ギブギブン

1ヶ月毎日ブログ書く企画ではじめたブログです。

市場で蕪を買う時のマインドセットと相場で株を買う時のそれ

お金との付き合い方というのはどこまでいっても難しいものだが、あれこれもがいてきた中で少し分かってきたことがある。 分かってきたことがある、といってもお金や経済に関して理解ができたというわけじゃない。あくまで自分の心の動きについて、ということだ。

20代の頃、試しに外貨取引をやってみた。要するにドル円で、円高になったときにドルを買って、円安に振れたときにドルを売る。ただそれを目指したということである。FXではない。FXはさすがにレバレッジを効かせている時点で博打でしかないと思っていたので、博打をやる気にはなれなかったから。 とはいえ今思えば、レバレッジがかかっていないだけで結局のところゼロサムゲームの博打をしていることには変わりがなかった。ほんのわずかな額(5万円にも満たなかったと思う)が、買った時よりも円高に振れただけで、心がドキドキしてしまって、全然落ち着かなったことを覚えている。そのときに学んだことは、「ああ、投機をすると心が落ち着かなくなってしまい、むしろこれお金以上に損している」と思ったので、投機はやめることにした。

そのあと、信託報酬含めた手数料率が低いインデックスファンドの投資信託というものの存在を知り、そして自動積立購入という方法があることも知った。また、ポートフォリオバランスという概念も知った。これらを使い、外国株、日本国債、などを月の金額を決めてインデックスファンドで自動積立で買うようにした。これはこれでよかった。ほとんど考えなくてよくなったので。

しかしながら、これは投資経験者あるあるだと思うが、自動積立に物足りなさを感じた。1つは、全然総額が増えないことである。もう1つは、やることがなさすぎて面白くないことである。 頭ではわかっていて、そもそも個別投資だと急激な価格下落リスクがあるために、個人が資産形成を目的として個別株投資をするのはリスキーだし時間がかかる、だから何も考えずにすむインデックスファンドの自動積立は素晴らしいのだ、と。それはそうなんだが、しかし数ヶ月に1回状況を見たときに、本当に微々たる額しか増えていないのを見ると、まあなんともいえない気持ちになったも事実だった。

そこで個別株にも多少手を出してみることにしたのだが、いやはややっぱり、個別株は値動きが激しい。もちろん上がることもあれば、下がることもある。これって、僕がかつて外貨取引で感じた「心がドキドキして日常に差し障る」という全く望んでいない状態を引き起こしかねないではないか、と気づいてしまった。それはいやなのだ。 僕が望んでいるのは、おくさんとの心穏やかの日々。ほんとにそれくらいである。しかし、もっている資産が円貯金だけだと、日本国債や日本円の信用や国際的価値が低下したときに、長期的に心穏やかな日々がもち得なくなる可能性がある。それがいやだから、投資をしているわけである。だが、短期的に心が乱されて、おくさんと過ごしているときにも頭が相場のことでいっぱいになるなんてのもまっぴらなのである。

なので考えたことは「投資は投資脳でやろう」ということだった。 もう少し抽象化すると、「やることごとに脳というかマインドセットを分けるようなつもりでやってたらいいんじゃないか」という話だ。 普段仕事をしているときは、その仕事の成果の向上に努めたり、効率化を意識したりする。それが仕事マインドセット。あとは、スーパーで食材を買うときは、安い野菜や魚が売っていたりしないかな、とか割引シールを探したりとかする。これが生活品買い物マインドセット。一方で、PCなどの電子機器やガジェット、自転車を買おうと考えるときは、それがもたらすワクワク感や性能などを大事にしつつコスパにも意識を払う技術品買い物マインドセットでいる。そして、個別株含めて投資をするときは、数日間でマイナス数十万円の資産減少が起こったとしても、それも「やむなし」で引き受けて、究極的には長期で資産形成できればいいんだと考える長期的投資マインドセットを使うようにする。

実際、ここまで言語化してふだんやってるわけではない、というか今はじめて言語化したんだが、実際にはこういうことをやっている気もする。スーパーで安い野菜を買うつもりで株を買うと、損失に対して過剰反応して心が乱れて苦しくなることは目に見えている。

そういえば「あつまれどうぶつの森」というNintendo Switchのゲームには、日曜になるとカブを売りに来るウリというキャラがいる。カブの売値は90-110ベルの間になっている。そして1週間の中でカブ価格は変動する。1週間で腐ってしまうので、損失が出たとしてもどこかのタイミングで売らないといけない。そういう遊びである。 現実世界の投資との違いは、まずそもそもゲーム内のお金の増減だから現実に関係ない、ということがあるとして(笑)、あとは1週間で価値が消滅してしまうということは現実の証券においてはほぼない。それどころか、数十年保有し続けて、価格が数十倍、数百倍になるような証券を持っていることが長期投資の観点では成功といえる(売り買いによる時間、手間、手数料、意識の消耗、などを避けることができるのだ)。

ゲームにおけるカブの売り買いから株について学べることはほとんどない。が、そもそも現実世界で見ても、日用品の買い物をいくらしたところで、株を買うことや保有することに伴う心理変動の扱い方について学ぶことはできないような気がしている。 知識を得つつ、実際に売買して、その数値的結果と心理を突き合わせて振り返り、わかったことを見える化していく。というような経験が、決して資産を多く持っていない僕みたいな個人が、人生を不幸にしないために、長く投資をしていく上では重要なんじゃないかと思ったりしている。

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断熱・気密性能の高い家に住みたい

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冬になって、本当に辛い。寒い手が乾いて痛くて本当にいやだ。 そんなときにこの記事を読んだ。

gentosha-go.com

いやはやこれは衝撃だった。 もちろん、どこまでこの記事に書いてあることが現実に当てはまるのかはぼくにはわからないけれど、しかし相当に説得力を持って響いたことには間違いない。

たしかに、外が寒いことは耐えられる。なぜなら、外は外気そのものだし、そして外にずっといるわけではないからだ。そしてまた、動いていることが多い。 だから、相当に寒かったとしても、あくまで移動の時間として、厚着をして歩いていれば、耐えられる。精神的には特に損耗しない。 しかし家の中が寒いことは全然はなしが違う。 家は戻ってくる場所だ。そして、上着を脱いでゆっくりしたいところだ。 そこが寒いからこそ、こんなにつらいのだ。という真実に気が付いてしまった。

要するに、低性能な住宅に済むと、特に冬が辛い。そういうことなんじゃないかと。 北海道や東北など、冬があきらかにめちゃくちゃ寒いところに住んでいれば、住宅の性能は命に関わってくるだろう。 だからたぶんだけど、東京よりは住宅性能に関する意識が高いのではないかと思っている。また、正直なところ東京よりも土地代が安い以上、上ものにお金をかけやすいという部分もあるだろう。 しかし東京は、そこまで住宅性能を求めなくても、死にはしない。そして土地が高いから、おそらく住宅性能に対してお金がかけづらいという構造があるんじゃなかろうか。 というか、ぼくの住んでいる家が間違いなくそうだと思う。まー、しょぼい。そして寒い。

ぼくは冬の寒さがつらすぎて、寒くないところに住みたいなと思い、でも本州だとどこいってもだいたい寒いし、沖縄しかないかと思ったけど沖縄だと仕事がないからやっぱ無理じゃんと思っていて思考が詰んでいたんだけど、その思考の解像度がとても低いことに今回気づいた。 要するに別に、外が寒いのは構わないのである。上述のように移動しているときくらいしか外にいないのだから。問題は、家の中が寒いことである。 そして家の中の寒さを決めるのは住宅性能だ。 必ずしも「断熱」というだけのはなしではないようだ。

www.replan.ne.jp

この記事にあるとおり「高気密、かつ、高断熱」というのが良い住宅の条件のようである。 少なくともぼくの家は、どっちも低い。間違いなく低い。寒いし手荒れはするし、ろくなことはない。

今後の人生、寒さを逃れるために東京以外のところに住もうという発想はもなくなった。 ぼくがすべきことは、高断熱、高気密の家に住むことだ。そしたらこの冬のしんどさのうち、80%くらいはなくせるんじゃないだろうか。

が、現実すぐにそういうふうに移れるわけでもないので、半分夢ではあるのだが。 まあでも、心のどこかには留めておきたい。

本の感想を1人で語るポッドキャストを始めたい

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読書は好きなのだが、読むだけでは本当になんの記憶にも残らず、記憶に残らないと行動にあまり生きてこない。 いや別に読書なんて「実用」のためにやっているわけじゃないでしょといったら、むしろまったくそうだと思っていて、むしろ実用のための読書、みたいな考え方のほうが苦手だったりする。 じゃあ別に読んだ本のことなんて片っ端から忘れたっていいじゃないともいえるんだけど、それでもなんだろう、記憶が信じられないほど簡単に封じ込められてしまうのがもったいないような気がしているんだと思う。 あとは、記憶に残す方法というのがなんとなく自分では見当がついていて、平たくいえばその本についてアウトプットすることだ、とおもう。 要するに、読書の感想を文章化するとか、そういうこと。

かつてぼくはブクログという読書記録のWebサービスを使っていて、そこにちょいちょい感想を書いていた。いやいまも一応アカウントは生きているんだけど、どうにも書くのが億劫になってしまい、めったに書いていない。 でも、書いた方が、書かないケースに比べて明らかに記憶に残る度合いは大きい。というか正しく言うと、その感想文を読むと、自分が読んだ時の記憶が蘇ってくるというべきなのかもしれない。それが5年前、10年前だったりすると尚よくて、「ああ、あのときの自分はこのテキストに関してこのように思っていたのか」ということが感じられて、本の中身にとどまらず、自分の変化(や変わらないところ)までがわかってしまい、大変にお得な気持ちがする。

とここまで書いたところで、やっぱ読書の感想を書いたらいいんじゃないかと思ってきたのだが、ただやっぱり面倒は面倒なのだ。そこで、別のアウトプットの方法がないか考えてみて、読書の感想を言うポッドキャストでもやってみたらいいのかなと思ったのである。 1人でやるか、複数人でやるか、という話だが、複数人でやると予定を合わせたり、いやそもそも「課題図書」を決めたりしないといけないので手間がかかる。記録に残し、記憶に残したいのが目的だから、その調整に工数をかけるのはそこまで気乗りはしない。

ということでいえば、やっぱり一人でやるのがいいのかなと思う。ぼくはポッドキャストをいままでに3つの番組をやっているが、どれも2人(またはゲストを入れたらそれ以上)でやっている。単純に、2人以上で話すほうが楽しいし、続けるモチベーションが生じやすいし、続ける仕組みもつくりやすい。ただ一人でポッドキャストを始めることはできても、続けるのはそうそう容易ではないのだ。

しかしまあ、初めてみて速攻頓挫したら、まあそれはそれでよいだろうと思っている。 人生だいたい実験みたいなのものだし、ポッドキャストをやっても失うものも何一つないので、お試ししたらいいんだと思っている。

ただ音声収録の問題はいつでもどこでもできるわけじゃないってのは地味にハードルかもしれない。 いまぼくはこの文章をノートパソコンを前にして、そして目の前におくさんがいながら書いている。文章ならこれができるが、音声だとそういうわけにもいかないだろう。

ということで、実はアウトプットの手間自体は音声は楽そうに見えて、いつでもどこでも性という意味では文章に劣るようにも思えてきた。

ということで、この企画は始まるんだか始まらないんだか若干不透明になってきてしまったが、まあちょっとやってみようかなととは思っている。結局文章に行き着くかもしれないが、それはそれで試してみてやっぱ文章がぼくには合ってるわとなるとしたら、それでオッケーなので、どっちに転んでもいいことしかない。

分散業務受託型一人会社代表の憂鬱

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ぼくはいま、一人会社の代表をやっている。 当社のおもな業務構造としては、知人友人が経営/勤務する会社(複数)から、業務を受託して、ぼくが業務をこなすという形になっている。要するに、フリーランスをただ法人化しただけといっていいだろう。

ぼくは、同時に複数の会社と仕事をしている。自分の仕事時間を、複数社のために使う形で分割しているということになる。

そういう働き方にすっかり慣れてしまった今なのだが、正直に言おう、ぼくはちょっとどこかの会社の正社員になりたいと思っていた。つい最近のことだ。

なぜ正社員になりたいと思ったのか。理由は2つある。 1つは、ぼくの業務委託メインでの働き方は、売上が不安定だからだ。業務を多く頼まれた月は稼働時間が増えるし、少ない月は減る。しかし法人化していることもあり、個人事業主時代とは違って、役員報酬の形で自分に給与を定額で出さなくてはいけない。ただしこの役員報酬というのは、年度頭に決めたら、その年度中は基本的に変えてはいけないと法律で決まっている(税金逃れ対策)。なので、売上が上下動する状況では、正直役員報酬の設定が難しいし、そもそもなにより、売上がちゃんと上がり続けるのかという不安があることが大きい。 また、ぼくの仕事は、「必要性」と「代替可能性」の観点で考えた時に、さてどうかというと、正直なところ「必要性」があって頼まれている仕事が大半ではあるものの、ぼくしかできないという代替可能性の低さという意味では、さして代替可能性が低い(=リプレイスされにくい)とはいえないと思っている。 発注する側からすれば、頼みやすいが、別に不要になったら頼まなくていい。もちろんそれが業務委託契約というもので、それをぼくもわかってはいるが、現実に日々生きていくということを考えた時には、若干不安感がないといったら嘘になる。 だから、正社員になれば、そこで売り上げの上下動によって自分に報酬が払えるかわからないという問題はなくなるように思ったのだ。

もう1つは、取引先を分散して仕事をしていると「何のために力を使うか」という感覚がよくわからないということがある。 これがもし社員を複数かかえた企業経営者であれば、むしろ取引先を分散して、1つの取引先への依存リスクを下げつつ、自分が手を動かすわけではなくて自分は会社の舵取りに注力していき、手を動かすのは社員に任せるというのはスタンダードなことだと思う。ただ、自分ひとりが手を動かしている1人会社の場合では、結局自分自身だけが仕事をする主体であり、そうなったときに個人の意識として「何のための仕事か」を考える必要が出てくる。そうなったときに、本当に分散していることは、個人としての思考の難しさを生むように感じているのだ。

とはいえ、このスタイルで1年以上、個人事業主時代含めれば4年以上やっているということは、それなりにこれに適応しているということもまた真実だと思っている。 本当は、多分心のどこかでは「自分は1つに注力できない人間だ」ということを認識している。だけど、 「1つに注力している人のほうがかっこいいし、理想的である」という思い込みがあるから、それに合わせたくて、無理に理由をつくっているのかもしれない。今文章化していて、そこを改めて認識した。

その2つめのほうの理由は、じゃあ自分の思い込みのメタ認知と調整によってなんとかなるとして、売り上げの不安定さ問題については事実なので、現状のままでは問題解決はしない。

とはいえこれも、そもそもこれが問題なのかと問い直してもいいような気がしてきた。売上が不安定だとしても、どうせ会社は自分ひとりしかいないのだ。キャッシュフローが問題を起こして自分に給料が払えなかったところで、社員を困らせることにならない。自分自身が別に経済的に困窮しないならそれでいいじゃないかともいえるのだ。

うーん、ということで書いているうちに、やっぱり別にこのままでもいいんじゃないかと思い始めた。 これも正直に言おう。ぼくは秋にとある大企業の正社員採用に応募してみた。結果は、書類でお断りだった。たった1社しかエントリーしていないだけで何もわからないというのはそうなんだが、その経験によって、ぼくはショックを受けるとともに、納得した面があったのだ。なるほど、自分はいま会社員として採用されることは相当大変なんだな、と。30代後半で、すでに正社員をやめて4年以上たっているような人で、かつエンジニアやデザイナーのように明確なスキルセットのマッチングのない謎職種の人を採用したい会社があるのか?自分が採用担当の気持ちになってみればわかるが、そんな人は取りたくない。というより、採って失敗だったときに、上司に「なんでそんな人を採ろうとしたのか」と批判を受ける可能性があるだろう。そんないらんリスクを取る意味がないのだ。だったら、エントリーしてきたなかで、無難なキャリアと思考を持っていそうな人を採るべきだ。それが、採用担当にとっての合理である。

ということで、いったん就職は諦める。 分散業務受託型一人会社代表として、これからもやっていく。いつまでかは、わからないけれど。

カフェイン、アルコール、チリペッパー

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ぼくはどうやらカフェイン耐性が低いらしい。 その事実に気がついたのは、30歳をとっくに過ぎてからことであった。

夜にコーヒーを飲むと、そのあと驚くほど寝付けない。夜10時ごろに飲んでしまうと、ひどいと朝の4時5時まで寝られず、そこから浅い睡眠をして次の日に苦しむ。

先日は、そんな自分のカフェインへの弱さを忘れて、何を思ったのか夜11時ごろにビターチョコレートをもりもりと食べてしまった。もちろんチョコレートにもカフェインは含まれている。案の定、午前4時ごろまで寝付けなかった。

しかしどうしてこれにずっと気づかなかったのか。 ひとつは、そもそもコーヒーを好んで飲んでこなかったというのはあるだろう。飲むとしても、せいぜい砂糖の入ったミルクコーヒーくらいのもので、カフェイン量としては少なかった。 あとは、不思議なのだが、緑茶や紅茶のカフェインにはそこまで弱くないような気がしている。そんなことはあるのかよくわからないのだが、たしかに子供の頃から夜に緑茶や紅茶を飲んでも特に寝れないと感じることはなかった。

コーヒーとチョコレート、このあたりがどうも相性が悪いらしい。 ただ幸いにしてというか、それらでお腹の調子を悪くすることはない。また、寝れないということは覚醒作用が強いということなので、午前から昼の時間にかけては特にコーヒーは有効活用できるということだとも気づいた。眠りを覚ますにはぴったりなわけだ。

私は酒(アルコール)に関しては、強いわけではないがそこまで弱いわけではないと思う。日本人全体の酒の強さの平均というか基準偏差値を50としたら、たぶん55くらいではあると思う。 しかしカフェインに関しては、肌感として見るに、40から45といったところであろうか。下手したらもうちょっと低いかもしれない。

おなじように嗜好品ジャンルとしては、辛いものは大好きだ。辛いにも色々ジャンル分けはあるが、メジャーであろう赤唐辛子(チリペッパー)系統に関しても全然ウェルカム。これに関しては偏差値は60くらいあるかもしれない。 蒙古タンメン中本の定番メニューの中で、辛みの強いメニューの代名詞のひとつ「北極ラーメン」に関しては、たしかに辛いししんどいとは思うものの、美味しく完食はできる。

北極ラーメン - 蒙古タンメン中本の道

カフェインもアルコールもチリペッパーも、みな植物に由来している。人間を虜にする化学物質は、不思議なことにみな植物からやってくる。 しかし動物と植物ははるか数十億年の昔に分かれており、進化系統樹のなかではとてつもなく離れている。 どうして植物から取れる物質の中には我々をここまでハマらせるものがあるのか。面白いものだ。

冬の乾燥、苦しみは繰り返す

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冬になった。私は冬がきらいだ。まず寒い。寒いのがキツイ。それだけならまだしも、一番キツイのが、感想による手足の肌荒れである。足の霜焼けはかゆくて集中力が奪われるし、手の甲側の乾燥は簡単に血が出て普通に痛い。 正直なところ、寒いだけなら多分まだ耐えられると思う。この乾燥による身体的ダメージがどうにも耐えられない。

なぜ私の手はこんなに乾燥に弱いのか。 人類史を考えてみると、約7万年前に現生人類(ホモ・サピエンス)はアフリカを出て世界各地に向かっていったことがわかっている。そのアフリカは、さてどれくらい寒くて乾燥していたんだろう。正直アフリカといっても大きすぎてひとくくりにはできないが、良くわからないが、まあでも一番寒い時期でも日本よりは寒くなかったり乾燥していなかったりはするんじゃないだろうか。 と考えると、決して人類は寒さと乾燥に適応した生物ではないということはまあ、前提として受け入れざるを得ないだろう。

とはいえ、そのあとに散っていった地域を見ると、日本よりもずっと寒かったり乾燥していたりする地域もある。ではそういう地域の人々は手の乾燥と痛みに悩んではいないのだろうか?うーん、情報の調べ方がいまいちわからないのだが、多分いるにはいるんだと思う。

どちらかというと、日本(以後、日本と書くが基本的には東京という意味で使うことをご了承いただきたい。沖縄は全然気候が違うと思うから。)の場合は年間を通じての気候の変化が良くないんじゃないかと思う。四季などといって、日本の気候は素晴らしいなどといっている人も多いが、私は全然同意しない。日本は二季しかないと思っているのだ。暑くて湿度が高くてぐったりする夏と、寒くて乾燥して辛い冬。これだけだ。残りはただの移行期間である。

夏があるから油断しているうちに、あっというまに形ばかりの秋が終わって、冬になり、肌が本来苦手な乾燥にさらされる。そして人間のほうもそのあまりの早さについていけず油断しているので、乾燥対策を怠ってしまう。だから乾燥して痛い。そういう流れがあるように思っている。

もうすでに、私の手は乾燥で切れて出血した箇所が2箇所ある。まだ12月入ったばっかりだというのに!いや実は毎年こんなことを繰り返している。繰り返しているが、毎年改善はしない。1年のサイクルというのは、学習を行動に転化させるには長すぎる。何より、仕事などのように定型化されているわけでなく、あくまでとことん身体的なところに始まって終わる話だから、そういう脳主導の都合のよい学習サイクルだけでうまくいくもんじゃないよね、と思うのだ。

でもそうはいっても、なんとか、今年こそ、手足の乾燥ダメージを最小限にしたい。ほんとに、辛いから。

M1 MacBook Airと私

ガジェット好きの皆さんはよく知っての通り、AppleがM1という自社で設計したシステムオンチップを搭載したMacを発売したのは、今を去ること1年前の2020年11月である。

www.apple.com

ついにIntelのCPUから決別して、自社開発のチップに乗り換えるということが発表されたのはその5ヶ月前、2020年6月のWWDCAppleの開発者向けイベント)であった。そのときには、2年をかけて、完全にIntelチップから自社チップに移行すると発表された。私含めて、多くの人がその発表を聞いて「いや本当にそんなことできるの?」と思ったのではないだろうか。たしかにIntel Coreシリーズのチップ搭載のMacは性能的にもWindows機に対して明らかに見劣りするようにはなっていたが、そうはいってもコンピュータの根幹であるチップをそんなまるごと変えるというのはそうそう簡単なことには思えなかった(いやたしかにかつてApplePower PCからIntelに乗り換えた歴史はあるんだが)。

だが、2020年11月に発表されたM1チップと、それが搭載されたMacBook AirMacBook ProMac miniの三機種は、その不安をいとも鮮やかに消し去った。驚くほど高い性能を発揮したから。

と、私はさも自分が体験したかのように書いているのだか、実は2020年には私はM1チップ搭載のコンピュータは買っていないのですべて他人から聞いた話である。というのも、その年の6月にIntelチップのMacBook Pro 16インチモデルを購入してしまい、実務的にそれで困っていなかったためである。なので、「M1はすごい」という話は聞くものの、ほとんど体験することなく時を過ごしていた。

そして、次に私が入手することにしたパソコンは、もうMacですらなかった。Windowsデスクトップである。結局のところ、コストパフォーマンスでいえば、Windowsデスクトップを買うのが一番いいんじゃないかという結論にいたり、今年2月に購入した。ちなみにCPUは興味を持っていたRyzenシリーズの、Ryzen 5 5600Xにした。GPUNVIDIA RTX 3060という構成だ。そこまで金額をかけるわけではなく、さりとて一般的に高負荷の要求される処理には十分に耐える程度の構成にしてみた。実際、それを使ってみたら、大満足だった。コロナ禍でさして外に出て仕事をすることもないので、自宅のパソコン環境の最適化という意味ではWindowsデスクトップという選択はかなり良かった。

というところで、Windowsデスクトップと、Intel MacBook Proがあるならそれで十分だろうと思う話だが、いやたしかに十分なのだが、私はふとM1チップ搭載のMacに興味をもってしまった。 理由は、2021年10月の、M1 PRO/MAX チップ搭載のMacBook Proの発売である。 言うまでもなく、M1 PRO/Maxチップは、前年に登場したM1チップの強化版である。M1の時点では、コンピュータに実装できるメモリも最大で16GBだったものが、今回のM1 Maxチップに至っては64GBまで実装できる。また、Thunderboltポートも増えたほか、HDMIポートや充電用のMagSafeポートも搭載され、まさにProの名にふさわしいコンピュータとして登場した。サイズも、やや小型の14インチモデルと、大型の16インチモデルの2系統が用意され、プロユーザの好みに合わせての提供が可能になっている。

しかしながら、当然価格も上昇している。ここが個人的には気になったところだった。いやもちろん、製品価格が高いのは構わないのである。日本の物価水準が単に上がらないだけで、グローバルの物価は上がっているとか、当然そういう経済的状況も認識している。それは別にいいのだが、単に私が、2021年発売のMacBook Proを買うのはためらっただけなのだ。だって、14インチモデルの最小構成(16GBメモリ、512GBストレージ、M1 PROチップ)でも、239,800円である。それをいま買うのは残念ながら厳しい。

そう思ったときに、ふと気づいたのが、M1チップのモデルはどうなんだという話だ。そこで中古オンライン販売などの価格を見てみると、なんとMacBook Airの最小構成なら8万円台から販売されている! M1 PRO 搭載MacBook Proの1/3程度の価格である。単にM1というか、Apple Silicone を使いたいなら、 これでいいじゃないかと気づいたのだ。

そこで、色々考えた結果、M1 MacBook Airの最小構成(8GBメモリ、256GBストレージ)を購入した。上述のように、メイン仕事はWindowsを使っているし、サブとしてMacBook Pro 16インチ(Intel)があるので、今回買うMacBook Air は三番手なのだ。であるなら別に構成を強化する必要はないなと思った。

カラーリングも、Airにしかないゴールドをはじめて選択した。これはもう、おしゃれなのだ。服に一切金をかけず、ユニクロどころか遠い昔に親にもらった服を平然と着ている僕にとっては、コンピュータの外見だけが唯一の外見上のこだわりといっても過言ではない。

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ということで中古で購入したM1 MacBook Airだが、使ってみた感想は控えめに言って最高だ。メモリ8GBとはとても思えない快適さである。 昨年6月までのぼくのメイン機はメモリ8GBのIntel MacBook Pro(13インチ)だったが、正直言ってマルチタスク性能にはいつもがっかりしていた。何をやってもファンが全力で回り、もう本体はいつでもアツアツである。結果として電池もちも極めて悪く、充電ケーブルとアダプタなしではとても外には出かけられないレベルだった。 だが、このM1 Airはとても同じメモリ8GBとは思えない。もちろんファンがないので、仮に熱を持ったところでファンは回らないのだが、そもそも熱を持つ気配すらないのである。Chromeのタブを多めに開いたり、Zoomをつないで画面録画をしたり、といった通常のノートパソコンだったら既にそれだけでCPUとメモリに負荷がたくさんかかってくる作業をしても、平然としている。 いやはや、M1チップの性能の高さと、それを活かし切る実装をしているAppleの開発陣に心底恐れ入った。なんだこのマシンは。 もちろん、4K動画の編集などをすることになれば、さすがにこのマシンでは力不足かもしれない。でもそれのサクサク感を望む人は、2021年発売の最強MacBook Proをスペック強化したモデルを買えばいいのだ。軽作業、事務中心に使う人にとってはあきらかにそこまでの性能はいらない。

ということでまとめると、私が1年経って買ったM1 Airに感じること。それは、「最もバランスの良い普段遣いノートパソコン」ということである。 価格感のバランス、電池もちのバランスの良さはもちろん、重さという意味でもここは評価が高い。 私が持っているIntel MacBook Pro 16インチの重さは2.0kg。正直、重い。リュックに入れていても結構ずっしり来る。男性の私でこれなのだから、女性であれば相当キツイだろう。 しかし、Airであれば重さは1.3kg。もちろん、近年発売されている軽量Windowsモバイルノート(0.8-0.9kg程度)に比べれば重いので、最軽量モデルとは言えないが、上述したとおりに、性能や価格、電池もちとの総合バランスで考えれば、最上級に評価できると考えている。軽量Windowsモバイルノートは、実は価格はけっこう高いのだ。軽量小型で高性能化すると、価格はトレードオフで上昇する。15万円以上するのも普通だ。それに比べれば、新品で11万円、中古なら9万円ほどで買えてしまうM1 Airは極めてコストパフォーマンスが高いといえるだろう。

ということで、私はIntel MacBook Proは持ち運ぶことをやめて、M1 Airをリュックに入れることにした。おかげで、物理的にも軽いし、気持ちも軽くなった。それだけでも、もうM1 Airを買って元をとった気持ちでいる。

最後に。 レビット博士が提唱した「ドリルと穴」の話を出して終わりたい。 これは知っている人も多いと思うが「顧客がほしいのはドリルではなく穴である。だから、売り手は、顧客に対してドリルの説明を一生懸命するんじゃなくて、顧客が本当に解決したい課題に焦点を当てよ」というマーケティング訓話である。 これにコンピュータの事例を当てはめて考えるなら、「人々がコンピュータを欲するとき、別にそのコンピュータのスペックの高さが目的ではなく、コンピュータを使って解決したい課題が本質なのだから、課題のほうに注力して製品を開発、販売せよ」という学びが得られるということになるだろうか。

marketing-campus.jp

だが、私はこの説がすべてのケースで妥当だとは思わない。 特にアタラシモノ界隈では、ほとんどこの考え方は当てはまらないだろうと思う。

たとえば、人がコンピュータが求める時は、明確に解決したい課題があるから、という時ばかりじゃないのだ。 発売されたコンピュータが、得も言われぬ魅力を発していると、なぜかそれが欲しくなってしまう。課題などというのは、むしろそのコンピュータを買う理由を自分に作るために探し出す。そんなことが実際、あるのだ。 スマホタブレット、あるいはアクションカメラやドローンなどのガジェットでもそれは同じはないだろうか? 本当に解決したい課題なんてものはない。単に新たなイケてるガジェットに興味が湧いて湧いて仕方ない。だから、買い求める課題なり理由なりを無理くりひねり出す。 ガジェット好きとは、そういう人なんだと思っている。

私はさしてガジェット好きとは言えないが、多少その気質を持っていることは否めないし、だからこそ新しいガジェットやテクノロジーの情報を追うことが楽しいのだろう。 そして、そういう性質であるがゆえに、その知識で人助けができることもままある。それは私にとっても、うれしいことだ。


2020 Apple MacBook Air ノートパソコン: Apple M1 Chip、13インチ、8GB RAM、256GB SSD、バックライトKeyboard、FaceTime HDカメラ、Touch ID、iPhoneとiPadに対応; ゴールド