ギブギブン

1ヶ月毎日ブログ書く企画ではじめたブログです。

辛味のジェットコースターとしての中本

gigazine.net

「辛味は体内で『痛覚』の一種として処理されています」

(中略)

ロジン氏は「例えば出産のように、人間はより大きな報酬を得るために、慣例的な痛みに耐えることができます」と話します。お酒を飲んで楽しい気分になった翌日は二日酔いに悩まされます。違法ドラッグで生命を危険にさらしてまで酩酊状態を求める人間も存在します。ロジン氏によると「激辛フードへの愛」はこれらの2つの要素が合わさったようなもので、出血などの危険のない痛みを求めて、無事食べ終えたことを楽しんでいる状態とのこと。ロジン氏は「それはジェットコースターのようなものです。トウガラシを食べることはマゾヒズムの新しい形なのかもしれません」と結論づけています。

だそうである。 肌感覚として、そうだよなと思っている。 ジェットコースターのようなものというのは本当にそうで、栄養観点での実利はほとんどなにもないと思う。むしろ、食べたあとで唇がヒリヒリするとか、あるいは翌日にお尻が痛くなるとか、どう考えてもマイナスのほうが多い。 それでも辛いものを食べたくなってしまうのは、これはもう中毒というのが近いんじゃないだろうか。

もちろんニコチン中毒やアルコール中毒と違って、身体・感情に明らかに禁断症状(震えや精神的不安定)というものが出るということはなかなか考えにくい。そういう意味では「中毒」と表現してしまうとちょっと不適当な感じがするので「中毒みたいなもの」くらいが妥当かなとは思う。

だからまあ考え方によっては、辛いもので中毒っぽくなることで、むしろほかのリアルに問題が大きい中毒が避けられるというケースがもしあるとするなら、辛いもの嗜好はうまく使える可能性もあるのかもしれない。 酒、タバコ、ギャンブルは一切手を出さないが、時々すんごい辛いものを食べてヒーヒー言って、ジェットコースター感覚を満喫する。うん、それはそれでなんかとてもバランスが取れてるような気がする。もちろん毎日唐辛子何個も食べないと我慢できないというレベルに行ってしまうとちょっと身体的にも良くなさそうだけど。

辛いものに関していうと、自分で作る料理を劇的に辛くするのってむずかしい。なぜなら、そこまで辛いものを作るという料理マインドセットが頭にないからだ。おいしいもの(=塩や旨味のバランスが取れていて、不十分な加熱がなかったり、硬くて食えないものがなかったりする状態)を目指して作ることはできるが、辛くする、というのにあまりうまく思考を向けることができない。これは慣れの問題なのだろうか。

一味唐辛子ハラペーニョソースを用意して、サラダなりピザなりにかけたらいいんだけど、それはそれで別に辛いものを食べるのが第一義となるわけじゃない。

ということでいうと、辛い外食に行くとか、辛い調理済み食品(カップラーメンとか冷凍らーめんとか)とかを食べる方が、自分の中での「辛いものを食べた」というジェットコースター的感覚の満足は満たしやすい気がする。 自分好みにつくって食べるよりも、誰かに作ってもらったもののハードルを越えるほうが辛いものに関しては精神的に満足しやすい傾向にあるのではないかと思うのだ。

なので、ぼくは蒙古タンメン中本に行くのが好き。 中本の場合は、単に辛いというわけじゃなくて、うまい、がある上での辛い、なので好き。ただ単に辛いものを食べることには別に実はそんなに興味がないのだ。うまくて、辛い。その順番が大事。 と書いていたら中本に行きたくなってしまった。

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