結論づけた。だが、それから2週間してこのマッハ新書のムーブメントを体感する中で、音声入力の可能性をまずは自分で最大限取り組んでみることが必要なのではないかと考えを変えるに至った。

そして今この文章は音声入力で綴っている。やってみて思うことは、Androidの音声入力の場合は正直言って句読点も自動で出てはくれないしかといって、「てん」「まる」と発声しても読点・句点には変換してくれない。
なので結局音声入力をした後で改行や句読点の入力と調整、そして逆戻りできない入力のためにまるで意味がわからない文章になっているところ、あるいは誤変換を一つ一つ直していく必要がある。今まさに直しているので、ここは手で打っている。 ここを僕は直感的に面倒くさいなと思ってしまっていたのだが、しかしやはり綴ってみるとアウトプットされる速さは圧倒的に早い。(しかし繰り返しになるが今ここは手で打っているw)

これはもうちょっと自分でゴリゴリ体験してみないと強みと課題、運用上のポイントがつかめないかなと思っている。
ということで可能な限りはこのあと、音声入力でブログを書いてみようかなと思っている。

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音声入力で気になること。例えばスターバックスなどのカフェやコワーキングスペースなど他に人がいる所で音声入力ができるのか、という点。これが気になるといえば気になる。
GOROmanさんやVR業界のトップランナーの方たちが起点となり、いま一般人に広まりつつあるOculusGo。(*2)
たとえばこういうVR体験が普及して、人前でVRゴーグルをかけることも当たり前じゃないか、という空気が強まってくると、人前で音声入力することも普通なんじゃないか、と。そういうふうに世が前進することを祈って。

今日のブログ、結局相当手で直したな...音声入力だけで書くにはまだ色々試行錯誤必要だ。


*1  礼儀2.0 (BETA版) - 未来のゴロマンショップ - BOOTH(同人誌通販・ダウンロード)

*2

www.moguravr.com

マッハ新書「礼儀2.0」から読書観のアップデートへ

マッハ新書というムーブメントがある。そもそもマッハ新書とはなにか? クリエイター向けマーケットBOOTHの説明から引用する。(*1)

マッハ新書は、@GOROman氏が提唱する電子出版レーベル (というよりはむしろ電子出版のスタイル?)です。 時間をかけて執筆し、編集し、校正して、万全のものをリリースする従来の紙の出版のあり方に対し、即時リリースかつアップデート可能な電子書籍の特性を利用して、瞬間的に執筆して販売する、熱意ドリブン・情報鮮度第一の出版形態です。

VR界のトップランナーにして、最近ではVRにとどまらずテクノロジー全力投球時代のオピニオンリーダーという感があるGOROmanさん。マッハ新書として販売されている「礼儀2.0」を買って読んでみた。(*2)

余談だが、BOOTHからepubというファイル形式でダウンロードできるが、このままだとKindle PaperwhiteなどのReaderでは読めないので、Kindle PreviewerというAmazonのアプリを使えばKindle Paperwhite互換のmobiというファイル形式に変換できる(*3)。私はそうした。

読んだ。

この本から、私は「(日本的)礼儀のバージョンがアップデートされた時代が来た」ということを学んだ。たとえば電話や訪問に代表される「相手の時間を拘束する」ことはもはや今望まれる礼儀ではない。非同期で相手の時間を奪わないこと、そしてツールとしてはチャットなどがスタンダードであること。

↑本書のはじまりになったツイート。

一番私がうれしかったのは「ああ、これでいいんだ」という感覚を得たことである。
そして私はこの礼儀2.0という知識を自分のなかに「インストール」することができた気がしてる。なぜならそのメッセージが、感情的なうれしさを伴っていて、だから強く記憶に残る。それは意味記憶でもあるし、エピソード記憶でもある。自分の経験から生じる意見を言語化してもらえた、ということでもある。 私はこれを取り出せる知識として使える感覚がある。

以上は本の中身から学んだことだが、今回の体験を通じて、本と読書じたいについても大きな発見があったので書いておきたい。

本の中身は記憶して引き出せるかが、自分にとっての価値

長く時間をかけて書きしっかりと編集の目が入って校閲が入った本が読み手にとって必ず価値が大きくなると限るわけではない。12時間で書き上げられたマッハ新書は、それを私に強く印象づけた。

これには人間の記憶が多分に関係していると思っている。我々は、何らかの理由で特別に画像記憶のようなことができる、というような一部の人を除いては、鮮明な意味記憶から思考をすることができない。すなわち読んだものをそのまま自分の知識として巧みにアウトプットにつなげる、なんてことはできない。
そして記憶はアウトプットされる時に初めて思い出されるものという本質があることもまた事実。
これは何を意味するのか。いわば、取り出せるもののみが陳述的記憶とも言える(ちょっと強引だけど)。

本の「価値」は、文章量とか文献量とか編集された量の多さとかによらない。それらのパラメータはどこまでいっても自分(価値を感じる主体)から見れば、「知を使える感覚を得る」というタイプの価値の源泉にはなりえない。

正直にいうと、最近まで私は本はある程度の量がないと読んだとは言えないよなー、と思っていた。たぶん、そう思いたがっていた。量ある本を読んだ自分えらいよね、としたかった。その感情はその感情で、否定しなくていいと思っている。そのおかげで、手を付けることができた本も少なくない。
ただ一方で私のアウトプットはそれらの本に内蔵されている知識をどこまで使えているかということになったときに感覚としてそこが薄いことに居心地の悪さも感じていた。

今回GOROmanさんのマッハ新書を読んで、礼儀2.0の知を得たことは、同時に私にとっては「本と知識」にまつわる自分のもやっとしていた常識、いわば「読書観」をアップデートする機会にもなった。

感謝。

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*1 booth.pm

*2 goroman.booth.pm

*3 KDP ツールとリソース | Amazon Kindle ダイレクト・パブリッシング

日大アメフト部事件に見る、マインドコントロールとアモラル

先日、大学アメリカンフットボールの定期試合、日大-関学大の対戦にて、日大の選手が関学大の選手に悪質で危険な反則タックルを仕掛けるという「事件」があった。日大監督の指示があったという声も出ているが、問題の全容解明が進むまでにはまだ時間がかかりそうな状況だ。(*1)

試合の当該シーンの動画を観てみると、あらためて悪質というか異常性が際立つ。

www.youtube.com

この行為が、普通に考えて「反則」だけで済むはずではなく、後でどういった問題が指摘され、「勝利」どころか廃部につながりかねないだろう、というのは、ちょっと想像したら分かりそうなものである。とりわけこのスマホで誰でも撮影し、動画を共有拡散できる時代、証拠隠滅も不可能だし、この動画がネットに出たら拡散は止まらない(そして事実そうなった)。
が、実際にこんなことが起きたということは、日大アメフト部の関係者の頭にはそのような予測がまったく存在しなかったということが言えそうだ。
道徳心スポーツマンシップどうこう以前に、こんなことが世の中に知れ渡ったら自分たちの組織自体が窮地に陥るという想像がなかったということが、私としては今回の事件のなかで一番びっくりする。

ではどうして、彼らにそういう想像が働かなかったのだろうか。

「インモラル」と「アモラル」の概念から説明を試みてみたい。

以下、英語の意味に関するは記述は、”英語/C++/Python勉強サイト”の記事を参考とする。(*2)

まず「モラル(moral)」とは日本語では「道徳、倫理上の、善悪の判断がついた、良心的な」といった意味になる。
それの否定の接頭語がつくときには「インモラル(immoral)」と「アモラル(amoral)」の2つの言葉があるのがポイントだ。
どちらも日本語だと「不道徳、非常識な」となるが、英語としては使い分けの定義もできるのではとこの記事の著者は書いている。
一言で言うと、インモラルは「善悪の区別がついているのに不道徳なふるまいをする状態」であり、アモラルは「善悪の区別がつかない」と考えているとのこと。
この使い分けは非常に興味深い。

ほとんどの人間にはモラルがあり、モラルに反する行動は通常の精神状態では指示されても拒否するものである。

たとえば、「道に立っているアイツがムカつくから、後ろからタックルをかましてこい」と上司に指示されたと想像してみよう。あなたはこの指示に従うだろうか? まず従わないだろう。まず何より、何も悪いことをしていない人間に危害を加える、痛みを与える、というのは倫理観として耐えることはできない。それに加えて、この行為は暴行罪にあたると知っている。「指示を受けたから」というのはあなたが暴行することを法律が正当化してくれる理由にならないのは、明白だ(そしてこの場合、上司は強要罪に当たるだろう)。
モラルがある人は、インモラルな振る舞いを基本的にはしないのである。

しかしこれが以下のようなケースだったらどうだろうか。
あなたは同じような局面で、暴行を上司から指示された。しかし上司の言うことは絶対であり、そこに反意を示すことは、あなたにとってとてつもない不利益になる。そして上司に従うことで他に代えがたい大きな利益を得られることもある。というようなことを習慣の中で「本当に信じ込んでいる」状態になっていたとしたら、どうだろうか。あなたは果たして、その暴行を拒否することができるだろうか。
「アモラル」な、常識に照らして自らの行為の善悪の区別をつけるための認知能力がない、あるいは極度に低下した状態になっていたら、法に反する指示にも従ってしまうのではないか。
私はこれが今回の日大反則タックル事件の構造にあると考えている。

Asagei+というサイトの記事では以下のようにライターが意見を書いている。(*3)

日大の監督は単なるスポーツ指導者ではなく、日大の理事会において人事担当の常務理事という要職に就いている重要人物の一人。学生にとっては明らかな絶対権力者であり、その指示に逆らうことなど考えられません。それゆえ今回の件はもはやスポーツの次元を離れ、教育現場におけるハラスメントの問題だと認識すべきではないでしょうか。

この部分、前半に関しては同意するが、後半の「ハラスメント」という部分がちょっと本質から逸れているように思う。

ハラスメントとは、大阪医科大学セクシュアル・ハラスメント等防止委員会のHPによると以下の定義とされている。(*4)

他者に対する発言・行動等が本人の意図には関係なく、相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、脅威を与えること

確かに日大監督は、タックルをした日大選手に脅威、不快感も与えただろうとは思うが、それだけではその選手が暴行タックルに及ぶ理由としては不十分である。

監督が日々の練習やらなにやらの接点を通じて、いわばオウム事件のときに何度も取り上げられたような「マインドコントロール」というべき状態を生み出し、「インモラル」ではなく「アモラル」な状態を作っていったと私は考えている。だから、あれほど躊躇なく、ただの暴力としかいえない行為を、スポーツのグラウンド、それも公式戦でお客さんが見に来て、写真や動画を散々撮っているところで、平気でやってのけてしまえる下地にあると思うのだ。

ポイントはもうひとつあって、「アモラルは集団においてのみ発生する」ということだ。
(ただし、いわゆるサイコパスと分類されるような、もともと倫理観が極めて希薄な精神にある個人についてはその限りではないので例外とする)
今回のように、モラルある人間が、アモラルに転換してしまうというケースについては、集団の影響力が不可欠だ。

もっとも歴史的に分かりやすい例はナチス・ドイツであろう。第二次世界大戦のときに、ドイツ軍は何の罪もないユダヤ人を大量に、極めて効率よい殺害方法を生み出すための仮説検証を回しながら殺していった。じゃあそれに関わった人全員がサイコパスかといったら、それは割合の上でありえない。ほとんどの実行者たちは、モラルを生来的に持っていた「ふつうの」人だったはずだ。しかしそれが、集団の中で、繰り返し「マインドコントロール」されるような機会に晒され続け、そして内部で相互にその状態を強化してしまう影響力が働いて、「アモラル」になっていったのだろうと考えている。

人間のモラルは気高い。それこそ、同じく第二次世界大戦のときにいた日本人外交官、杉原千畝の行為などはまさに最たる例ではないだろうか。
彼はナチス・ドイツから迫害され、しかしヨーロッパからの脱出のためのビザを持たないユダヤ人に対して、本国の決まりを無視して、独断でビザを発給し続け、結果的に6,000人のユダヤ人の命が救われたといわれている。(*5)
彼は、日本という自分の国の同盟国であるドイツの不利益となる行為、そして母国からも許可されていない行為を、しかしながら自らのモラルとの天秤にかけて、選択し実行した。

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私達のもつモラルは、基本的には人を助けたいという方を向いている。それはそうで、「助け合いマインドセット」が活用されたからこそ、決して体力、繁殖力などでほかの人類(ネアンデルタール人とか)と比べて強いとはいえなかった現世人類は、過酷な地上を生き延びてこられたのだ。
だが、そのモラルは、なんらかの目的をもった集団が存在し、その中で権力、暴力、服従を正当化して媒介にするマインドコントロールが強力に作用してしまうと、驚くほど短期間で「アモラル」に変わってしまう。
「正義」すらも、実はアモラルに加担する。なぜなら正義とは正当性につながる。その集団に掲げる正義が、人としてのモラルと衝突することがあっても、正当性が発動してモラルを押さえ込み、集団のマインドコントロールを可能にするのだ。

マインドコントロールに染まったアモラルな集団で通用する原理原則は、モラルある人々からすると、まったく理解できない、おぞましいものになっている。そして、その集団はモラルに対する想像力が欠如する。客観的に見ておかしいだろう、ということがまかり通る。
これが、今回日大アメフト部があの反則タックルを衆人環視のなかでやってのけた背景にあると私は考えている。

では最後に。一度アモラルに染まった集団(の内部の人々)が、モラルを取り戻す方法があるかを考えてみたい。
これもまたナチス・ドイツの例になるが、ヒトラーが死に、敗戦して解体されたドイツ人が以後ユダヤ人を虐殺したことがあったかというと、そんなことはなかったのだ。つまり集団が解体され、内部のマインドコントロールを維持する構造が崩壊すれば、ひとりひとりのアモラルも取り除かれる。もちろん、一度アモラルになって、おぞましいことに手を染めたことの後悔は、一生つきまとうものかもしれないが。しかしそれはモラルを取り戻した証拠でもある。

かように考えると、日大アメフト部について、少なくとも内部構造を解体する必要があると思われるが、そのためには集団で起きたことの解明が前提となってくる。それをなしに解体したところで、きっとまた同じことは起こるだろうから。
しかし果たして解明ができるのかというと、おそらく内部の人間では無理で、外部の独立した調査の手が入る必要があると思うが、その解明までのあいだは無期限活動停止の状態に置かれるといったこともやむなしと思う。
それはなんのためかというと、もちろん次に対戦するチームが被害を受けないようにというのもあるし、もうひとつ大事なのは、日大の選手たちをアモラル状態からすぐ引き離すことだ。彼らの未来には、なんの罪もないのだから。


*1

toyokeizai.net

*2

eigo.rumisunheart.com

*3

www.asagei.com

*4

https://www.osaka-med.ac.jp/deps/jinji/harassment/definition.htm

*5

https://www.jacar.go.jp/modernjapan/p14.html

Deep Learning 美しさ判定 x 校閲ガール

DeeplooksっていうWebサイトが2年前からある。(*1)
何ができるかというと。顔写真をアップロードすると、Deep Learningの技術を使って「美しさ」を測定してくれるというサイト。

「地味にスゴイ!校閲ガール河野悦子」というドラマを観終わった記念に、ドラマのキャラ(を演じた俳優さんの写真)をDeeplooksしてみたい。
こんなことをする理由はかんたんで、校閲ガールの石原さとみさん他女子がとてもキュートので、Deep Learningを使ったソフトウェアだとどう判定されるのか知りたかったというただそれだけの思いつきである。AIはぼくが美人だと思う女優さんをちゃんと美人と認識するのかと。

ということで、いってみよう。
なお、評価は★5.0が最高、3.0が平均くらい、らしい。

まず、景凡社受付嬢 今井セシル役の足立梨花さん。

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4.1 !! 表情の豊かさから来るかわいさはAIにも理解されたようです。

つぎ、編集者 森尾登代子役の本田翼さん。

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4.4 !! すごいスコアが出ました。本業モデルですしね〜。AIも大絶賛。

そしてスペシャルドラマに登場、新人編集者 橘花恋役の佐野ひなこさん。

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4.2 !! これも高いスコアだ〜! ドラマでも是永是之をドキドキさせてましたがAIにも伝わった。

と、ここでドラマは変わりますが、「逃げ恥」主演 森山みくり役の新垣結衣さんにもなぜかご登場いただきましょう。

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4.3 !! さすがのガッキー。逃げ恥でハートを鷲掴みされたのは人間だけでなくAIも。

ついに最後、主人公 河野悦子役の石原さとみさん。大トリです。

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4.9 !!

えっ、5.0が満点で4.9…? 高ぇ!

ということで、AIは石原さとみさんのかわいさに卒倒したということがわかりました。

技術に詳しいひとに、なぜこの石原さとみ画像はここまでの点数になるのか教えてほしいです...。

そして、すっごく今更なんだけど、そもそもこのドラマは「ファッションを好きであること、情熱を持つこと」がテーマのひとつだし、たしかに顔の美しさも魅力のひとつではあるけど、別にそこだけの話じゃないだろということだと考えると、果たして顔だけ取り出してAIにかけるというこの取り組み自体どうなんだ感がすごい。ま、やってしまったものは仕方ない...。

※この記事において、AI(人工知能)に関して、擬人化をふくめた大変雑な書き方をしておりますが、もちろんネタですので、そのあたりはスルーください。

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*1

deeplooks.com