ギブギブン

1ヶ月毎日ブログ書く企画ではじめたブログです。

マインドフルネスは、何ではないのか

昨日、Yahoo!さんにて、同社社員でありマインドフルネスの浸透やコミュニティづくりなどでも活躍されている中村さんから、マインドフルネスについて基本的なところをお話いただき、実践してみるという機会をいただけた。
とても興味深い内容だったので記憶しておきたい。その記憶のための手助けとして今日のブログを書いておく。

学びの概要、あるいは他の方はこの講座でどう思ったか、という記述は。素晴らしいことに、なんと同じときの参加者にブロガーさんがいらっしゃるので、そちらに譲りたい (*1,2)。

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私は、これについて書きたい。

「マインドフルネスは何ではないか」

正直なところ、マインドフルネスが何なのか?と問われると自分の肚落ちした言葉でほかの人に満足行く説明をするのが難しい。だが、この日知ったおかげで「何ではないのか」は記述できると思う。

1: マインドフルネスは宗教要素のある取り組みではない
2: マインドフルネスは瞑想できるようになること、ではない
3: マインドフルネスは雑念を捨て去った状態ではない
4: マインドフルネスは超人だけができる特技ではない
5: マインドフルネスは個人に完結するものではない

順に説明したい。

1: マインドフルネスは宗教要素のある取り組みではない

心を集中するその振る舞いが、僧侶の動きに似ていることもあって、ときにマインドフルネスとは仏教、宗教のことかと思いかねないが、違う。マインドフルネスに特定の宗教性は存在しない。確かに大元は仏教的なところから始まっているのかもしれないが、今日のマインドフルネスは宗教性のない科学的取り組みになっている。

2: マインドフルネスは瞑想できるようになること、ではない

視覚からの情報を遮断して、意識を集中させるワークも確かに入っているが、しかしそれは瞑想をできるようになろうという目的ではない。科学的根拠にもとづいて、「メタ認知」を高めるセッションをすることに主眼がある。瞑想しましょう、と言うことはない。

3: マインドフルネスは雑念を捨て去った状態ではない

「心を無にして集中せよ、雑念を捨てろ」といわれがちだが、そもそもマインドフルネスは自分の呼吸に集中することにはじまる。そしてポイントとしては、どんな修行したひとも雑念というか、呼吸以外へのことが意識に上ってくるのは避けようがないのだ。重要なのは、そうした意識が出てきたことを認識して、それを脇においておく、という「意識の逸れを扱う」ことを体得していくこと。

4: マインドフルネスは超人だけができる特技ではない

中村さん曰く、1日のなかでの細切れ時間などを使って、まずは累計50時間ほどのマインドフルネス・トレーニングを習得していけば、あきらかに違いが分かってくるのだという(取り組む前との)。それはつまり超人でなくても、誰でも習得はできる、ということ。

5: マインドフルネスは個人修行に完結するものではない

要するに、個々人が修行して瞑想してレベルアップしたらよいのだろう、と思ってしまいがち。しかし、実際にやってみて思った。中村さんのファシリテーションでも言及されていたが、やってみてどう思ったかといったことを言葉にしてすぐ他の人にシェアする、伝え合うことが重要だとのこと。それによって体験の意味が深掘りされて、本質の理解、記憶への定着などにつながりやすくなる。そして習慣化に役立つ。

ということで、いろんな常識、思い込みが外れる素晴らしい1日であった。
この体験と感覚を忘れてしまうことなく、日常にマインドフルネスを取り入れられる方法...。それをまた仲間と試行錯誤かなと思う。


*1

note.mu

*2

odajin.hatenablog.com